日々ストレス思考浸り~こころ穏やかな日々へ💕

ストレスに負けない!体は薬膳(中医学)・心はマインドフルネスから。。

私が「もったいないな~」と感じてしまった出来事。

「あ~、何だかもったいない・・」と、見ず知らずの人に思ってしまいました。

先日、地元の熱田神宮にお参りに行った時のことです。

 

いつもは参道をメインに神宮内を歩くのですが、この時は、いつも通らない脇道を通ってみる事にしました。

 

その日は天気も良く、道沿いに植えてある樹木の色付いた葉っぱが、青空によく映えて爽やかでした。

「人もあまり通らないみたいだし、たまには、ここを通るのもイイなぁ」なんて、穏やかな気持ちで眺めていました。

 

歩き始めて少しすると風が吹き、ザーッという音と共に、風で散った葉っぱが一気に舞い上がりました。

 

桜吹雪とは、また違った情感があり、気持ちが穏やかな状態になっている時に、こういうのを見ると、よりイイ感じの景色に思えてきます。

 

そんな景色に浸っていた矢先、向こう側から歩いてきた私と同年代位の女性2人連れが「あっ!これ、なんかあるって!絶対!」と話しているのが耳に入りました。

 

以前、私の友達が「神社や神宮で急に風が吹くって、神様が歓迎してくれてるらしいよ」と言っていたことを思い出し、「そっか、この人達はそのことを言ってるのかな?」と・・・。

 

すると、一人の女性が「動画!動画!早く、早く!これは、なんかあるってーー!撮らなきゃ!」」と下を向いて慌ててバックの中を探し始めました。

 

その後、私は、その人達を通り過ぎてしまったので、果たして風が吹いている間に動画が撮れたかどうかは分かりません。

 

きっと、神様からの何らかのメッセージだと信じているから動画を撮ろうとされたんでしょう。

 

でも・・・もし、もしもですよ、本当に神様が風を吹かせて歓迎を表してくれているなら、動画を撮ることに夢中になって、せっかくの情景をよく見ていないのは、もったいないと思ってしまいました。

ホントにわずかな時間のことでしたからね。

 

もしかしたら、その女性は「こういう良いことは自分だけじゃなくて、他の人達にもわけてあげたい」という想いからかもしれません。

 

もちろん、そんなことは分かりませんし、神様の仕業かどうかも分かりません。

個人的には、神様は動画を撮ってもらおうと風を吹かせたわけじゃなく、もし、他の人達にも知らせて!っていうなら、誰かに見せる動画を撮ってる最中に、偶然を装って風を吹かせるんじゃない?なんて・・・勝手に考えてしまいました。

 

私自身、日頃から写真や動画を撮る習慣があまりありません。

だから、決定的な瞬間だと思っても、うまく撮れた試しは無いのです。

あとは、スマホやカメラ越しから見た景色と、それを通さずに見る景色とでは感じ方が違うから、二度と見られないかも?と思える物以外は、せっかくなら直接見たいです。

 

だから、よけいに「いつまでも風が吹き続けているわけじゃないし、何かの御利益だと思うなら、動画を撮ることに一生懸命になるよりも、この情景を味わった方がいいのに・・・」って、大きなお世話なのですが、もったいなく感じました。

 

私は、神様のことはよく分からないし、声を聴きとる力なんて持ってません。

 

もしかしたら、「そんな些細なこと、私は気にしてないよ。わずかなことに、あれこれ思ってしまう君の方が考え過ぎなんだよ(笑)」と、おおらかな神様は私に言っているかもしれませんけどね(笑)

 

しまっておいた自分の弱さが、思わぬところに出てくる。

自分の弱さって、思いがけないところで現れてるんですね・・・

 

自分の弱さに向きあい、しんどい思いをした後、しばらくして「あっ、これもそういうことか・・」と、ふと浮かびました。

 



これ」と言うのは、太極拳の練習で膝が痛くなったことです。

ブログにも書きましたが、この当時の感情や想いは、上っ面をなぞっただけで、痛くなった本当の理由は、私の中の弱さから繋がっていることだと、最近になって気づきました。

 

sana-billy.hatenablog.com

 

