今週のお題「一生モノ」
私にとって「一生モノ」は鍋。24㎝のストウブ鍋です。
10年位前に楽天でポイントを使い購入。自腹で払った分は5000円ほどですが、それでも「鍋に5000円」は正直高いと思いました。
高いと思いつつ購入したキッカケは、この鍋を使えば少しは料理の腕が上がった様にみえるんじゃないか?と感じたからです。
私は料理はたまにしかしませんし得意ではありません。
ほとんど母がしています。
毎日料理をしていれば「あれ?チョッと失敗したかな?」ということがあっても「たまにはそういう事もあるよね」で終わると思います。
でも、たまにしか料理をしないのに、そのたまにの時にイマイチな出来上がりになってしまうと日頃の成功例が少ないために「やっぱり私には向いてない・・・」と、どんどん諦めモードに傾いていきます。
「たまにしか料理をしない人にかぎって時間のかかる凝った料理を作りたがる」と何かで読んだことがあります。
まさに私がそうです(笑)
自分でも料理のハードルを上げてますね。
今よりも更に料理がヘタだった頃、私が「今日は私が作ろうかな」と言うと家族みんなが「えっ、作るの?」と不安そうでした。
その後の言葉は口には出さないものの「いったい何を食べさせられるんだろう、大丈夫か・・・」と顔に書いてあります。
私が最初に習った薬膳の先生が「料理の腕に自信が無い人は、まずは良い材料と調味料を使えばそれだけでも違う」と言っていました。
確かに少しは腕が上がった様にみえますが、私にはそれでも不十分だと感じたので鍋にも助けてもらおうと思ったのです。
普通の鍋との違いを最初に感じたのは「ラタトゥイユ」を作った時です。
食材を大きめに切って、クタクタになる様には煮込まずに味付けは塩とローリエのみ。
(NHKきょうの料理で紹介されていたレシピです)
それぞれの野菜の味が本当によく分かり、料理全体というよりも食材そのものの美味しさの方が引きたっていました。
明らかに私の腕は関係なく鍋のお陰だと思いましたが、その中の一部には恐らく「この鍋で作ったんだから美味しいに違いない、美味しいと思いたい」ということも頭の中で無意識に働いていたかもしれません。
例えば自分の子供が初めて作ってくれた料理を食べた時。
「この子が一生懸命に作ってくれた」という想いも加味されて、味そのもの以上に美味しく感じられると思います。
自分の想い、または思い込みが前提にあると自分の感覚にも影響することを、このブログを書きながら改めて思い出しました。
料理に限らず「良い、悪い」ともに様々な出来事についても同じ事が言えるのではないでしょうかね。
でも、「ラタトゥイユ」
美味しかったのは間違いないです。
それ以外の料理でもストウブ鍋を使っています。
いまだにイマイチな出来上がりになることもありますが、鍋に助けられつつ昔よりは成功する確率が上がりました。
料理をする私にあんなに不安を抱いていた家族が、現在ではストウブ鍋を準備し始めると「今日は何?」と少し楽しみにしてくれてる気がします。
たまにしか料理をせず、しかも毎回ストウブ鍋を使うわけでは無いので登場回数は少ないです。
使い終わった後は普通の鍋よりひと手間かかりますし、とにかく重さがハンパないので洗う時に腕が疲れます。
それでも買った当時と変わらず今でも機能してますし、まだまだ衰える気配はありません。
あとは、年齢とともに「つい、うっかり」が増えるので、手を滑らせて落とさない事を心掛けるだけです。もし蓋を足の上に落としたら複雑骨折間違いなしですから。
当時は高いと思ったストウブ鍋ですが結果的に買って良かったですし、今では全然高い買い物では無かったと思えます。
(正直、全額実費なら買って無かった可能性高いですが・・・💦)
長い人生の中で「一生モノ」と思えるものは多くありません。
だからこそ、せっかく出会ったものは本当に大切にしないといけませんね。