感情のコントロールがまあまあ出来る方だと思っていたが、勘違いだった・・。
私は今まで、自分ではある程度の感情のコントロールが出来ると思っていました。
とくに仕事では、怒りや悔しさがこみ上げてきたとしても、それをそのまま出すわけにはいかないので表面上はいたって冷静な口調で感情をおさえていました。
かと言って社会人になってから怒りを露わにしたことはゼロではありませんが、私自身の中ではおさえることが多かったです。
職場の人間関係で腹が立つことがあっても、それをしまいこみ冷静を装って対応する。
例えば、誰が聞いても理不尽な事を言い続けるお客様に対して、腹の中では怒りが込み上げても感情をあらわにすることは日本の会社では認められないし「それは、おかしい!」と、ハッキリ言い返すこともなかなか許されないのが現実です。
このような時に湧いてくる感情を表には出さず、おさえて、おさえて、おさえつけて・・・冷静な態度で何事もなかったかのように振る舞う。
それが出来ること=感情のコントロールが出来てることだと思っていました。
これもある種、会社の中では感情のコントロールが出来る人だと世間一般には、そう見られるんでしょうね。
おさえている感情や思いのたけを、そのままぶつけたらどんなにラクだろうとも思うけど、冷静さを欠いた自分もいる。
その場の感情だけで行動してしまうと、ヘタしたら相手を傷つけてしまい「なんで、あんなことをしてしまったんだろう・・」と、後悔の念で自分も傷付く。
会社の中だって、湧いてきた怒りの感情を出し放題にすればイイってもんじゃないし、社会で生きていくには現実的ではないです。
現実的に無理なことは分かっているから、ただただ「おさえる」ことばかりを繰り返して悶々としていると、いずれどこかで糸がプッツリ切れてしまいます。
以前の私は、この「おさえる」方法しか知りませんでした。
歳を重ねてくると、湧いた感情を表に出してばかりいたら大人げないと言われてしまうし・・。
また、相当な怒りやイライラしている瞬間って、自分の身体すべてがその感情に支配されているような感覚になってます。
まるでイライラや怒りの泥水の中に、足の先から頭のてっぺんまで潜って浸かっているみたいで、全く隙間なく全身を覆っているから他のものが入る余裕が無い・・・そんな風に私は感じます。
「おさえる」
「イライラや怒りの感情の泥水に全身浸りきる」
この2つの組みあわせだけでも、身体に受けるダメージはダブルパンチどころではありません。
ですが、瞑想(マインドフルネス)で「気づき」の練習を続けるうちに「距離をとる」という方法が身に付いてきました。
怒りやイライラの感情が湧いている最中に「その感情が自分に湧いてること自体に気づく」。
その瞬間、それまで私をイヤな気分にさせていた相手のことだけが頭の中で支配されていたのに、今度は「私、怒ってるぞ・・」という自分のことが頭の中の中心にいる。
自分の感情を見てる時って、鏡で自分を見るのと同じで自然と距離が出来てるんですよね。
距離が出来るから「イライラや怒りの泥水」にドップリ浸かって、全身にまとわりつかれる感覚もありません。
確かに相手との対応の真っ最中は怒りの感情を自分で認めながらも、それを出すわけにはいかず、おさえる部分は残りますが、おさえつける意識の負荷は今までより軽いです。
こうして「気づき」の練習により、表に出さずにおさえることだけでは感情のコントロールが出来てるとは言えない。
改めて感覚としても分かりました。
「気づき」により怒りやイライラの感情から距離がとれる・・・
しつこく、一旦離れては戻ってくるなんてことは何度もあります(笑)
その時も「戻ってきた」と、しつこく気づけばいいんです。何度でも。
その繰り返しをしていると、どんどん怒りの感情が遠くになっていき、いつの間にかその件は戻ってこなくなります。
嫌な事をされれば怒りを感じるのは当たり前だし、人間として正常な感情の1つであって、問題なのは回数の多さや大きさ、その感情の滞在時間の長さ。
逆に、何をされても一切怒らないのはかえって「大丈夫かな?」と心配です。
本当にそんなことが出来るのはお釈迦様くらいじゃないですかね。
「気づいた時」に自分の頭の中がどうなったのか?
実験するみたいに、実際どうなるのか試してみよっかな~って言うわずかな好奇心が、こころの余裕にも少しは影響すると思います。
怒った瞬間、気づくことを忘れてしまっていることは最初の内は多々あります。
後からでも「気づく事を忘れてた・・」と気づけば前進じゃないですか?(^_-)-☆