システム障害。なぜか、こんな思考へ…
最近「Jimdo」でホームページを作りました。
PC苦手な私が、つたないながらも、一旦は出来上がり!
ところが、3月14日から「Jimdo」側でシステム障害が発生し、閲覧できない状態になりました。
仕事で使っている方達が多いでしょうから、業務に支障が出て、言葉では簡単に言いあらわせない位に、本当に大変だと思います。
私の場合は、まだ始めたばかりなので、殆ど支障はないのですが、それでも、私なりに苦労してやっと出来上がったホームページなのでガッカリしてしまいました。
もし、自分の仕事に影響が出て、収入に大きく反映される状態の立場なら、やはり腹立たしさもあり、何より「どうしよう!!」と、焦ったと思います。
だけど・・・・・・
システム障害って、今回のホームページに限らず、今までも、銀行やショッピングサイト、カード会社、通信会社など・・・様々なところでも起こり、一時的に利用出来なかったことも有りました。
利用者の立場からすれば、同じことが起こらない様に願いますが、これからだって有り得る話です。
ストレスMAXで、しかも、怒りの感情だけには敏感な、以前の私だったら「せっかく契約して頑張って作り、さあ、これからだ!という時に、使えないとは、どういうこと!!!」と、文句の1つや2つ言っていた可能性高いです。
(でも、ストレスが減ったお蔭で、冷静な考え方も少しは出来る様になったからか)
私が怒ったところで、復旧が早まるわけでもない。
怒りの感情をもっている時間が有ったら、今回のホームページのシステム障害に限らず、こうゆう時の対処法や代替案をしっかりとしておいた方がいい。
トラブルは避けたいものだけど、今後の、回避や対応策を考えるキッカケにもなったかな・・・そんなことが、いくつも浮かびました。
「あんたは支障がないし、被害も被っていないから、そんな呑気なことを言っていられるんだ!」と言われれば、それまでの話ですが。
「Jimdo」は電話サポートは無く、メールでのやりとりです。
システム障害以外でも、何かトラブルなどで、利用者の希望に添えなかった場合に電話で問い合わせやクレームを受付している会社は、まだまだ有ります。
腹が立つのも分かるのですが、受付オペレーターに対して怒りに任せて罵詈雑言を浴びせる人がいるのも確かです。
オペレーターに言ったところで、何ともならない事もあるでしょう。
言われたオペレーターだって、そこまでの権限は与えられていなかったり、何とかしたくても出来ない状況も多々あるのが現実だと思います。
しかも、同じ会社なんだからと言って、罵詈雑言を浴びせられたら、相手も一人の人間です。
傷付くし、心が折れてしまうことだって有り得ます。
かと言って、利用者からすれば「じゃあ、どこに文句を言えばいいんだ!」となりますしね・・・・。
では、何も言わずに黙って我慢していれば、いずれ改善されるような会社ばかりでもない。
クレームが直接入らないから、大したことでは無いと対処しない会社、クレームが多くなってから、初めて見直しをかける会社。
中にはクレームを言われても、顧客がやんわりした言い方だから大丈夫だろうと見直しをかけない会社。
かなりキツく言われたクレームに対してだけは対処する会社。
世間的に問題が大きくなってから対応する会社・・・・。
本当に色んな会社が有ります。
利用者側も、契約継続するには取捨選択しなければいけないのですが、これが公的機関だと難しい問題ですけどね。
よく、お客様のクレームからヒット商品が生まれたり、業績が上がったりする会社が有ると聞きます。
やはり、受けた会社側の聴く姿勢によるものが大きいと感じます。
切羽詰まった状況の時には、どうしても感情的になりやすくなってしまいますが、相手も人間。
とくに受付窓口の人は、そのひと自身が自分に対して何かしたわけでも無いんですよね。
「どうにかして欲しい!」「何で、こんなことになるの!」
想いは、私も同じですし、私自身も、口調がキツくなってしまうことも有りますし、実際に有りました。
今回「Jimdo」のシステム障害から始まり、それによって色んな考えが頭を巡りました。
巡った先で私が辿りついたのは・・・・
クレームに対応する姿勢は、会社によって様々。
だからこそ、利用者側の出方も難しい・・・。
正解は無いのかもしれないけど、せめて対応した「そのひと自身」によって、被害を受けたわけじゃないなら「言い方」には気を付けようと。
なぜか、巡り巡って「こんな思考」に着地した私でした……
時代の流れにしがみついていこうとする50代の私。
「時代の流れに取り残されそう・・・」
特に、IT時代にです。
特に危機感を抱いたキッカケはスマホの機種変更。
最近、契約内容の見直しを兼ねて機種変更することに。
今までは携帯ショップに行って変更してましたが、今回は初めてオンラインショップで手続きすることにしたのです。
事務手数料も不要だし、何よりも待ち時間が無いので便利だと思いました。
それと、ショップで契約する際に、色々なオプションがありますが、私にはよく分からない部分が多いので、勧められると「じゃあ、それで」と入ってました。
私が使用している内容からして、本当にそのオプションが必要なのか・・・?
