理由にもならない理由で文句を言う人もいる。
色んな価値観や考え方をする人がいるんだなぁとつくづく感じます。
先日、谷原章介さんが番組でサッカー日本代表の森保一監督へ花束贈呈した時の発言。
「男からで申し訳ありません・・」
この性別を引き合いに出したことが、少数の人から批判を受けたとの事。
正直「こんな事で批判されるの?」
私自身、同性からよりもカッコいい男性から花束貰ったら、もっと嬉しいけどなぁと単純に思いました。
1つの発言に対して様々な見方や捉え方があるから、真逆の意見が出てくること自体わかりますが、こういうこと全部を気にしてたら何も喋れなくなってしまうし、何も出来なくなってしまうなぁと感じました。
職場でも色んな人がいます。
何に対しても文句を言う人。
自分が気に入らない相手の事を、他の誰かが褒めると「でも、あの人は・・」と悪い面ばかりを強調してくる人。
同じ行動をしても、自分と仲が良い人がする分には問題ないけど、それを気に入らない人がしていると許せないと言う人。
私が小学校5・6年の時の話です。
その当時の担任は30代半ば過ぎの女の先生でした。
理科室で顕微鏡を使った授業をしていて、その後片付けの時。
私と同じグループの女子が薄っぺらいカバーガラスを洗って優しく拭いていました。
すると「あっ、どうしよう・・・」と呟いたので、私達が「どうした?」と聞くと、手元のカバーガラスを見せてくれました。
一瞬パッと見では分からない位でしたが、ほんのわずか角の部分が欠けています。
彼女は勉強も出来る方だったし、とても優しい感じの良い子です。
日頃からミスばかりするようなタイプでもありません。
不安そうな顔をしながら「先生に言ってくる・・・」と、教壇に立っている担任の方へ向かいました。
突然、教室中に響き渡るような怒鳴り声で
「何やってるの!!!!」
「ちゃんと注意しないからでしょ!!」
と、烈火ごとく怒りだし、彼女は泣き出してしまいました。
私達は、カバーガラスを欠けさせてしまうとあんなにも怒られるんだ・・・と、ビビりました。
その彼女が泣きながら私達の所に戻って数分後。
教室の後ろの方で
「ガッシャーン!!ガシャガシャガシャガシャ!」
とスゴイ音が。
みんなが振り返ると一人の男子が試験管を誤って落とし、何本も割ってしまっていました。
さっきの件があるので「カバーガラスでもあんなに怒られるんだから、試験管なんてどれほど怒られるんだろう。しかもあんなに何本も」と、クラス中がシーンとなり、割ってしまった男子もその場で固まり、割れた試験管を見ているだけでした。
「もぉ~、気を付けなさいよぉ~~」
「危ないから~怪我しないようにねぇ~~」
と、笑いながら、しかも猫なで声の担任。
何なんだろう・・この違い。
間違いなくクラス中のみんなの頭の中は「???」だったと思います。
さっきまで泣いていた女子も唖然としてました。
この担任には、これ以外にも沢山の逸話があり、今なら問題になるでしょうが、その当時は運が悪いと諦めるしかありませんでした。
大人になった今でも、どんな方向から見ようがこの先生がしていた子供達への接し方には納得できません。
子供相手の学校の先生じゃなくても、会社にはこういう上司、先輩、同僚がいる所はあります。
言われた方は傷付くし、この状況を何とか回避したい気持ちも分かるけど、理不尽なことを言ってくる理由は、内容よりも「気に入らない相手がやってることだから」が前提になってる。
会社で、こんな理由にもならない理由で何かにつけて仕事の文句を言われるなんてやってられません。
だから回避したいがために、そんな相手に必要以上にへりくだる態度をとったり、自分が無理に合わせようとしても「いったい自分は何をやってるんだろう」と虚しさしか湧いてきません。
意味不明な相手に気に入られようとするなんて、そもそも相手がどんな人が好みなのか?そんな人の好みを自分が知りたいのか?そんな人に好かれる様な人間に自分はなりたいのか?
