泣くことがストレス解消に役立つ理由とは
薬膳を勉強し始めた15年位前、教えて下さっていた先生が「笑うよりも泣く方が免疫力が上がる」と仰っていました。
当時の私は、泣くという行為に無縁(泣く状況が無いのではなく、泣く事に強い抵抗感があったから)だったことと、なぜそうなのか?という部分の説明までな無かったので「そういうものなのか」と漠然と聞いていました。
それ以降も、私が「泣く」方を調べようとしなかったこともあり、目にするのは「笑うと免疫力が上がり、ストレスも軽減される」という方ばかりだった気がします。
ですが、少し前に読んだ本の一部分に「泣くこと」と「ストレス」の関係性が書いてありました。
ストレスって、結局は脳と大きく関係していますけど、「泣くこと」により脳にどのような影響を与えるのか?という内容です。
例えば泣ける映像を見ている時、人は間違いなく「泣き出す数秒前に、前頭前野の血流が激しく増加する」ことが明らかになっているそうです。
この前頭前野の働きは何?というと
◎考える
◎感情をコントロールする
◎状況にあわせて判断する
◎集中する
◎ヤル気をだす
◎集中する
だから、前頭前野の血流が低下すると、倦怠感や意欲・集中力の低下を招き、うつ傾向になってしまう。
通常なら、怒りを誘発する刺激を受けても、数秒でその情動を抑えるためのブレーキが作動するから「キレる」までには至らない。その機能を前頭前野が担っている。
前頭前野が上手く働かなければブレーキが作動しないので、キレてばかりいるという状態になるということです。
また、映像を見ている時、見ている最中は、覚醒状態なので交感神経が優位になっているが、途中で泣き始めると、副交感神経が優位に切り替わる。
心拍数の減少もみられるし、人によっては消化機能も高まり、空腹を感じる人や眠くなる人もいる。
言われてみれば、私も泣いた後、みょうに眠くなった経験があります。単に泣き疲れただけかと思っていました。
人が泣く時のコルチゾール(ストレスホルモン)を測定してみると、コルチゾールが抑制されていることも確認されています。
人は覚醒状態であっても、泣くと、癒しの心と体に切り替わってしまうのです。
ただ、泣けば何でもいいのか?と言うとそうではなく、目にゴミが入った時に出る涙や、玉ねぎを切った時に出る涙とは違います。
涙の成分そのものが違う。
目にゴミが入った時や玉ねぎで流す涙の成分は、ほぼ水。
でも感情的な涙にはストレスホルモンが多く含まれているそうです。
だから感情的に涙を流して泣くと、ストレスホルモンも一緒に外に出ていくため、ストレス減少に繋がる。
泣ける映像を見ている分には、その映像に対してのストレスは無いので、ある意味気楽な精神状態です。
でもそれ以外で「泣く」という時は、悲しさや悔しさなどの原因があって泣けるわけです。
出来ればそんなことは避けて通りたいし、泣ける様なシチュエーションには出会いたくないですよね。
それでも現実社会では、残念ながらその様な場面は数多く訪れてしまいます。
あまりにも頻繁に泣き過ぎるとか、日常生活に支障が出るほど泣いてばかりいるのは問題ですが、そうじゃなければ、ストレス社会では泣くことも大切だと思えます。
著書の方自身の印象でも「笑うよりも泣く方がスッキリ感が強く、長続きする」と感じているとのことです。
私は昔、7年間くらい働いていた会社で泣きたいと思うことはしょっちゅうでしたが、絶対に人前では泣かないと頑張っていました。かなり精神的にハードな職場で、泣かない人はいませんでした。でも、どうしても堪えきれなくて1回だけ泣いてしまったことがあります。
一気に堪えていたものが全部あふれ出たので、なかなか涙が止まりません。
ですが、泣き終わった後は、やはりスッキリしたというか肩の荷が降りたというか・・・張りつめていたものが解き放たれた様な解放感だったのを思い出しました。
泣くとストレスが解消するように人間の脳は出来ているということなんですよね。
やりたい事に迷いが生じた時
「ようやく自分のやりたい事が見つかった!」「もしかしたら、これが自分のやりたい事だったかも!」となれば、人生も明るくなり前向きな気持ちになりますよね。
私も「ようやく・・!」とか「もしかしたら・・!」と、ひらめきの様に頭に浮かんだ時は、自然と気合いも入り、普段ならなりを潜めている行動力も出てきます。
ですが、その目標に向かって続けているうちに難関にぶち当たると「チョッと無理なんじゃないか・・」と諦めムードが漂いはじめ、今度は「本当にやりたい事なんだろうか?」「別の人生を考え直した方がいいのではないか?」と、色んな迷いや逃げが現れて立ち止まってしまいます。
この繰り返しを何度もしました。
で?私のやりたい事は何なんだろう?
