ストレスで暗闇から抜け出せないと諦めかけている人へ。老婆心ながらひと言。
「これはイイ!」「効果が出るかも!」「人生変わるかも!」
そんな想いで始めたのに結果が出る前に辞めてしまった。
私は数えきれない位、こういう経験してます。
やってる途中で、自分が求める結果への進み具合が遅かったり、何も感じられないと「やっぱりダメだ、効果ない」と辞めてしまう。
確かに効果がないものや、その人にとっては向いていないこと、間違った方向性に進んでいたのなら早く軌道修正した方が良いに決まってます。
ただ、結果が出るまでにかかる時間は内容や個人差によって違うから、本当に無駄なのか、向いていないのか、それとも諦めずにもう少し続ければ効果が現れるのか、諦めても後悔しないものなのか・・・この先、続けるかどうかを判断するタイミングの見極めは正直むずかしいですよね。
タイミングが早すぎると「ここまで頑張ってやって・・あと、もうチョッと続ければ効果が出てくるのにーーー、惜しい!!」ということも十分あり得ます。
例えば、私は何十年とストレスが強いと自覚してきているので、色んなストレス解消法や思考を変える試みをしてきました。
「もう、ここは限界!」と感じれば職場を変えたこともあります。
ストレスにどっぷり浸かっていた当時は「明けない夜はない」と言われても私には明ける気がしなかったし、その暗闇から抜け出せるような自分にとっての具体策はこれ以上浮かびませんでした。
良かれと思って様々なことを試しても結果が見えてこないと感じれば、やっぱり途中で辞めてしまいます。
だから、こんな状況はイヤでイヤで仕方がないんだけど「きっと、死ぬまでこのままなのかな、私・・・」なんて諦めかけていた自分もいました。
現在はストレスが減りましたが、その経緯は以前のブログで紹介しました。
最近、人生の振り返りをすることがあります。
これは過去のことを悔やむという振り返りではなくて、これまで過ごしてきた私の人生の意味って言うんでしょうか・・・。
ストレスに悩まされてきたこれまでの人生とか、50代半ばの年齢というタイミングでストレス減ったこと。
「全部の出来事に意味があった」とまでは、まだまだ言えませんが少なくともこの2つに関しては、今の私に必要だった経験や年月だったと思えるようになりました。
一見すると、やってることは直接関係ないように見えたり、遠まわりして時間をムダに使っているようにも思えるのですが、思わぬところで何がどこでどう繋がるかは分かりません。
ストレス減ったのを実感したのは50代半ば。
私自身、年月だけ聞けば長いと感じるし、自分が30代の時なら「エッ?そんなに先?気が遠くなる・・・💦」と、正直思うでしょうね。
誰だって目に見えて早く効果が出る方が嬉しいですから。
自分が暗闇にいる時には、とてもじゃないけど「そんな意味があるなんて思えないし思いたくない。そんな意味いらないし、とにかく今どうにかしたい!」だけでしたから、当時の私が聞いても信じられなかったでしょう。
でも、この歳になったからこそ「声を大」にして言いたいです!!