きっと、相手もストレス溜まっているんでしょうが、自分がそのハケグチにされていい理由なんてない。
そんな何様的な人間のストレス発散に自分は貢献したくもない。
そう考えると、とても馬鹿げてると私は思ってしまいます。
そんな相手とは自分から距離を取った方がいいし、それで仕事に支障が出るなら上司なり会社に相談するのも仕事の内。だって、仕事に支障が出るんですから。
それでも改善せず上司や会社も動かないなら、従業員をその程度の価値だと考えている可能性が高い会社ではないでしょうか。
現実を考えれば勇気がいることだけど、変わる見込みが無ければ自分の心と体を守るためには辞めた方が正解だと思います。
世間には働く場所は幾つも有り、変えることは出来るけど、体はたった1つしか無いし変えがききませんから。
実話をもとにした切ない韓国映画
お題「邦画でも洋画でもアニメでも、泣けた!というレベルではなく、号泣した映画を教えてください。」
1971年に韓国で実際に起こった事件を映画化。
映画が公開される前に、この事件のことをたまたまテレビで紹介していて「へぇー、こんな事があったんだ・・」と、初めて知りました。
番組の中では、その事件に関わった数少ない生き残った方へのインタビューもあり、結構興味深い話でした。
韓国政府が、死刑囚などの重罪を犯した犯罪者たちを集めて極秘に特殊部隊として訓練。目的は北朝鮮の金日成暗殺のため。
にも拘わらず、結局は政府に裏切られ、その様な計画すら無かったことにされる。
大体のあらすじを知った上で観てるし、とくに犯罪者に寛容でもないんだけど・・・・何だかやっぱり切ない・・・これが実話だと思うとなおさらです。
ラストは号泣しました。
他にも泣けた映画はあるけど「号泣した映画は?」と聞かれると、最初にこの映画が浮かびます。
あと、テレビ番組で号泣したのはアニメ「フランダースの犬」の最終回。
これは何度みても毎回泣けるのですが、自分が犬を飼ってからは号泣に変わりました。
今回のお題「号泣した映画」と聞いた時に、まず浮かんだのが「シルミド」
そして「フランダースの犬」。
それと同時に、私の幼稚園の頃のことを思い出しました。
それは、アニメ「みなしごハッチ」を観て泣いた時のことです。
※その後「みなしごハッチ」から「みつばちハッチ」と名前が変わりました。
まだ、小さいから感情を隠すことなく素直に涙が出たんでしょうが、その時に親から笑いながら「なに?泣いてるのぉ?」みたいに茶化された記憶があります。
子供心に、テレビを観て泣いたことが何だか恥ずかしかったような記憶です。
そういうことがキッカケとなったのか、いまだに家族の前ではテレビをみて泣きそうになると、どうしても我慢してしまうんですよねぇ。
うちの家族、みんなそうです。
何十年と続いてきてる家族間のビミョーな雰囲気。
「泣きたいなら我慢せずワーッと声だして、涙流しながら観ればいいのに・・・」
不思議に思う人もいるでしょうが、当たり前の様に過ごしてきた長年の家族間の雰囲気を今更変えるって、なかなか難しいです💦
まっ、いつかはやってみようかと思いますが緊急性はないので、とりあえず「保留」ってことで(笑)
いつかはテレビ観ながら家族の前で何枚もティッシュ使いながら泣ける日がくるのかなぁ?なんて・・・このお題をみて思いました。
森林浴とタメ息でのストレス緩和。
森林浴はストレス解消に良いと言いますが、このような研究結果も実際にあるようです。
森林の中で休憩した場合と森林の外の日陰で休憩をした場合の統計を取ると、あきらかに森林の中で休憩した人の方が「イライラ、不安、意欲の低下」が改善されたとの事。
そして検査をした結果、血液中の酸化ストレスも改善したそうです。
今の時期は寒いので長時間いると風邪をひいてしまいそうですが、怒りで頭に血が昇ってカーッとなってる時には、暖かい恰好をして緑を眺めながら頭を冷やすのも個人的にはイイんじゃないかと思います。冷え症じゃないかぎりは。
もし、あまりの寒さで「寒すぎる・・・・・何でこんなに寒いんだよぉー!」と、今度は自然相手に腹が立ったとしても、人間関係での腹立たしさとは違い真剣な怒りではありません。
人間関係での怒りだと、その時の状況を再び思い出して対象相手のことで頭がいっぱいだから、なかなか怒りがおさまらないし厄介。
この想いが長い時間、自分の中にいるのが本当に鬱陶しいです。
だから、寒すぎて腹が立ったとしたら人間関係のことが「一瞬」頭から離れるので、チョッとは冷静になることへ役立ったのでは?と言う見方も出来ます。
少し頭が冷えた後に暖かい飲み物を飲めば、身体が温まると同時に癒される様な感覚にもなります。
まるで体が冷えた時に暖かいお風呂や温泉につかって「あ~極楽、極楽~」というのと似てる・・・。
そういう時は、大体「フ~~~ッ」と無意識に大きく息を吐いて呼吸も穏やかになってきます。
緑の無い街中でベンチに座って休憩している時と、森林の中や緑が多い場所で休憩している時との呼吸を意識して観察すれば、自分でも違いに気づくのではないでしょうか。
ストレス緩和に深呼吸も良いとされてますよね。
中医学では昔からストレス感情で気の流れが滞ると言われています。
気の流れと呼吸との関係はとても深いです。
例えば「タメ息」。
タメ息をつくと、よく幸せが逃げると言いますが、実はタメ息は気の流れ整えるものだと考えられています。
だから無意識にタメ息をつくのは、滞っている気の流れを整えようとして出てしまってると。
そもそも気分の良い時にタメ息って出ますかね?