 

ベテランの人達ばかりの教室に、まったくの初心者の私が一人。

早く皆に追いつきたくて、基礎が分かっていないのに無理して間違ったやり方で、自宅で練習していたから膝を痛めてしまったと、この時は思っていました。

 

たしかに「追いつきたい」気持ちはあります。

ですが「追いつきたい」気持ちの奥には、私の弱さが隠れていました。

 

それは、自分は出来ない人間だと思われるのが怖い。

この怖さを感じているのを自分で認めたくない。

もちろん人にも知られたくない。

自分で見ないようにしてたわけですから、奥にしまいこんでます。

 

「自分は初心者だから知らなくて当たり前、出来なくても当たり前なんだ」と頭では分かっているけれど、それよりも「人から出来ると思われたい」気持ちの方が無意識に上回ってる。

 

だから、中身が伴っていないのに自分を良く見せようというのが先立ち、表面上の形ばかりにこだわり、いかにも「出来るようになってる感」を周りに認めてもらいたくて練習してんだと思いました。

 

どこかで出来ない自分を認めたくないし、出来ないと思われるのも怖いから、実際に自分の能力がどれ位なのか?もかえりみず、能力以上のことを限界がわからないまま無理してやろうとする。

まったく自分の本質をみていません。ただただ良く見せたいだけです。

 

この開きが大きいまま走り続けていれば、どこかで悲鳴をあげるように、私の膝も悲鳴をあげたのです。

 

太極拳の足の使い方や体の動き、姿勢など、基礎的なことがわかっていないのに、数年~十数年のベテランの人達の現在の姿だけをみて、自分も同じレベルの様に見せようとしていたなんて、とても浅はかだし、傲慢だったと思いました。

 

実は、これに気づく前まで、太極拳の講座に通っていてチョッとした違和感がありました。

音楽を流しながら練習をするのですが、毎回、流れ始めるとドキドキするんです。

最初は、慣れないから緊張しているのかと思っていましたが、1年以上経ってもドキドキのままです。

これも「間違えない様に」とか「グラつかない様に」「今日は大丈夫かな」「ちゃんと出来るかな」という「出来ないと思われたくない不安」を常に気にしていたからでした。

 

それと、体に妙な力みが入っている感じがしていて、それが中々取れませんでした。

自分では、もっと力を抜いてって思いながらやっても、なんか少し変な力が入っている。呼吸が止まってた時もあります。

これも同じです。

 

自分の弱さからだと認められてからは、自分の現状そのままを素直に、ただ体の使い方の注意点だけを自分の中で守る様にして、今では「出来る」とか「出来ない」とかは関係なくなりました。

すると、始まる前のドキドキが無くなり、体の力みも殆ど感じません。

呼吸もスムーズになってきてるのが自分でもわかります。

 

まさに、心と体は一体ということですよね。

 

先生から「膝の調子はどう?」と聞かれたので、このことを少し話しました。

すると「よく、気づいたね。実は、太極拳は自己認知にも優れているんだよ」と、仰いました。

 

初めて先生と会った時に、私の性質をズバリ言い当てられ「なんで分かるんですか!!!」と驚きましたが、やっぱり見抜かれていたんだ・・・と、おそれいりました(笑)

 

健康やストレス解消に良いことは、習う前から話に聞いていましたけど、想像以上に太極拳の奥深さを知ることにもなったのでした。

 

ストレスが減った今、そこに至るまでを振り返ると・・・。

今週のお題「人生変わった瞬間」

本当にストレスが減ったなぁと実感しています。

 

振り返れば、全ての始まりは40歳過ぎの「マズイ・・このままでは鬱になるかも」と危機感をいだくほどの体調不良になったこと。

 

この体調不良をキッカケとして動き始めたことが、次の流れに結びつき、結果的にストレス減ることに繋がってます。

 

もちろん体調不良の真っ只中は、まさか後々、このことがストレス減ることに繋がるなんて思いもよりません。

 