とくに現在ストレスで悩んでいる人に対して。
ストレスに関連すること以外でも、諦めずに小さなことでもいいから動いてみる。諦めてしまったら、そこから何も変わりません。
だって、これまで自分がしてきたストレス緩和法で効果が感じなかったんだから、ストレス解消と関係してなさそうなことでもイイんです。
何がどう転ぶか本当にわからない。
自分がやれそうな内容は、みんな違います。
かかる時間は、その人にとって必要な時間。
だから休憩しながらでも全然構わない。
あと、どれ位かかるのか?なんて結果が出ていない時点で、先のことを考えれば気が遠くなって嫌気がさすのは当たり前です。
小さなことからコツコツと・・・じゃないけど、諦めずに歩けば必ず繋がるし「暗闇から抜け出せる」
「でも、それはアナタの場合であって、私は違うから」と思うかもしれません。
信じるか信じないかはアナタしだいですが、信じていなかった私が言えること。
「大丈夫。これ、ホントだってばー!」です。
再放送して欲しい!昭和の伝説のテレビ番組。
昭和時代のテレビは面白かったなぁ・・・・。
昔の俳優さんは個性が強い人が多い。
一般視聴者の私から見ても、少々演技がオーバーなところがあるのですが、その大袈裟な感じがまた面白い。
今の時代には受け入れられないかもです。
地上波の深夜帯でもBSでもいいから再放送してくれないかな~って思ってる番組があります。
どうしても観たいなら有料放送で観るとかDVDを買えば?と思いますが、そこまででは無い・・・と、お金を出すのがもったいないというケチな私です。
だけど、放送されたら絶対に永久保存版として録画して観たい!という番組。
テレビドラマの方です。
内容もコメディタッチで面白いのですが、このドラマの中で私が一番好きなのは、服部刑事という役を演じている成田三樹夫さん。
極妻や仁義なき戦いシリーズにも出演されており、強面で悪役のイメージが強い俳優さんですが、「探偵物語」ではコメディな面を持った刑事役で、松田優作さんとのやりとりが面白いのです。
また、千葉真一さん主演の「柳生一族の陰謀」では、顔面白塗りで、独特なしゃべり方をする公家を演じられていますが、私はこの映画の中で最も好きなキャラクターです。
実は先日、BSデジタルでこの映画が放送されていて、やっぱり成田三樹夫さんが出てる「探偵物語」も観たいな~って改めて思ったからです。
もう1つ、昭和のドラマで観たいのは、萩原健一さん主演の「傷だらけの天使」。
水谷豊さんも出ています。
いま見ても、この時に萩原健一さんが着ていた衣装は、すごくカッコいいのです。
しかも、この時の水谷豊さんは、かなりブッ飛んでいる役柄で、「相棒」の杉下右京を同じ人が演じているとは思えません。
少し前、と言っても数年は経ちますがBSで再放送されてました。
何度も観てますしストーリーも知ってるものが多いのですが、放送されるとついつい観てしまいます。
最後は、ドラマではなく「夢で逢えたら」というバラエティ。
ダウンタウン、ウッチャンナンチャン、清水ミチコさん、野沢直子さんが出演。
この時の最強キャラクターは、清水ミチコさん演じる「伊集院みどり」
バブル期に、いかにも実在する?かの様なキャラクターでした。
たまーーーに、思い出した様にYouTubeで観ることがありますが、それでも紹介されている数は、そんなに多くは無い様に思えます。
いつ観ても、やっぱり面白い。
清水ミチコさん、天才だと思いました。
※余談ですが、清水ミチコさんと言えばモノマネが有名です。その中でもピアノで演奏しながら歌うホラー映画の「オーメン」。1度だけテレビで観ましたが、大絶賛した覚えがあります。
もう一度みたいのですが、YouTubeで探しても見つけられません。
昔の番組が再放送されない理由は、小さなものから大きなものまであるのでしょう。
そう言えば、私が子供の頃に観ていたアニメ。
「ゲゲゲの鬼太郎」も初めの頃のシリーズは、もっとおどろおどろしい感じがしていて薄気味わるさが漂っていました。
でも、これが子供ながらに面白かった記憶があります。
新しいシリーズになってからは、何だか綺麗にまとまり過ぎてて、つまらなく感じてしまいました。
時代が変われば倫理観も変わるから、当時はフツーに流していた番組でも、現代では問題視されてしまうことも多いです。
・・・と、「あの番組、面白かったから再放送してくれないかな~」なんて軽い気持ちでブログを書いてるうちに、最近の世の中についての思いが、ふと出てきました。
昭和の頃と比べれば、想像をはるかに超えて生活も便利になりました。
人に対して寄り添う社会になってきたかに見えるけど、それに比例して規制されることも増えました。
あまりの規制の多さで、自分も含め、心の大らかさが減り、何だかつまらない世の中になった様な気がします。