私は出ません(笑)
ただ、あまりタメ息ばかりついていると、とくに職場では周りの人達から「どうしたの?」と心配されるでしょうし、良く思わない人もいるでしょう。
そういう時はトイレの中とか、途中の通路で一人になった時などを見計らって吐き出す方がかえって気を遣わずにすみます。
最近、天気が良い日が続いているのに、緑地公園での早朝散歩に行けていませんでした。
今日、久し振りに行ったらやっぱり清々しい気分です。
早朝に行けない代わりに、何度か夕方に出かけたこともあります。
早起きが苦手だった頃は、夕陽を見ながらイヤな気持ちを何とか癒そうとして夕方ばかり行ってました。
それはそれで、ほんの少し癒されます。
空がオレンジ色に染まっている夕陽も綺麗なのですが「今日1日も、そろそろ終わりか・・」と、早朝散歩を知ってからは、なんだか物悲しさを感じるようになりました。
やっぱり朝は「ここから1日がスタート!」なので、テンションが上がりやすい。
だから私は朝の散歩の方が好きです。
40代前半までは完全に夜型人間でしたが、今ではスッカリ朝方人間に変わりました。
この変わりよう・・・正直、自分が一番おどろいています。
ちなみに今朝の散歩で撮った写真。
ストレスで暗闇から抜け出せないと諦めかけている人へ。老婆心ながらひと言。
「これはイイ!」「効果が出るかも!」「人生変わるかも!」
そんな想いで始めたのに結果が出る前に辞めてしまった。
私は数えきれない位、こういう経験してます。
やってる途中で、自分が求める結果への進み具合が遅かったり、何も感じられないと「やっぱりダメだ、効果ない」と辞めてしまう。
確かに効果がないものや、その人にとっては向いていないこと、間違った方向性に進んでいたのなら早く軌道修正した方が良いに決まってます。
ただ、結果が出るまでにかかる時間は内容や個人差によって違うから、本当に無駄なのか、向いていないのか、それとも諦めずにもう少し続ければ効果が現れるのか、諦めても後悔しないものなのか・・・この先、続けるかどうかを判断するタイミングの見極めは正直むずかしいですよね。
タイミングが早すぎると「ここまで頑張ってやって・・あと、もうチョッと続ければ効果が出てくるのにーーー、惜しい!!」ということも十分あり得ます。
例えば、私は何十年とストレスが強いと自覚してきているので、色んなストレス解消法や思考を変える試みをしてきました。
「もう、ここは限界!」と感じれば職場を変えたこともあります。
ストレスにどっぷり浸かっていた当時は「明けない夜はない」と言われても私には明ける気がしなかったし、その暗闇から抜け出せるような自分にとっての具体策はこれ以上浮かびませんでした。
良かれと思って様々なことを試しても結果が見えてこないと感じれば、やっぱり途中で辞めてしまいます。
だから、こんな状況はイヤでイヤで仕方がないんだけど「きっと、死ぬまでこのままなのかな、私・・・」なんて諦めかけていた自分もいました。
現在はストレスが減りましたが、その経緯は以前のブログで紹介しました。
最近、人生の振り返りをすることがあります。
これは過去のことを悔やむという振り返りではなくて、これまで過ごしてきた私の人生の意味って言うんでしょうか・・・。
ストレスに悩まされてきたこれまでの人生とか、50代半ばの年齢というタイミングでストレス減ったこと。
「全部の出来事に意味があった」とまでは、まだまだ言えませんが少なくともこの2つに関しては、今の私に必要だった経験や年月だったと思えるようになりました。
一見すると、やってることは直接関係ないように見えたり、遠まわりして時間をムダに使っているようにも思えるのですが、思わぬところで何がどこでどう繋がるかは分かりません。
ストレス減ったのを実感したのは50代半ば。
私自身、年月だけ聞けば長いと感じるし、自分が30代の時なら「エッ?そんなに先?気が遠くなる・・・💦」と、正直思うでしょうね。
誰だって目に見えて早く効果が出る方が嬉しいですから。
自分が暗闇にいる時には、とてもじゃないけど「そんな意味があるなんて思えないし思いたくない。そんな意味いらないし、とにかく今どうにかしたい!」だけでしたから、当時の私が聞いても信じられなかったでしょう。
でも、この歳になったからこそ「声を大」にして言いたいです!!