頭に浮かぶのは、やはり同じ事。
と、いう事は「やっぱりこれなのか?」それとも「他に浮かばないから、これしか出てこないだけのか?」「これだとしても、この難関が・・どうすればいいのか」
もう、ワケがわかりません(笑)
このまま迷っているだけで何もせず人生終わるのか?
何度かそんな堂々巡りが始まった頃、「これをここで諦めて辞めてしまったとしたら、死ぬ間際に私はやらなかった事を後悔するだろうか?」と頭に浮かびました。
その時「あー、これ絶対に後悔する」と、理屈ではなく純粋に思いました。
「なんで諦めてしまったんだろう」「なんでもっと全力で頑張ろうとしなかったんだろう」と、私は絶対に後悔すると。
仮に目標が達成出来なかったとしても「なぜもっと全力で」という想いが出てこないくらい頑張ったのなら、そこまでの後悔は無い気がします。
これまでは「やりたい事は何だろう?」と自分に問いかけてきましたが、無意識に「やれたらいいな~」というフワッとした願望として捉えていたのかもしれません。
【死ぬまでにやりたいことリスト】を書こうとすれば、スラスラと色んなことが出てきます。
○○に旅行に行きたい、○○へも遊びに行ってみたい、○○を見たい、○○が欲しい、○○を勉強したい・・・
もし、これらが実現できなかったとしても残念には思うでしょうが、そこまで強い後悔にはなりません。
実際には、後悔しない人生を終える方が難しいかもしれません。
あの時こうすれば良かった、もっとこうしてあげれば良かった、他に良い方法が無かったのだろうか?など、後悔の大きさも様々だし、結局はキリが無いかもしれません。
ただ、今の時点で「これを途中で諦めたら絶対に後悔する」と分かっているなら、とことんやってみるしかない、それでダメだったら、そこまで大きな後悔にはならないはずです。
その時の精神状態によっても、受取る言葉の印象や捉え方は変わります。
私の場合「本当にやりたい事なのか?」より「死ぬ前に、これをやらなかった事を強く後悔するだろうか?」と問いかけた方が、自分の気持ちに確信が持てるようだと感じました。
以前よりも確信が持てるようになったせいか、自分では超えられないのでは?と感じていた難関も「いや、これならもう少し踏ん張ればイケる」と考えが変わりました。
今でもチョコチョコ難関は出てきますけど、まだ私は生きてるし、時間もある(恐らく💦)
50代後半になったから「死ぬ間際に・・」なんて言葉が身近になったんでしょうかね。
たったこれだけでも気持ちが鎮まる呼吸
なんだか心がザワザワして気が鎮まらない、動揺して心ここにあらず、あるいは緊張して気持ちが落ち着かない。
そんな時、対処法の1つとしての深呼吸。
もちろん私も試したことは何度となくありますが、正直、それで効果を感じた事はほぼありません。
「まぁ、やらないよりはいいか」と、儀式の様な「形だけ」の深呼吸をおこなっていました。
でもこれ、「深呼吸」に効果がないのではなく、私のやり方が間違っていたから効果を感じられなかったみたいです。
私は「深呼吸」をする時、空気をたくさん取り込む様な感じで、目一杯「吸ってー」、そして一気にフーッっと吐き出していました。
当然、「吸う」方を意識してます。
実は、これが逆。気持ちを落ち着かせたい時に効果的な「深呼吸」は、「吸う」よりも「吐く」「吐ききる」ことが重要だということでした。
実際に試してみると、今までの「深呼吸」とは違い、ユックリ息を吐いていく過程で徐々に気持ちが落ち着いてくる様な感覚。
これを数回繰り返していると、かなり落ち着きます。
座ったままでも立ったままでも「たったこれだけで?」と言うくらいに簡単です。
なぜ「吐く」ことが重要で「吐ききる」ことが気持ちを落ち着かせることに役立つのでしょうか?