生きやすいような・・生きにくいような・・・自分たちで自分の首を絞めてるような・・・テレビ番組ひとつとっても、似た様な番組ばかりが増えてるし、人の個性もある様に見えて、実は似た様な雰囲気の人が多いとか。
私が歳をとったから若い人の区別ができず「みんな同じ顔に見えてしまう」というのも少しは関係してるかもしれません(笑)
この調子でいけば、もっとつまらない世の中になるんじゃないの~?って、昭和生まれの私には思えてしまうのでした。
私が「もったいないな~」と感じてしまった出来事。
「あ~、何だかもったいない・・」と、見ず知らずの人に思ってしまいました。
先日、地元の熱田神宮にお参りに行った時のことです。
いつもは参道をメインに神宮内を歩くのですが、この時は、いつも通らない脇道を通ってみる事にしました。
その日は天気も良く、道沿いに植えてある樹木の色付いた葉っぱが、青空によく映えて爽やかでした。
「人もあまり通らないみたいだし、たまには、ここを通るのもイイなぁ」なんて、穏やかな気持ちで眺めていました。
歩き始めて少しすると風が吹き、ザーッという音と共に、風で散った葉っぱが一気に舞い上がりました。
桜吹雪とは、また違った情感があり、気持ちが穏やかな状態になっている時に、こういうのを見ると、よりイイ感じの景色に思えてきます。
そんな景色に浸っていた矢先、向こう側から歩いてきた私と同年代位の女性2人連れが「あっ!これ、なんかあるって!絶対!」と話しているのが耳に入りました。
以前、私の友達が「神社や神宮で急に風が吹くって、神様が歓迎してくれてるらしいよ」と言っていたことを思い出し、「そっか、この人達はそのことを言ってるのかな?」と・・・。
すると、一人の女性が「動画!動画!早く、早く!これは、なんかあるってーー!撮らなきゃ!」」と下を向いて慌ててバックの中を探し始めました。
その後、私は、その人達を通り過ぎてしまったので、果たして風が吹いている間に動画が撮れたかどうかは分かりません。
きっと、神様からの何らかのメッセージだと信じているから動画を撮ろうとされたんでしょう。
でも・・・もし、もしもですよ、本当に神様が風を吹かせて歓迎を表してくれているなら、動画を撮ることに夢中になって、せっかくの情景をよく見ていないのは、もったいないと思ってしまいました。
ホントにわずかな時間のことでしたからね。
もしかしたら、その女性は「こういう良いことは自分だけじゃなくて、他の人達にもわけてあげたい」という想いからかもしれません。
もちろん、そんなことは分かりませんし、神様の仕業かどうかも分かりません。
個人的には、神様は動画を撮ってもらおうと風を吹かせたわけじゃなく、もし、他の人達にも知らせて!っていうなら、誰かに見せる動画を撮ってる最中に、偶然を装って風を吹かせるんじゃない?なんて・・・勝手に考えてしまいました。
私自身、日頃から写真や動画を撮る習慣があまりありません。
だから、決定的な瞬間だと思っても、うまく撮れた試しは無いのです。
あとは、スマホやカメラ越しから見た景色と、それを通さずに見る景色とでは感じ方が違うから、二度と見られないかも?と思える物以外は、せっかくなら直接見たいです。
だから、よけいに「いつまでも風が吹き続けているわけじゃないし、何かの御利益だと思うなら、動画を撮ることに一生懸命になるよりも、この情景を味わった方がいいのに・・・」って、大きなお世話なのですが、もったいなく感じました。
私は、神様のことはよく分からないし、声を聴きとる力なんて持ってません。
もしかしたら、「そんな些細なこと、私は気にしてないよ。わずかなことに、あれこれ思ってしまう君の方が考え過ぎなんだよ(笑)」と、おおらかな神様は私に言っているかもしれませんけどね(笑)
しまっておいた自分の弱さが、思わぬところに出てくる。
自分の弱さって、思いがけないところで現れてるんですね・・・
自分の弱さに向きあい、しんどい思いをした後、しばらくして「あっ、これもそういうことか・・」と、ふと浮かびました。
「これ」と言うのは、太極拳の練習で膝が痛くなったことです。
ブログにも書きましたが、この当時の感情や想いは、上っ面をなぞっただけで、痛くなった本当の理由は、私の中の弱さから繋がっていることだと、最近になって気づきました。
ベテランの人達ばかりの教室に、まったくの初心者の私が一人。
早く皆に追いつきたくて、基礎が分かっていないのに無理して間違ったやり方で、自宅で練習していたから膝を痛めてしまったと、この時は思っていました。
たしかに「追いつきたい」気持ちはあります。
ですが「追いつきたい」気持ちの奥には、私の弱さが隠れていました。
それは、自分は出来ない人間だと思われるのが怖い。
この怖さを感じているのを自分で認めたくない。
もちろん人にも知られたくない。