何となく、そこまでいらないんじゃないか・・・そんな感じもしていましたが、そこから変更するにも面倒で、放置していた状態だったのです。
携帯会社のHPを見る限りでは簡単そうなので、私にも「簡単に出来る」と思いました。
新機種が送られてきて、まずはUSIMカードを旧機種から新機種へ入れ替えです。
付属のPINを差し込んで取り出すのですが、
「開かない・・・・」
PINを差し込んでも開く気配がない。
もう、既に、この時点で悪戦苦闘です。
仕方なく、ネットで検索してみると親切に説明してくれている人がいました。
「PINが折れるかと思うくらいに強く差し込む」と。
その通りにやったら、めでたく開きました。
※私の様な人間からすると同封されていた説明書に「折れるかと思う程、力を入れる」と書いてくれてたら有難かったです(笑)
その後の、初期設定自体は一応、進んだものの、今度はPCからバックアップしてあったデータを復元する時に、エラーメッセージ・・・・。
この復元は、前回、ショップで機種変更した際にも、自宅でやったから出来たはずなんだけど。
「あれっ?」と思いつつ、何度か試行錯誤しても出来ない・・・・(-_-;)
再び、ネットで検索。
またまた、説明してくれている人がいる。
凄いなぁ~と感心して、その通りに試すと、無事に復元成功!
これで、元通りに使えると思いきや、一部のデータが引き継ぎされていない・・・。
やっぱり、ネットで検索・・・。
これで完了!
何だかんだと、数時間経ってました。
以前は、ここまで時間がかからなかったと記憶しているけど、久し振りのことで、操作を忘れてしまったのか?
機種変更するだけで、こんなに手こずるとは、自分でも情けなくなりました。
これから、どんどんIT化が進んで行く中で、果たして私はついていけるのか?