とくに現在ストレスで悩んでいる人に対して。
ストレスに関連すること以外でも、諦めずに小さなことでもいいから動いてみる。諦めてしまったら、そこから何も変わりません。
だって、これまで自分がしてきたストレス緩和法で効果が感じなかったんだから、ストレス解消と関係してなさそうなことでもイイんです。
何がどう転ぶか本当にわからない。
自分がやれそうな内容は、みんな違います。
かかる時間は、その人にとって必要な時間。
だから休憩しながらでも全然構わない。
あと、どれ位かかるのか?なんて結果が出ていない時点で、先のことを考えれば気が遠くなって嫌気がさすのは当たり前です。
小さなことからコツコツと・・・じゃないけど、諦めずに歩けば必ず繋がるし「暗闇から抜け出せる」
「でも、それはアナタの場合であって、私は違うから」と思うかもしれません。
信じるか信じないかはアナタしだいですが、信じていなかった私が言えること。
「大丈夫。これ、ホントだってばー!」です。
再放送して欲しい!昭和の伝説のテレビ番組。
昭和時代のテレビは面白かったなぁ・・・・。
昔の俳優さんは個性が強い人が多い。
一般視聴者の私から見ても、少々演技がオーバーなところがあるのですが、その大袈裟な感じがまた面白い。
今の時代には受け入れられないかもです。
地上波の深夜帯でもBSでもいいから再放送してくれないかな~って思ってる番組があります。
どうしても観たいなら有料放送で観るとかDVDを買えば?と思いますが、そこまででは無い・・・と、お金を出すのがもったいないというケチな私です。
だけど、放送されたら絶対に永久保存版として録画して観たい!という番組。
テレビドラマの方です。
内容もコメディタッチで面白いのですが、このドラマの中で私が一番好きなのは、服部刑事という役を演じている成田三樹夫さん。
極妻や仁義なき戦いシリーズにも出演されており、強面で悪役のイメージが強い俳優さんですが、「探偵物語」ではコメディな面を持った刑事役で、松田優作さんとのやりとりが面白いのです。
また、千葉真一さん主演の「柳生一族の陰謀」では、顔面白塗りで、独特なしゃべり方をする公家を演じられていますが、私はこの映画の中で最も好きなキャラクターです。
実は先日、BSデジタルでこの映画が放送されていて、やっぱり成田三樹夫さんが出てる「探偵物語」も観たいな~って改めて思ったからです。
もう1つ、昭和のドラマで観たいのは、萩原健一さん主演の「傷だらけの天使」。
水谷豊さんも出ています。
いま見ても、この時に萩原健一さんが着ていた衣装は、すごくカッコいいのです。
しかも、この時の水谷豊さんは、かなりブッ飛んでいる役柄で、「相棒」の杉下右京を同じ人が演じているとは思えません。
少し前、と言っても数年は経ちますがBSで再放送されてました。
何度も観てますしストーリーも知ってるものが多いのですが、放送されるとついつい観てしまいます。
最後は、ドラマではなく「夢で逢えたら」というバラエティ。
ダウンタウン、ウッチャンナンチャン、清水ミチコさん、野沢直子さんが出演。
この時の最強キャラクターは、清水ミチコさん演じる「伊集院みどり」
バブル期に、いかにも実在する?かの様なキャラクターでした。
たまーーーに、思い出した様にYouTubeで観ることがありますが、それでも紹介されている数は、そんなに多くは無い様に思えます。
いつ観ても、やっぱり面白い。
清水ミチコさん、天才だと思いました。
※余談ですが、清水ミチコさんと言えばモノマネが有名です。その中でもピアノで演奏しながら歌うホラー映画の「オーメン」。1度だけテレビで観ましたが、大絶賛した覚えがあります。
もう一度みたいのですが、YouTubeで探しても見つけられません。
昔の番組が再放送されない理由は、小さなものから大きなものまであるのでしょう。
そう言えば、私が子供の頃に観ていたアニメ。
「ゲゲゲの鬼太郎」も初めの頃のシリーズは、もっとおどろおどろしい感じがしていて薄気味わるさが漂っていました。
でも、これが子供ながらに面白かった記憶があります。
新しいシリーズになってからは、何だか綺麗にまとまり過ぎてて、つまらなく感じてしまいました。