自分で見ないようにしてたわけですから、奥にしまいこんでます。
「自分は初心者だから知らなくて当たり前、出来なくても当たり前なんだ」と頭では分かっているけれど、それよりも「人から出来ると思われたい」気持ちの方が無意識に上回ってる。
だから、中身が伴っていないのに自分を良く見せようというのが先立ち、表面上の形ばかりにこだわり、いかにも「出来るようになってる感」を周りに認めてもらいたくて練習してんだと思いました。
どこかで出来ない自分を認めたくないし、出来ないと思われるのも怖いから、実際に自分の能力がどれ位なのか?もかえりみず、能力以上のことを限界がわからないまま無理してやろうとする。
まったく自分の本質をみていません。ただただ良く見せたいだけです。
この開きが大きいまま走り続けていれば、どこかで悲鳴をあげるように、私の膝も悲鳴をあげたのです。
太極拳の足の使い方や体の動き、姿勢など、基礎的なことがわかっていないのに、数年~十数年のベテランの人達の現在の姿だけをみて、自分も同じレベルの様に見せようとしていたなんて、とても浅はかだし、傲慢だったと思いました。
実は、これに気づく前まで、太極拳の講座に通っていてチョッとした違和感がありました。
音楽を流しながら練習をするのですが、毎回、流れ始めるとドキドキするんです。
最初は、慣れないから緊張しているのかと思っていましたが、1年以上経ってもドキドキのままです。
これも「間違えない様に」とか「グラつかない様に」「今日は大丈夫かな」「ちゃんと出来るかな」という「出来ないと思われたくない不安」を常に気にしていたからでした。
それと、体に妙な力みが入っている感じがしていて、それが中々取れませんでした。
自分では、もっと力を抜いてって思いながらやっても、なんか少し変な力が入っている。呼吸が止まってた時もあります。
これも同じです。
自分の弱さからだと認められてからは、自分の現状そのままを素直に、ただ体の使い方の注意点だけを自分の中で守る様にして、今では「出来る」とか「出来ない」とかは関係なくなりました。
すると、始まる前のドキドキが無くなり、体の力みも殆ど感じません。
呼吸もスムーズになってきてるのが自分でもわかります。
まさに、心と体は一体ということですよね。
先生から「膝の調子はどう?」と聞かれたので、このことを少し話しました。
すると「よく、気づいたね。実は、太極拳は自己認知にも優れているんだよ」と、仰いました。
初めて先生と会った時に、私の性質をズバリ言い当てられ「なんで分かるんですか!!!」と驚きましたが、やっぱり見抜かれていたんだ・・・と、おそれいりました(笑)
健康やストレス解消に良いことは、習う前から話に聞いていましたけど、想像以上に太極拳の奥深さを知ることにもなったのでした。
ストレスが減った今、そこに至るまでを振り返ると・・・。
今週のお題「人生変わった瞬間」
本当にストレスが減ったなぁと実感しています。
振り返れば、全ての始まりは40歳過ぎの「マズイ・・このままでは鬱になるかも」と危機感をいだくほどの体調不良になったこと。
この体調不良をキッカケとして動き始めたことが、次の流れに結びつき、結果的にストレス減ることに繋がってます。
もちろん体調不良の真っ只中は、まさか後々、このことがストレス減ることに繋がるなんて思いもよりません。
更年期+子宮内膜症・腺筋症がストレスにより症状を更に重くし、突然、複数の症状が現れるから倒れそうになります。家から出るのさえ怖かったです。
倒れそうな症状は婦人科への通院で、かなり改善されホッとしたのですが、ここで先々の自分の体調に不安を感じるようになりました。
そこで体質改善のために私が選んだのは薬膳。
体調不良がなければ体質改善なんて恐らく真剣に考えなかったでしょう。
きっと、本気で健康に取り組もうとするなら、もっと年齢が上になってからだろうし、もしかすると、ずーーーっと具体的なことはしなかった可能性もあります。
薬膳を学び始めたのは体質改善が目的で、それ以外、例えば「料理教室を開く」とか「薬膳の講座を始める」などの仕事にするという明確なものは持ちあわせていませんでした。
ただ、資格取得も出来る講座を選んだのは、もしかしたら先々、仕事にする具体的な考えが芽生えた時にイイかもというのもあったんでしょうね。
その資格の勉強。
上の級に進むにつれ、当たり前なのですがどんどん難しくなります。
とくに最後の国際中医師の資格は、とてもじゃないけど私の記憶力の悪さと集中力の無さでは、このまま勉強してても合格出来ないと、ここでも危機感を抱きました。
でも、なぜか「ここで止める」という選択肢は私の中には無かったんです。
そこで以前、マインドフルネスをやってみようと本を購入したけど、上手く出来ずに止めてしまったことを思い出しました。