更年期+子宮内膜症・腺筋症がストレスにより症状を更に重くし、突然、複数の症状が現れるから倒れそうになります。家から出るのさえ怖かったです。

 

倒れそうな症状は婦人科への通院で、かなり改善されホッとしたのですが、ここで先々の自分の体調に不安を感じるようになりました。

 

そこで体質改善のために私が選んだのは薬膳。

体調不良がなければ体質改善なんて恐らく真剣に考えなかったでしょう。

きっと、本気で健康に取り組もうとするなら、もっと年齢が上になってからだろうし、もしかすると、ずーーーっと具体的なことはしなかった可能性もあります。

 

薬膳を学び始めたのは体質改善が目的で、それ以外、例えば「料理教室を開く」とか「薬膳の講座を始める」などの仕事にするという明確なものは持ちあわせていませんでした。

ただ、資格取得も出来る講座を選んだのは、もしかしたら先々、仕事にする具体的な考えが芽生えた時にイイかもというのもあったんでしょうね。

 

その資格の勉強。

上の級に進むにつれ、当たり前なのですがどんどん難しくなります。

とくに最後の国際中医師の資格は、とてもじゃないけど私の記憶力の悪さと集中力の無さでは、このまま勉強してても合格出来ないと、ここでも危機感を抱きました。

 

でも、なぜか「ここで止める」という選択肢は私の中には無かったんです。

 

そこで以前、マインドフルネスをやってみようと本を購入したけど、上手く出来ずに止めてしまったことを思い出しました。

記憶力や集中力のUP・ストレス軽減に良いというものなので、ワラをもすがる想いで、今度は直接、指導を受ける方法にしました。

 

これにより私の中で変化が現れはじめます。

 

すると、公園で太極拳をやっていたおじさんを何度か目にするうちに、急に「面白そう・・」と興味がわき、カルチャーセンターに通うことになるのです。

まったく興味がない分野でした。自分でも不思議です。

 

この教室で出会った先生や生徒の人達は、これまでの私の友達とは違ったタイプの人達なのですが、一緒に過ごす時間は良い意味で、とても気分転換になります。

 

私が何となく選んだ太極拳は「中国伝統楊式太極拳85式」。

とっても難しくて奥が深いです。

よそごとを考えてると「あれ?今どこやってるんだっけ?」と分からなくなります。

だから集中しておこなっているので、この時間はストレスフリーなのです。

(自宅で練習する時も同じです)

 

ストレスゼロになる人生なんて無いし、今でもイラッとすることは当然あります。

ですが、自分の中でイラッとする感情の滞在時間が短くなったのと、回数は圧倒的に減りました。

 

「鬱になるかも」というような体調不良になっていなければ、体質改善なんて真剣に考えることもなかったし、そもそも薬膳を学ぼうとは思いつきません。

 

その薬膳を勉強し始めたことで、自分の記憶力の低下と集中力の無さを改めて知ることとなり、試験に合格できない危機感が生まれたからマインドフルネスを本格的に習い始めた。

 

そして、自分の中に変化が生まれ、太極拳を知り、これもストレス解消に役立つこととなる。

 

どう振り返っても、私がストレス軽減に至る具体的な行動は、やっぱり「体調不良」が全ての始まりだとしか思えないんですよね・・・。

だからといって「ストレス軽減のために、あなたも体調不良になってみませんか?」なんて推奨しているわけではありませんので。(笑)

 

運動するか?サボるか?この葛藤がなくなった。

運動を習慣に出来るかどうか?

「今日はやめて次回にしようかな・・」「やっぱり、やった方がイイかな・・」

 

始める前に、しょっちゅう葛藤することを以前、ブログに書きました。

 

sana-billy.hatenablog.com

 

このブログを書いた時、なぜ私は運動するのか?を時間をかけて、自分に問いかけてみようと言うことで話は終わりました。

 

結果・・・・

私が出した答えは「運動をするか、しないか」を時間をかけて自分に問いかけるのはダメだと言うことです。

 