それは、呼吸と脳との関係が非常に深いからだそうです。
元々、息を「吸う」時には交感神経が優位になり、「吐く」時には副交感神経が優位になる。
日々、ストレスにさらされながら日常生活を送っていると、どうしても交感神経が優位に傾きがち。
だから呼吸が浅く、速く、自分で自覚がないうちに「吸う」方が多くなっていて、息をしっかり「吐く」ということがおざなりになっている。
呼吸をすると連動して横隔膜が動きますが、この横隔膜を支配している神経が横隔神経。
この神経が横隔膜と脳をダイレクトに繋いでいるとの事。
息を吸ったり吐いたりする時に、呼吸と連動して上下に動く「横隔膜」の状態の情報を横隔神経を通じて脳に送っています。
例えば、全速力で走れば呼吸が速くなる。
すると、横隔膜も素早く上下し、横隔神経を通じて「体を動かしている」という情報が脳へ伝わる。
逆にユックリした呼吸をしていると、横隔神経を通じて「落ち着いている」という情報が脳へ伝わる。
横隔膜の動きが速くなっているよ、という横隔神経からの報告を聞いた脳が、それらを「ストレス」と感知して、コルチゾールやノルアドレナリン、アドレナリンなどのストレス物質を分泌させてしまうそうです。
長い期間、プレッシャーによるストレスで呼吸が浅く、速い状態が続くと、やがてコルチゾールやアドレナリンなどの分泌が止まり、今度は、何もヤル気がおこらない、活動的になれないなど、ストレスに対処できない状態に陥る。
いつもストレス状態だと、交感神経が優位に傾くので、無自覚のうちに呼吸も浅く、速く、横隔膜の動きも速くなりがちです。
だからこそ、横隔膜の動きが速くならない様に、あえて意図的にユックリ「吐く」「吐ききる」呼吸をして、横隔神経から脳に「落ち着いている」と伝えてもらいます。
また、緊張などで息が上がり、瞬時に呼吸を整え気持ちを落ち着かせたい時には、あえてユックリ「2回吸い、1回吐く」。
「スー、スー(吸う)」「ハー(吐く)」というのを2~3セット繰り返すと、呼吸が落ち着くと同時に、ザワザワとするような感情も収まるとの事です。
これらは、スタンフォード大学の学生のスポーツ選手達のトレーナーをされている方が書いた本に紹介されていたものです。
そういえば、MLBに行った藤波投手も「メジャーで、息を吐くことの大切さを教えてもらった」と言っていた様ですね。
昔、腹式呼吸のやり方が分からなくて、ネットで調べたら「一旦、ユックリ息を全部吐ききる。そうすれば意図して吸い込まなくても自然と空気が入ってくる」というのを参考にしたら、簡単に出来た覚えがあります。
呼吸は無意識にしているものなので、意識しないと自分の呼吸は浅いのか速いのかなんて気にしていません。
なんだか心がザワザワして気が鎮まらない、動揺して心ここにあらず、あるいは緊張して気持ちが落ち着かない・・・
そんな時の対処法の1つとして「吐く」「吐ききる」ことからしてみてはいかがでしょう。
私は効果を感じました。
チョッと意識してみては?
