奥深くにある自分の認めたくない部分に向きあうのは、やはりしんどい・・・。
これまでも自分のイヤな部分や見たくない事に気づく、受け入れる、向きあう、認める・・・をしてきたつもりだったのに、本当に奥底にある核心的な所までは行けていなかった様です。
私は人前で泣くことが本当にイヤでした。
なぜ、そうなったのか・・・・
幼少期の頃から、泣くと親に酷く怒られました。
怒られるから、また泣く。
すると、さらに怒鳴りつけられる。
「泣くな!!」
「いつまで泣いてる!!」
「なんで泣くの?バカじゃない?」
「みっともない!」
泣きやまないと、どんどんエスカレートしてきます・・・。
大人でも怒鳴られるのはイヤなのに、子供の私にとっては本当に恐ろしかったです。
子供ですから感情のコントロールなんて上手く出来ないのですが、それでも泣きそうな時はギリギリまで堪えてたと思います、怖いから。
こういう積み重ねをしてると、本当の自分の感情を抑えることが自然と身に付きます。
とにかく「泣くことはみっともない」とか、泣いてる私を「すぐ泣く」とバカにした様に言われ続けましたから、泣くことに凄く抵抗を感じていました。
泣く=みっともない、弱い、情けない。
これが私の考え方として根付いています。
学校や職場で誰かが泣いていても「どうして、その程度で泣くんだろう?」と理解出来なかったし、腹が立つ時さえありました。
素直に泣ける人の事が羨ましかったんでしょうね・・・。
その時は、そんな事を言われても気づかないし、否定してたでしょう。
今回、自分に向き合うと色んな記憶が蘇り、様々な繋がりが有る事が分かりました。
その中の1つが「泣く」。
滅多に泣かない私に対して周りは「強いねぇ」と言う。
言われた私自身も、泣くのは弱いからと思い込んでいるので「強い」と言われれば良かったと安心する。
私は「強い」と思われてるから、今さら泣くことなんて簡単には出来ないし弱音も吐けない。
「強い」振りをすることを続ける。
続けてるうちに、それが当たり前になり更に弱みを見せられない。
これが50年くらい続いてます。
もともとの私は凄く泣き虫で怖がりだったという事に気付きました。
と、言うより思い出した?って感じでしょうか。
赤ん坊の頃、夜泣きが酷かったそうです。
それだけではなく、病院で注射を打つ時の泣き方が他の子供に比べて尋常じゃなかったとの事。
当時の私を知る医師や看護師から、20歳位まで「注射大丈夫?」と、行くたびに聞かれてました。
「大丈夫だよ」と答えると、決まって「本当に強くなったね~」と、微笑ましい感じで言われます。
「私、そんなに子供の頃に泣いてたの?」と尋ねると「そりゃ~もう、凄かったよ~(笑)」です。
医師や看護師の私へのイメージは「よく泣く子」
あと、神経が過敏で繊細だったみたいです。
痛いとか怖いことには過剰に反応するし、怯えやすい。
本当は泣きたいけど、泣いたら怒られるし、それによって怖い思いをする。
何とか本当の私が表に出てこない様に抑え込むしかなかったです。
「泣く=弱い」
だから、自分の中で「泣き虫、弱い、怖い」を絶対に認めちゃいけないし、人に知られてはいけないという意識が働くので、いつの間にか私の中には無いものとして蓋をしていました。
だけど、いくら無視しようとしても有る。
50年・・・無意識に偽りの自分を演じていると、やっぱり違和感と言うか悲鳴と言うか・・・歪みが出てくるんですよね。
こうして向き合ううちに様々な事が蘇り、幼稚園に行くか行かないかの年齢の私が本当によく堪えて、自分なりに頑張ってたなと思うと泣けて、泣けて・・大泣きしました。
2日間、泣いてばかり。
目がパンパンです。
少しだけ痞えがマシになった様な気がしますが、まだ気分は落ちてるし涙は出てきます。
長い年月を考えれば簡単にいかないのは感覚的にもわかる・・・。
だけど、私には必要だと感じているので、無理せず続けていこうと思っています。