もともと、私は運動が苦手だし、体を動かすのは好きな方ではありません。

その本質があるから、時間をかけて自分に問いかけてると、どうしてもやらない言い訳が自然に頭に浮かぶので、葛藤したあげくに「結局、今日はやめとこう」となるか、「やっぱり、やった方がイイよな」と気持ちを奮い立たせて重い腰をあげるような感じて始めてるのです。

 

運動を習慣化することに、チョッとした苦痛を感じてしまうので、結局、やらない日の方が増えてしまいました。

あれこれ考え過ぎて動けない状態です。

 

 

運動は続けたいと思うし、習慣になるといいな~という気持ちは確かにあります。

 

だから、こんどは逆の方向で「やるか、やらないか」を考えることを止めてみました。

 

と、いうか「考える時間を与えるのを止めた」ってかんじです。

 

私は、決まった時間帯に運動を始めます。

その日の凝りをほぐすために、夕方5時前後~と決めてるんです。

だから、5時頃になったら考えるスキを与えず、運動する時のDVDを流し始めるようにしました。

「時間だ!」「再生ボタン押す」「立ち上がる」と秒単位の間隔で動きます。

 

そうすると、自分で再生ボタンを押したくせに「あ、始まっちゃった・・・」と同時に、有無を言わせず体を一緒に動かします。

 

動かし始めてしまえば、20~25分位のエクササイズですから「もう、始めちゃってるし・・・」と、そのまま流れるように体を動かし続けてるうちに終わってます。

 

この方が、圧倒的に運動する回数が増えたし、葛藤するような時間も与えていないので、チョッとした苦痛を感じるどうのこうの・・なんて余分なものがわくヒマがないんです。

終わったら、終わったで「あ~良かった」と爽快感がありますから。

 

私は、何でも考え過ぎるクセがあり、それによってストレスを増やしたり、あえて複雑な状態を自ら作ってしまうことがよくあります。

 

あれこれ考える前に、とりあえず動く。

これが、けっこう苦手なのです💦

 

今になって思えば、たかが運動するかどうかなんだから、そこまで考える必要なんてないんですよね。

1コ出来ると、更に出来そうな気がしてきます。

 

運動も習慣化し始めてきた予感がする・・・

なんだかスッキリした気分です。

忙しい日が続いていたので、なかなかブログを書けず、アッと言う間に1ヵ月以上たってしまいました。

時が経つのが、早い・・年が明けたのも、つい最近のような感じなのに、すでに12月に入ろうとしてるなんて。

人生はアッという間と言われるのが、身に沁みる様になりました。

1日、1日を本当に大切にせねばです(ー_ー)!!

内観の奥深さと難しさを痛感・・・。

マインドフルネスを始めて2年は経ちます。

 

身を持って変化を感じられていたので、マインドフルネスをしながらの「内観」も、そろそろ終盤に近付き、ようやく本当の自分のことが理解出来てきたなぁと思っていました・・・・・が、実はそうでは無かったのです。

 

これまでブログにも「気づきによってストレス減った」などを書いてきました。

 

気づきの習慣によってストレスが減ったのは確かだし、自分の感情へ意識を向ける訓練を根気よく続けたお陰で、今まで見てた景色が変わってきたのは事実です。

 

ですが、私の場合、これまでの気づきによる自分への理解は入口近くに来れたまでのこと。

 

まだ、奥の奥にラスボスが控えていたのですが、その存在すら最近まで気づいていませんでした。

正直、これがラスボスなのかは確証が持てませんが、私の中の大きな存在だったのは間違いないです。

 

 

sana-billy.hatenablog.com

 

「内観」が奥深く、難しいと痛感したのは「自分では出来ている」と思い、これが本当の私だと認識したはずなのに、微妙に引っかかる物が残ってる。

 

そこまで掘り下げなくてもイイんじゃないか?と感じる人もいるでしょうし、引っかかる物が自分にとって大きな妨げになる事じゃなければ、特に問題にする必要は無いと思います。

 

自分が消したいとか見たくない奥底の物を、あえて掘り起こすかどうかは、その人の傷の大きさや複雑さによるのではないでしょうか。

 

私自身、掘り起こすことで心の痛みやしんどさを伴いましたが、これまで通り見ない振りして蓋をしたままだと前に進めない気がしたのです。

 

