マインドフルネスを始めて2年は経ちます。
身を持って変化を感じられていたので、マインドフルネスをしながらの「内観」も、そろそろ終盤に近付き、ようやく本当の自分のことが理解出来てきたなぁと思っていました・・・・・が、実はそうでは無かったのです。
これまでブログにも「気づきによってストレス減った」などを書いてきました。
気づきの習慣によってストレスが減ったのは確かだし、自分の感情へ意識を向ける訓練を根気よく続けたお陰で、今まで見てた景色が変わってきたのは事実です。
ですが、私の場合、これまでの気づきによる自分への理解は入口近くに来れたまでのこと。
まだ、奥の奥にラスボスが控えていたのですが、その存在すら最近まで気づいていませんでした。
正直、これがラスボスなのかは確証が持てませんが、私の中の大きな存在だったのは間違いないです。
「内観」が奥深く、難しいと痛感したのは「自分では出来ている」と思い、これが本当の私だと認識したはずなのに、微妙に引っかかる物が残ってる。
そこまで掘り下げなくてもイイんじゃないか?と感じる人もいるでしょうし、引っかかる物が自分にとって大きな妨げになる事じゃなければ、特に問題にする必要は無いと思います。
自分が消したいとか見たくない奥底の物を、あえて掘り起こすかどうかは、その人の傷の大きさや複雑さによるのではないでしょうか。
私自身、掘り起こすことで心の痛みやしんどさを伴いましたが、これまで通り見ない振りして蓋をしたままだと前に進めない気がしたのです。
マインドフルネスを始めた頃は、自分を知りたい好奇心の方が強く、本当の自分を知る怖さは1割程度だったのに、このとき初めて怖さが9割占めてました。
背負ってきた過去の人生経験は、誰一人として同じ人はいませんから、苦しさは本人にしか絶対にわからないものだし、とても複雑です。
「内観」することが全ての人にとって良いとは限らないと感じたし、果たして本当に出来ているのかすら本人自身も本当は分かっていない。
だから、どの時点まで来れば「出来た」と言えるのかさえ分からないし、一生かかっても分からないかもしれないです。
私の場合は2年位かかって、ようやく入口の扉が開いた気がします。
この年月は長いのか短いのか?
心の奥底にある絡み合った物が複雑で有れば有るほど、中々、表に出てこない様です。
人によっては消した事で、ようやく前向きに生き始めたのに、再び大きく傷つくことになり立ち直れなくなるケースもあるでしょう。
自分が経験して「内観」は、人それぞれ抱えているものが違うから、全ての人に良いとは限らないと感じたし、心の問題は同じやり方で解決に向かうほど単純ではない。
個人的に、私には「内観」は合っていたと思っていますし、これからも続けていくつもりです。
元々、ストレスを強く感じるタイプの人の多くは、今までの人生の積み重なった傷と生まれ持った性格が複雑に絡み合っているんじゃないですかね・・・。
だから「内観」によって、自分が変わり、前向きに行動し始めるまでには相応の時間がかかるし、本当の心の内は本人にしか分からないし、本人すら分からないことは沢山ある。
今回、自分にとって効果がある「内観」は言葉で言うほど簡単なものでは無いし、奥が深く難しいものだと痛感させられました。