時代が変われば倫理観も変わるから、当時はフツーに流していた番組でも、現代では問題視されてしまうことも多いです。
・・・と、「あの番組、面白かったから再放送してくれないかな~」なんて軽い気持ちでブログを書いてるうちに、最近の世の中についての思いが、ふと出てきました。
昭和の頃と比べれば、想像をはるかに超えて生活も便利になりました。
人に対して寄り添う社会になってきたかに見えるけど、それに比例して規制されることも増えました。
あまりの規制の多さで、自分も含め、心の大らかさが減り、何だかつまらない世の中になった様な気がします。
生きやすいような・・生きにくいような・・・自分たちで自分の首を絞めてるような・・・テレビ番組ひとつとっても、似た様な番組ばかりが増えてるし、人の個性もある様に見えて、実は似た様な雰囲気の人が多いとか。
私が歳をとったから若い人の区別ができず「みんな同じ顔に見えてしまう」というのも少しは関係してるかもしれません(笑)
この調子でいけば、もっとつまらない世の中になるんじゃないの~?って、昭和生まれの私には思えてしまうのでした。
私が「もったいないな~」と感じてしまった出来事。
「あ~、何だかもったいない・・」と、見ず知らずの人に思ってしまいました。
先日、地元の熱田神宮にお参りに行った時のことです。
いつもは参道をメインに神宮内を歩くのですが、この時は、いつも通らない脇道を通ってみる事にしました。
その日は天気も良く、道沿いに植えてある樹木の色付いた葉っぱが、青空によく映えて爽やかでした。
「人もあまり通らないみたいだし、たまには、ここを通るのもイイなぁ」なんて、穏やかな気持ちで眺めていました。
歩き始めて少しすると風が吹き、ザーッという音と共に、風で散った葉っぱが一気に舞い上がりました。
桜吹雪とは、また違った情感があり、気持ちが穏やかな状態になっている時に、こういうのを見ると、よりイイ感じの景色に思えてきます。
そんな景色に浸っていた矢先、向こう側から歩いてきた私と同年代位の女性2人連れが「あっ!これ、なんかあるって!絶対!」と話しているのが耳に入りました。
以前、私の友達が「神社や神宮で急に風が吹くって、神様が歓迎してくれてるらしいよ」と言っていたことを思い出し、「そっか、この人達はそのことを言ってるのかな?」と・・・。
すると、一人の女性が「動画!動画!早く、早く!これは、なんかあるってーー!撮らなきゃ!」」と下を向いて慌ててバックの中を探し始めました。
その後、私は、その人達を通り過ぎてしまったので、果たして風が吹いている間に動画が撮れたかどうかは分かりません。
きっと、神様からの何らかのメッセージだと信じているから動画を撮ろうとされたんでしょう。
でも・・・もし、もしもですよ、本当に神様が風を吹かせて歓迎を表してくれているなら、動画を撮ることに夢中になって、せっかくの情景をよく見ていないのは、もったいないと思ってしまいました。
ホントにわずかな時間のことでしたからね。
もしかしたら、その女性は「こういう良いことは自分だけじゃなくて、他の人達にもわけてあげたい」という想いからかもしれません。
もちろん、そんなことは分かりませんし、神様の仕業かどうかも分かりません。
個人的には、神様は動画を撮ってもらおうと風を吹かせたわけじゃなく、もし、他の人達にも知らせて!っていうなら、誰かに見せる動画を撮ってる最中に、偶然を装って風を吹かせるんじゃない?なんて・・・勝手に考えてしまいました。
私自身、日頃から写真や動画を撮る習慣があまりありません。
だから、決定的な瞬間だと思っても、うまく撮れた試しは無いのです。
あとは、スマホやカメラ越しから見た景色と、それを通さずに見る景色とでは感じ方が違うから、二度と見られないかも?と思える物以外は、せっかくなら直接見たいです。
だから、よけいに「いつまでも風が吹き続けているわけじゃないし、何かの御利益だと思うなら、動画を撮ることに一生懸命になるよりも、この情景を味わった方がいいのに・・・」って、大きなお世話なのですが、もったいなく感じました。