 

マインドフルネスを始めた頃は、自分を知りたい好奇心の方が強く、本当の自分を知る怖さは1割程度だったのに、このとき初めて怖さが9割占めてました。

 

 

背負ってきた過去の人生経験は、誰一人として同じ人はいませんから、苦しさは本人にしか絶対にわからないものだし、とても複雑です。

 

「内観」することが全ての人にとって良いとは限らないと感じたし、果たして本当に出来ているのかすら本人自身も本当は分かっていない。

 

だから、どの時点まで来れば「出来た」と言えるのかさえ分からないし、一生かかっても分からないかもしれないです。

 

私の場合は2年位かかって、ようやく入口の扉が開いた気がします。

この年月は長いのか短いのか?

心の奥底にある絡み合った物が複雑で有れば有るほど、中々、表に出てこない様です。

 

 

人によっては消した事で、ようやく前向きに生き始めたのに、再び大きく傷つくことになり立ち直れなくなるケースもあるでしょう。

 

自分が経験して「内観」は、人それぞれ抱えているものが違うから、全ての人に良いとは限らないと感じたし、心の問題は同じやり方で解決に向かうほど単純ではない。

 

個人的に、私には「内観」は合っていたと思っていますし、これからも続けていくつもりです。

 

元々、ストレスを強く感じるタイプの人の多くは、今までの人生の積み重なった傷と生まれ持った性格が複雑に絡み合っているんじゃないですかね・・・。

 

だから「内観」によって、自分が変わり、前向きに行動し始めるまでには相応の時間がかかるし、本当の心の内は本人にしか分からないし、本人すら分からないことは沢山ある。

 

 

今回、自分にとって効果がある「内観」は言葉で言うほど簡単なものでは無いし、奥が深く難しいものだと痛感させられました。

 





 

「兵馬俑と古代中国 秦漢文明の遺産」見てきました。

2200年以上前の発掘品が直接見られると知り、中国の歴史に疎い私ですが、前売券を購入して見に行ってきました。

 

 

 

まだ開催して数日なのと、平日の朝9:30という時間のため、そんなに混雑していませんでした。

写真撮影も割とスムーズ。

※撮影OKの所が結構あり、チョッと意外でした。

 

間近で見ると、ヒビが入っている所や細かい部分まで見られますし「2000年以上前に、よくこれだけの物を作ったなぁ」と感心してしまいます。

 

きっと、運搬も大変だったろうと思います。

 

展示されているのは秦と漢の時代の物。

 

 

立ってる人達は、みんな190㎝位あります。

 

裾のドレープ感も出ています。

 

 

 

服のしわ・・・

 

 

 

そして、靴底・・・。

 

 

 

本当に乗れそうな大きさです。

 

 

 

漢の時代になると、サイズが小さくなり60㎝位で、作りも変わります。

 

 

 

 

展示品を全部見て回りましたが、サラッと流した所と説明をジックリ読みながら見た所と色々でしたが、約40分弱の滞在時間でした。

 

そして、帰りに名古屋市博物館の近くにある「山田餅 本店」へ寄りました。

元々、お餅屋さんなので大福や草餅が特に美味しいと評判の和菓子屋さんです。

 

確か、TVで活躍されてる林修先生が「山田餅」の草餅が日本で一番美味しいと仰ってたらしいとか・・・?

 

 

これが草餅です。

1個150円とは安い。

 

 

中の餡は甘さ控えめです。

包んであるお餅も厚めで、ヨモギの香りがとても良いです。

中も外も本当に美味しかった。

 

名古屋生まれ、名古屋育ち。

名古屋市博物館に行ったのは生まれて初めてです。

 

たまにはこういう機会もイイものだと思いました。

また興味惹かれる展示会があれば行ってみよう・・・。

自分の奥底に向き合ったら泣けて、泣けて・・大泣しました。

奥深くにある自分の認めたくない部分に向きあうのは、やはりしんどい・・・。

 

これまでも自分のイヤな部分や見たくない事に気づく、受け入れる、向きあう、認める・・・をしてきたつもりだったのに、本当に奥底にある核心的な所までは行けていなかった様です。