記憶力や集中力のUP・ストレス軽減に良いというものなので、ワラをもすがる想いで、今度は直接、指導を受ける方法にしました。
これにより私の中で変化が現れはじめます。
すると、公園で太極拳をやっていたおじさんを何度か目にするうちに、急に「面白そう・・」と興味がわき、カルチャーセンターに通うことになるのです。
まったく興味がない分野でした。自分でも不思議です。
この教室で出会った先生や生徒の人達は、これまでの私の友達とは違ったタイプの人達なのですが、一緒に過ごす時間は良い意味で、とても気分転換になります。
とっても難しくて奥が深いです。
よそごとを考えてると「あれ?今どこやってるんだっけ?」と分からなくなります。
だから集中しておこなっているので、この時間はストレスフリーなのです。
(自宅で練習する時も同じです)
ストレスゼロになる人生なんて無いし、今でもイラッとすることは当然あります。
ですが、自分の中でイラッとする感情の滞在時間が短くなったのと、回数は圧倒的に減りました。
「鬱になるかも」というような体調不良になっていなければ、体質改善なんて真剣に考えることもなかったし、そもそも薬膳を学ぼうとは思いつきません。
その薬膳を勉強し始めたことで、自分の記憶力の低下と集中力の無さを改めて知ることとなり、試験に合格できない危機感が生まれたからマインドフルネスを本格的に習い始めた。
そして、自分の中に変化が生まれ、太極拳を知り、これもストレス解消に役立つこととなる。
どう振り返っても、私がストレス軽減に至る具体的な行動は、やっぱり「体調不良」が全ての始まりだとしか思えないんですよね・・・。
だからといって「ストレス軽減のために、あなたも体調不良になってみませんか?」なんて推奨しているわけではありませんので。(笑)
運動するか?サボるか?この葛藤がなくなった。
運動を習慣に出来るかどうか?
「今日はやめて次回にしようかな・・」「やっぱり、やった方がイイかな・・」
始める前に、しょっちゅう葛藤することを以前、ブログに書きました。
このブログを書いた時、なぜ私は運動するのか?を時間をかけて、自分に問いかけてみようと言うことで話は終わりました。
結果・・・・
私が出した答えは「運動をするか、しないか」を時間をかけて自分に問いかけるのはダメだと言うことです。
もともと、私は運動が苦手だし、体を動かすのは好きな方ではありません。
その本質があるから、時間をかけて自分に問いかけてると、どうしてもやらない言い訳が自然に頭に浮かぶので、葛藤したあげくに「結局、今日はやめとこう」となるか、「やっぱり、やった方がイイよな」と気持ちを奮い立たせて重い腰をあげるような感じて始めてるのです。
運動を習慣化することに、チョッとした苦痛を感じてしまうので、結局、やらない日の方が増えてしまいました。
あれこれ考え過ぎて動けない状態です。
運動は続けたいと思うし、習慣になるといいな~という気持ちは確かにあります。
だから、こんどは逆の方向で「やるか、やらないか」を考えることを止めてみました。
と、いうか「考える時間を与えるのを止めた」ってかんじです。
私は、決まった時間帯に運動を始めます。
その日の凝りをほぐすために、夕方5時前後~と決めてるんです。
だから、5時頃になったら考えるスキを与えず、運動する時のDVDを流し始めるようにしました。
「時間だ!」「再生ボタン押す」「立ち上がる」と秒単位の間隔で動きます。
そうすると、自分で再生ボタンを押したくせに「あ、始まっちゃった・・・」と同時に、有無を言わせず体を一緒に動かします。
動かし始めてしまえば、20~25分位のエクササイズですから「もう、始めちゃってるし・・・」と、そのまま流れるように体を動かし続けてるうちに終わってます。
この方が、圧倒的に運動する回数が増えたし、葛藤するような時間も与えていないので、チョッとした苦痛を感じるどうのこうの・・なんて余分なものがわくヒマがないんです。
終わったら、終わったで「あ~良かった」と爽快感がありますから。
私は、何でも考え過ぎるクセがあり、それによってストレスを増やしたり、あえて複雑な状態を自ら作ってしまうことがよくあります。
あれこれ考える前に、とりあえず動く。
これが、けっこう苦手なのです💦
今になって思えば、たかが運動するかどうかなんだから、そこまで考える必要なんてないんですよね。
1コ出来ると、更に出来そうな気がしてきます。
運動も習慣化し始めてきた予感がする・・・
なんだかスッキリした気分です。
忙しい日が続いていたので、なかなかブログを書けず、アッと言う間に1ヵ月以上たってしまいました。
時が経つのが、早い・・年が明けたのも、つい最近のような感じなのに、すでに12月に入ろうとしてるなんて。
人生はアッという間と言われるのが、身に沁みる様になりました。
1日、1日を本当に大切にせねばです(ー_ー)!!