今週のお題「餅」
「お題」の内容からズレてるんじゃない?と思われるかもしれませんが、「餅の食べ方」と聞いて真っ先に頭に浮かんだのは「喉に詰まらせないようにしなきゃ」という事だったので、ズレているのを承知で書いてみました。
お正月になると、必ず餅を喉に詰まらせて救急搬送される方や亡くなる方のニュースが流れます。
ほとんどが高齢者ですが、意外なことに1割弱の割合で若い人もいるそうです。
誰もが餅を口に入れる直前まで「まさか自分が」餅を喉に詰まらせるなんて考えていないと思います。
習慣として身についた食べ方を、いつも通りに無意識にして食べてたら喉に詰まってしまったとか、あるいは自分では気をつけていたつもりだったけど詰まらせてしまったなど、きっと自分でも予想外の出来事だったはずです。
私も若い頃は「餅を喉に詰まらせる」なんて、自分とは関係ない様に思っていましたが、50代後半になった今では他人事とは思えなくなりました。
食べ物を喉に詰まらせた経験はまだ有りませんが、40代半ば頃と比べるとやはり飲み込む力(嚥下力)が衰えたという実感はあります。
これに気づいたキッカケは「ゆで卵」
40代半ば頃までは「ゆで卵」は2回に分けて食べていました。フタクチです。
私としては、普通の食べ方だと思っていましたが、友達から「フタクチ?喉に詰まりそうにならない?普通はもっと分けて食べるでしょー」と言われて、半信半疑で職場の何人かの女性にも聞いてみましたが、みんな「4~5回、もしくはそれ以上」との回答でした。
「ゆで卵」半分程度の大きさで喉に詰まりそうになるなんて、逆に「え?そうなの?」と言う感じでした。
それが40代半ば過ぎになったあたりから、喉につまりそうとまではいかなくても何となく飲み込みにくさを感じたのか、自然と4~5口に分けて食べる様になっていたのです。
この時に初めて「飲み込む力が衰えてきたんだなぁ」と自覚しました。
私は子供の頃から食べるのが早いです。
急いで食べようとしている意識は無いのに、長年の習慣通りに食べてるだけで周りの人達より圧倒的に早く食べ終わります。
どんぶり片手にかきこむ様な食べ方はしていませんが、ひと口が大きいのと、あまり噛んでいない点が早さに繋がっているようです。
※昔、お笑い芸人の人が「カレーは飲み物です」と言ったことに心の底から共感した覚えがあります。
衰えを感じたことと健康面から、意識してゆっくり食べる様にしたら現在は少し遅くなったのですが、それでもまだ一般女性の中では早い方だと思います(笑)
正直、この「意識して」ゆっくり食べることは、長年しみついた習慣を変えることなので私にとって最初はチョッと大変でしたけど。
この飲み込む力の衰えを感じて、ここ2~3年は餅を食べる際はとくに意識して食べる様にしています。
なぜ「とくに」意識してなのか?