 

 

私は人前で泣くことが本当にイヤでした。

 

なぜ、そうなったのか・・・・

 

幼少期の頃から、泣くと親に酷く怒られました。

怒られるから、また泣く。

 

すると、さらに怒鳴りつけられる。

 

「泣くな!!」

「いつまで泣いてる!!」

「なんで泣くの?バカじゃない?」

「みっともない!」

 

泣きやまないと、どんどんエスカレートしてきます・・・。

 

大人でも怒鳴られるのはイヤなのに、子供の私にとっては本当に恐ろしかったです。

 

子供ですから感情のコントロールなんて上手く出来ないのですが、それでも泣きそうな時はギリギリまで堪えてたと思います、怖いから。

 

こういう積み重ねをしてると、本当の自分の感情を抑えることが自然と身に付きます。

 

とにかく「泣くことはみっともない」とか、泣いてる私を「すぐ泣く」とバカにした様に言われ続けましたから、泣くことに凄く抵抗を感じていました。

 

泣く=みっともない、弱い、情けない。

 

これが私の考え方として根付いています。

 

学校や職場で誰かが泣いていても「どうして、その程度で泣くんだろう?」と理解出来なかったし、腹が立つ時さえありました。

 

素直に泣ける人の事が羨ましかったんでしょうね・・・。

その時は、そんな事を言われても気づかないし、否定してたでしょう。

 

今回、自分に向き合うと色んな記憶が蘇り、様々な繋がりが有る事が分かりました。

その中の1つが「泣く」。

 

滅多に泣かない私に対して周りは「強いねぇ」と言う。

言われた私自身も、泣くのは弱いからと思い込んでいるので「強い」と言われれば良かったと安心する。

 

私は「強い」と思われてるから、今さら泣くことなんて簡単には出来ないし弱音も吐けない。

 

「強い」振りをすることを続ける。

 

続けてるうちに、それが当たり前になり更に弱みを見せられない。

 

これが50年くらい続いてます。

 

 

もともとの私は凄く泣き虫で怖がりだったという事に気付きました。

と、言うより思い出した?って感じでしょうか。

 

 

赤ん坊の頃、夜泣きが酷かったそうです。

それだけではなく、病院で注射を打つ時の泣き方が他の子供に比べて尋常じゃなかったとの事。

 

当時の私を知る医師や看護師から、20歳位まで「注射大丈夫?」と、行くたびに聞かれてました。

 

「大丈夫だよ」と答えると、決まって「本当に強くなったね~」と、微笑ましい感じで言われます。

 

「私、そんなに子供の頃に泣いてたの?」と尋ねると「そりゃ~もう、凄かったよ~(笑)」です。

 

医師や看護師の私へのイメージは「よく泣く子」

あと、神経が過敏で繊細だったみたいです。

痛いとか怖いことには過剰に反応するし、怯えやすい。

 

 

本当は泣きたいけど、泣いたら怒られるし、それによって怖い思いをする。

何とか本当の私が表に出てこない様に抑え込むしかなかったです。

 

「泣く=弱い」

だから、自分の中で「泣き虫、弱い、怖い」を絶対に認めちゃいけないし、人に知られてはいけないという意識が働くので、いつの間にか私の中には無いものとして蓋をしていました。

 

だけど、いくら無視しようとしても有る。

 

50年・・・無意識に偽りの自分を演じていると、やっぱり違和感と言うか悲鳴と言うか・・・歪みが出てくるんですよね。

 

こうして向き合ううちに様々な事が蘇り、幼稚園に行くか行かないかの年齢の私が本当によく堪えて、自分なりに頑張ってたなと思うと泣けて、泣けて・・大泣きしました。

 

2日間、泣いてばかり。

目がパンパンです。

 

 

少しだけ痞えがマシになった様な気がしますが、まだ気分は落ちてるし涙は出てきます。

 

長い年月を考えれば簡単にいかないのは感覚的にもわかる・・・。

だけど、私には必要だと感じているので、無理せず続けていこうと思っています。