内観の奥深さと難しさを痛感・・・。
マインドフルネスを始めて2年は経ちます。
身を持って変化を感じられていたので、マインドフルネスをしながらの「内観」も、そろそろ終盤に近付き、ようやく本当の自分のことが理解出来てきたなぁと思っていました・・・・・が、実はそうでは無かったのです。
これまでブログにも「気づきによってストレス減った」などを書いてきました。
気づきの習慣によってストレスが減ったのは確かだし、自分の感情へ意識を向ける訓練を根気よく続けたお陰で、今まで見てた景色が変わってきたのは事実です。
ですが、私の場合、これまでの気づきによる自分への理解は入口近くに来れたまでのこと。
まだ、奥の奥にラスボスが控えていたのですが、その存在すら最近まで気づいていませんでした。
正直、これがラスボスなのかは確証が持てませんが、私の中の大きな存在だったのは間違いないです。
「内観」が奥深く、難しいと痛感したのは「自分では出来ている」と思い、これが本当の私だと認識したはずなのに、微妙に引っかかる物が残ってる。
そこまで掘り下げなくてもイイんじゃないか?と感じる人もいるでしょうし、引っかかる物が自分にとって大きな妨げになる事じゃなければ、特に問題にする必要は無いと思います。
自分が消したいとか見たくない奥底の物を、あえて掘り起こすかどうかは、その人の傷の大きさや複雑さによるのではないでしょうか。
私自身、掘り起こすことで心の痛みやしんどさを伴いましたが、これまで通り見ない振りして蓋をしたままだと前に進めない気がしたのです。
マインドフルネスを始めた頃は、自分を知りたい好奇心の方が強く、本当の自分を知る怖さは1割程度だったのに、このとき初めて怖さが9割占めてました。
背負ってきた過去の人生経験は、誰一人として同じ人はいませんから、苦しさは本人にしか絶対にわからないものだし、とても複雑です。
「内観」することが全ての人にとって良いとは限らないと感じたし、果たして本当に出来ているのかすら本人自身も本当は分かっていない。
だから、どの時点まで来れば「出来た」と言えるのかさえ分からないし、一生かかっても分からないかもしれないです。
私の場合は2年位かかって、ようやく入口の扉が開いた気がします。
この年月は長いのか短いのか?
心の奥底にある絡み合った物が複雑で有れば有るほど、中々、表に出てこない様です。
人によっては消した事で、ようやく前向きに生き始めたのに、再び大きく傷つくことになり立ち直れなくなるケースもあるでしょう。
自分が経験して「内観」は、人それぞれ抱えているものが違うから、全ての人に良いとは限らないと感じたし、心の問題は同じやり方で解決に向かうほど単純ではない。
個人的に、私には「内観」は合っていたと思っていますし、これからも続けていくつもりです。
元々、ストレスを強く感じるタイプの人の多くは、今までの人生の積み重なった傷と生まれ持った性格が複雑に絡み合っているんじゃないですかね・・・。
だから「内観」によって、自分が変わり、前向きに行動し始めるまでには相応の時間がかかるし、本当の心の内は本人にしか分からないし、本人すら分からないことは沢山ある。
今回、自分にとって効果がある「内観」は言葉で言うほど簡単なものでは無いし、奥が深く難しいものだと痛感させられました。