飲み込む力が低下したからだけではなく、加齢とともに脳も含めた身体機能の低下で、自分では「これくらいなら大丈夫」だと思っている感覚と、実際の身体機能のズレがあるからです。
昔、TVで「年を取ると、なぜつまづく事が多くなるのか?」という事を紹介していました。
通常、この段差ならこれくらい足を上げれば大丈夫と思って足を上げようとする。
自分では、その高さまで足が上がっているという感覚だが、脳を含めた身体機能の低下によって、実際には必要な高さまで足が上がっていないというズレがあり、その結果つまずくと言う様な内容だったと記憶しています。
ただでさえ飲み込む力が以前と比べて低下しているところに、自分では「これ位なら大丈夫」と思って口に入れた餅が予想に反して喉に詰まるという事態になる可能性が高いと思ったからです。
日頃から餅を食べる頻度が多い人は大丈夫かもしれませんが、私は正月以外あまり食べません。
よっぽど意識して自分を観察していないと、何かの出来事が無い限り飲み込む力の低下具合なんて気がつかないものです。
おめでたいお正月、私も「まさか自分が・・・」にならない様に、
◎ひと口分をいつもの食事より小さくする。
◎いつもよりよく噛む。
◎餅を食べる前に飲み物を飲んで潤す。
これらを意識して、後は皆さんのお勧めの「餅の食べ方」を参考に美味しく食べたいと思います。
理由にもならない理由で文句を言う人もいる。
色んな価値観や考え方をする人がいるんだなぁとつくづく感じます。
先日、谷原章介さんが番組でサッカー日本代表の森保一監督へ花束贈呈した時の発言。
「男からで申し訳ありません・・」
この性別を引き合いに出したことが、少数の人から批判を受けたとの事。
正直「こんな事で批判されるの?」
私自身、同性からよりもカッコいい男性から花束貰ったら、もっと嬉しいけどなぁと単純に思いました。
1つの発言に対して様々な見方や捉え方があるから、真逆の意見が出てくること自体わかりますが、こういうこと全部を気にしてたら何も喋れなくなってしまうし、何も出来なくなってしまうなぁと感じました。
職場でも色んな人がいます。
何に対しても文句を言う人。
自分が気に入らない相手の事を、他の誰かが褒めると「でも、あの人は・・」と悪い面ばかりを強調してくる人。
同じ行動をしても、自分と仲が良い人がする分には問題ないけど、それを気に入らない人がしていると許せないと言う人。
私が小学校5・6年の時の話です。
その当時の担任は30代半ば過ぎの女の先生でした。
理科室で顕微鏡を使った授業をしていて、その後片付けの時。
私と同じグループの女子が薄っぺらいカバーガラスを洗って優しく拭いていました。
すると「あっ、どうしよう・・・」と呟いたので、私達が「どうした?」と聞くと、手元のカバーガラスを見せてくれました。
一瞬パッと見では分からない位でしたが、ほんのわずか角の部分が欠けています。
彼女は勉強も出来る方だったし、とても優しい感じの良い子です。
日頃からミスばかりするようなタイプでもありません。
不安そうな顔をしながら「先生に言ってくる・・・」と、教壇に立っている担任の方へ向かいました。
突然、教室中に響き渡るような怒鳴り声で
「何やってるの!!!!」
「ちゃんと注意しないからでしょ!!」
と、烈火ごとく怒りだし、彼女は泣き出してしまいました。
私達は、カバーガラスを欠けさせてしまうとあんなにも怒られるんだ・・・と、ビビりました。
その彼女が泣きながら私達の所に戻って数分後。
教室の後ろの方で
「ガッシャーン!!ガシャガシャガシャガシャ!」
とスゴイ音が。
みんなが振り返ると一人の男子が試験管を誤って落とし、何本も割ってしまっていました。
さっきの件があるので「カバーガラスでもあんなに怒られるんだから、試験管なんてどれほど怒られるんだろう。しかもあんなに何本も」と、クラス中がシーンとなり、割ってしまった男子もその場で固まり、割れた試験管を見ているだけでした。
「もぉ~、気を付けなさいよぉ~~」
「危ないから~怪我しないようにねぇ~~」
と、笑いながら、しかも猫なで声の担任。
何なんだろう・・この違い。
間違いなくクラス中のみんなの頭の中は「???」だったと思います。
さっきまで泣いていた女子も唖然としてました。
この担任には、これ以外にも沢山の逸話があり、今なら問題になるでしょうが、その当時は運が悪いと諦めるしかありませんでした。
大人になった今でも、どんな方向から見ようがこの先生がしていた子供達への接し方には納得できません。
子供相手の学校の先生じゃなくても、会社にはこういう上司、先輩、同僚がいる所はあります。
言われた方は傷付くし、この状況を何とか回避したい気持ちも分かるけど、理不尽なことを言ってくる理由は、内容よりも「気に入らない相手がやってることだから」が前提になってる。
会社で、こんな理由にもならない理由で何かにつけて仕事の文句を言われるなんてやってられません。
だから回避したいがために、そんな相手に必要以上にへりくだる態度をとったり、自分が無理に合わせようとしても「いったい自分は何をやってるんだろう」と虚しさしか湧いてきません。
意味不明な相手に気に入られようとするなんて、そもそも相手がどんな人が好みなのか?そんな人の好みを自分が知りたいのか?そんな人に好かれる様な人間に自分はなりたいのか?