私は、神様のことはよく分からないし、声を聴きとる力なんて持ってません。
もしかしたら、「そんな些細なこと、私は気にしてないよ。わずかなことに、あれこれ思ってしまう君の方が考え過ぎなんだよ(笑)」と、おおらかな神様は私に言っているかもしれませんけどね(笑)
しまっておいた自分の弱さが、思わぬところに出てくる。
自分の弱さって、思いがけないところで現れてるんですね・・・
自分の弱さに向きあい、しんどい思いをした後、しばらくして「あっ、これもそういうことか・・」と、ふと浮かびました。
「これ」と言うのは、太極拳の練習で膝が痛くなったことです。
ブログにも書きましたが、この当時の感情や想いは、上っ面をなぞっただけで、痛くなった本当の理由は、私の中の弱さから繋がっていることだと、最近になって気づきました。
ベテランの人達ばかりの教室に、まったくの初心者の私が一人。
早く皆に追いつきたくて、基礎が分かっていないのに無理して間違ったやり方で、自宅で練習していたから膝を痛めてしまったと、この時は思っていました。
たしかに「追いつきたい」気持ちはあります。
ですが「追いつきたい」気持ちの奥には、私の弱さが隠れていました。
それは、自分は出来ない人間だと思われるのが怖い。
この怖さを感じているのを自分で認めたくない。
もちろん人にも知られたくない。
自分で見ないようにしてたわけですから、奥にしまいこんでます。
「自分は初心者だから知らなくて当たり前、出来なくても当たり前なんだ」と頭では分かっているけれど、それよりも「人から出来ると思われたい」気持ちの方が無意識に上回ってる。
だから、中身が伴っていないのに自分を良く見せようというのが先立ち、表面上の形ばかりにこだわり、いかにも「出来るようになってる感」を周りに認めてもらいたくて練習してんだと思いました。
どこかで出来ない自分を認めたくないし、出来ないと思われるのも怖いから、実際に自分の能力がどれ位なのか?もかえりみず、能力以上のことを限界がわからないまま無理してやろうとする。
まったく自分の本質をみていません。ただただ良く見せたいだけです。
この開きが大きいまま走り続けていれば、どこかで悲鳴をあげるように、私の膝も悲鳴をあげたのです。
太極拳の足の使い方や体の動き、姿勢など、基礎的なことがわかっていないのに、数年~十数年のベテランの人達の現在の姿だけをみて、自分も同じレベルの様に見せようとしていたなんて、とても浅はかだし、傲慢だったと思いました。
実は、これに気づく前まで、太極拳の講座に通っていてチョッとした違和感がありました。
音楽を流しながら練習をするのですが、毎回、流れ始めるとドキドキするんです。
最初は、慣れないから緊張しているのかと思っていましたが、1年以上経ってもドキドキのままです。
これも「間違えない様に」とか「グラつかない様に」「今日は大丈夫かな」「ちゃんと出来るかな」という「出来ないと思われたくない不安」を常に気にしていたからでした。
それと、体に妙な力みが入っている感じがしていて、それが中々取れませんでした。
自分では、もっと力を抜いてって思いながらやっても、なんか少し変な力が入っている。呼吸が止まってた時もあります。
これも同じです。
自分の弱さからだと認められてからは、自分の現状そのままを素直に、ただ体の使い方の注意点だけを自分の中で守る様にして、今では「出来る」とか「出来ない」とかは関係なくなりました。
すると、始まる前のドキドキが無くなり、体の力みも殆ど感じません。
呼吸もスムーズになってきてるのが自分でもわかります。
まさに、心と体は一体ということですよね。
先生から「膝の調子はどう?」と聞かれたので、このことを少し話しました。
すると「よく、気づいたね。実は、太極拳は自己認知にも優れているんだよ」と、仰いました。
初めて先生と会った時に、私の性質をズバリ言い当てられ「なんで分かるんですか!!!」と驚きましたが、やっぱり見抜かれていたんだ・・・と、おそれいりました(笑)
健康やストレス解消に良いことは、習う前から話に聞いていましたけど、想像以上に太極拳の奥深さを知ることにもなったのでした。