きっと、相手もストレス溜まっているんでしょうが、自分がそのハケグチにされていい理由なんてない。
そんな何様的な人間のストレス発散に自分は貢献したくもない。
そう考えると、とても馬鹿げてると私は思ってしまいます。
そんな相手とは自分から距離を取った方がいいし、それで仕事に支障が出るなら上司なり会社に相談するのも仕事の内。だって、仕事に支障が出るんですから。
それでも改善せず上司や会社も動かないなら、従業員をその程度の価値だと考えている可能性が高い会社ではないでしょうか。
現実を考えれば勇気がいることだけど、変わる見込みが無ければ自分の心と体を守るためには辞めた方が正解だと思います。
世間には働く場所は幾つも有り、変えることは出来るけど、体はたった1つしか無いし変えがききませんから。
実話をもとにした切ない韓国映画
お題「邦画でも洋画でもアニメでも、泣けた!というレベルではなく、号泣した映画を教えてください。」
1971年に韓国で実際に起こった事件を映画化。
映画が公開される前に、この事件のことをたまたまテレビで紹介していて「へぇー、こんな事があったんだ・・」と、初めて知りました。
番組の中では、その事件に関わった数少ない生き残った方へのインタビューもあり、結構興味深い話でした。
韓国政府が、死刑囚などの重罪を犯した犯罪者たちを集めて極秘に特殊部隊として訓練。目的は北朝鮮の金日成暗殺のため。
にも拘わらず、結局は政府に裏切られ、その様な計画すら無かったことにされる。
大体のあらすじを知った上で観てるし、とくに犯罪者に寛容でもないんだけど・・・・何だかやっぱり切ない・・・これが実話だと思うとなおさらです。
ラストは号泣しました。
他にも泣けた映画はあるけど「号泣した映画は?」と聞かれると、最初にこの映画が浮かびます。
あと、テレビ番組で号泣したのはアニメ「フランダースの犬」の最終回。
これは何度みても毎回泣けるのですが、自分が犬を飼ってからは号泣に変わりました。
今回のお題「号泣した映画」と聞いた時に、まず浮かんだのが「シルミド」
そして「フランダースの犬」。
それと同時に、私の幼稚園の頃のことを思い出しました。
それは、アニメ「みなしごハッチ」を観て泣いた時のことです。
※その後「みなしごハッチ」から「みつばちハッチ」と名前が変わりました。
まだ、小さいから感情を隠すことなく素直に涙が出たんでしょうが、その時に親から笑いながら「なに?泣いてるのぉ?」みたいに茶化された記憶があります。
子供心に、テレビを観て泣いたことが何だか恥ずかしかったような記憶です。
そういうことがキッカケとなったのか、いまだに家族の前ではテレビをみて泣きそうになると、どうしても我慢してしまうんですよねぇ。
うちの家族、みんなそうです。
何十年と続いてきてる家族間のビミョーな雰囲気。
「泣きたいなら我慢せずワーッと声だして、涙流しながら観ればいいのに・・・」
不思議に思う人もいるでしょうが、当たり前の様に過ごしてきた長年の家族間の雰囲気を今更変えるって、なかなか難しいです💦
まっ、いつかはやってみようかと思いますが緊急性はないので、とりあえず「保留」ってことで(笑)
いつかはテレビ観ながら家族の前で何枚もティッシュ使いながら泣ける日がくるのかなぁ?なんて・・・このお題をみて思いました。
森林浴とタメ息でのストレス緩和。
森林浴はストレス解消に良いと言いますが、このような研究結果も実際にあるようです。
森林の中で休憩した場合と森林の外の日陰で休憩をした場合の統計を取ると、あきらかに森林の中で休憩した人の方が「イライラ、不安、意欲の低下」が改善されたとの事。
そして検査をした結果、血液中の酸化ストレスも改善したそうです。
今の時期は寒いので長時間いると風邪をひいてしまいそうですが、怒りで頭に血が昇ってカーッとなってる時には、暖かい恰好をして緑を眺めながら頭を冷やすのも個人的にはイイんじゃないかと思います。冷え症じゃないかぎりは。
もし、あまりの寒さで「寒すぎる・・・・・何でこんなに寒いんだよぉー!」と、今度は自然相手に腹が立ったとしても、人間関係での腹立たしさとは違い真剣な怒りではありません。
人間関係での怒りだと、その時の状況を再び思い出して対象相手のことで頭がいっぱいだから、なかなか怒りがおさまらないし厄介。
この想いが長い時間、自分の中にいるのが本当に鬱陶しいです。
だから、寒すぎて腹が立ったとしたら人間関係のことが「一瞬」頭から離れるので、チョッとは冷静になることへ役立ったのでは?と言う見方も出来ます。
少し頭が冷えた後に暖かい飲み物を飲めば、身体が温まると同時に癒される様な感覚にもなります。
まるで体が冷えた時に暖かいお風呂や温泉につかって「あ~極楽、極楽~」というのと似てる・・・。
そういう時は、大体「フ~~~ッ」と無意識に大きく息を吐いて呼吸も穏やかになってきます。
緑の無い街中でベンチに座って休憩している時と、森林の中や緑が多い場所で休憩している時との呼吸を意識して観察すれば、自分でも違いに気づくのではないでしょうか。
ストレス緩和に深呼吸も良いとされてますよね。
中医学では昔からストレス感情で気の流れが滞ると言われています。
気の流れと呼吸との関係はとても深いです。
例えば「タメ息」。
タメ息をつくと、よく幸せが逃げると言いますが、実はタメ息は気の流れ整えるものだと考えられています。
だから無意識にタメ息をつくのは、滞っている気の流れを整えようとして出てしまってると。
そもそも気分の良い時にタメ息って出ますかね?
私は出ません(笑)
ただ、あまりタメ息ばかりついていると、とくに職場では周りの人達から「どうしたの?」と心配されるでしょうし、良く思わない人もいるでしょう。
そういう時はトイレの中とか、途中の通路で一人になった時などを見計らって吐き出す方がかえって気を遣わずにすみます。
最近、天気が良い日が続いているのに、緑地公園での早朝散歩に行けていませんでした。
今日、久し振りに行ったらやっぱり清々しい気分です。
早朝に行けない代わりに、何度か夕方に出かけたこともあります。
早起きが苦手だった頃は、夕陽を見ながらイヤな気持ちを何とか癒そうとして夕方ばかり行ってました。
それはそれで、ほんの少し癒されます。
空がオレンジ色に染まっている夕陽も綺麗なのですが「今日1日も、そろそろ終わりか・・」と、早朝散歩を知ってからは、なんだか物悲しさを感じるようになりました。
やっぱり朝は「ここから1日がスタート!」なので、テンションが上がりやすい。
だから私は朝の散歩の方が好きです。
40代前半までは完全に夜型人間でしたが、今ではスッカリ朝方人間に変わりました。
この変わりよう・・・正直、自分が一番おどろいています。
ちなみに今朝の散歩で撮った写真。