今でも、相当な遅れをとっているし、このIT世界のスピードも速い。
私の母はガラケーです。
アナログオンリーの人なので、もちろんPCもやりません。
この前、携帯の調子が悪いので、新しいのに変えると言ってましたが、変更したのは再びガラケー。
母の友達はスマホを持っているらしいのですが、母は「スマホなんて全然分からないからイヤ!私は今まで通りでいい」とのこと。
本人が、それでイイなら問題ないのですが、携帯に限らず、それ以外のことも最初から「分からない!」と言って、やろうとも覚えようともしないのです。
母の場合は、まだ「少しだけネット利用できる私」がいるので、現時点では何とかなるでしょう。
最近は、色々な契約更新や変更手続きなどは、殆どネットになっています。
また、ネットショッピングもセキュリティ強化のために本人認証などを増やして、購入手続きまで手間が増えたりしました。
安心・安全のためには良いことなのですが、悪用する側も「振り込め詐欺」同様にどんどん進化をしていくので、今後も、様々な手続きが変わっていくんだろうと思います。
今回は、スマホの機種変更だけで、こんなにも時間がかかり疲労困憊になりましたが、改めて「自分で何とか(ネット検索で助けてもらいながらも)する努力をしておかないと」と、思い知らされました。
ITに強い人、強くとまではいかなくとも、一般レベルで出来る人からすれば信じられない「どんくささ」だと思います。
※この「はてなブログ」だって、まだまだ使い方をよく分かっていません💦
「知識」って、自分の仕事や生活に、直接は無縁な内容かと思えても、いつ、どこで、どんな時に、どんなことが必要になるのか分かりません。
もしかしたら、その「知識」は生きている間は使わないかもしれません・・・・。
だけど、知らなくて損することは有っても、知ってて損することは無い。
年齢と共に、消されていく記憶も増え、新しい記憶が定着しにくくなってきました。
それでも、時代の流れに何とかしがみついて行けるように、自分で出来ることは、初めてのことであっても挑戦していく事が大切ですね・・・ (^_-)-☆
40歳過ぎて趣味の資格試験。大変さより充実感倍増!
今週のお題「試験の思い出」
40歳過ぎてからの薬膳・中医学の資格試験が、やはり頭に浮かびます。
まだ、10年そこそこ前の出来事だから、記憶が新しいという理由も有りますが、
私にとっては「人生で初めて、死ぬほど勉強した」からです。
大袈裟かもしれませんが、勉強することに慣れていない私にとっては、本当にそう思いました。
だけど「嫌だ」という拒否的な感情は無かったです。
学生時代(特に中学・高校)は落第しなければ良いだろうと思う気持ちが強くて、一夜漬けでした。
しかも、小学生になった頃から、母に「勉強しなさい!」と言われ続けてきましたから、これが本当に嫌で嫌でしかたなかったです。
本当は自分で「勉強しよっかなぁ~」と思った矢先に、この言葉が飛んでくると、あまのじゃくの私は「絶対にやるもんか!」と意地になって勉強しませんでした。
勉強しない
↓
成績下がる
↓
「勉強しないからでしょ!」「勉強しなさい!」
↓
意地でも勉強しない・・・・
バトルは続きます・・・・
本当に勉強嫌いになりました。
子供の頃、親からの影響で、大人になってからも受け継がれているマイナス面も有れば、プラス面もある。
今となっては、過去自体はどうしようもないですが、マイナス面でも、捉える方向を変えればプラスに働いていることだって有ります。
がんじがらめになっていたストレスMAX時代には、視野も狭くなっているし、何よりも気持ちに余裕がないので、マイナス面を主体として頭を巡ってました。
子供の頃から「勉強しなさい!」「なんで勉強しないの!」
クドイくらいに言われ続けてました・・・
これらのことも原因の1つとして、社会人になってからも「人から、あれこれ言われるのが嫌い」です。
だからこそ「言われる前にやろう!」という意識が働き、自分が何を求められているのかを考えながら行うのですが、結果的に良い方向へものごとが運ぶことも有ります。
ただし、精神的に疲れる時が有るのも確かです。
40歳過ぎての試験勉強は、恐ろしいほどの記憶力と集中力の無さで、心底、情けなくなりましたが、目標をもって、自ら始めた勉強に取り組む自分が嫌いじゃなかったです・・・・。
だけど、意外と落とし穴になるのが「勉強してる」という行動に対して満足してしまうことです。
途中で、それに気付いて慌てて軌道修正したりもしました。
一生懸命に勉強すると、普段使わない頭をフル回転している状態です。
試験の前日は、ラストスパートで、自分でも驚く位の集中力で勉強しますから、頭から火が噴いたみたいにオーバーヒートを起こして、試験当日は体調不良になったほどです(-_-;)
体調不良が原因で、健康の為に始めたはずの薬膳や中医学。
試験勉強で体調不良になるとは・・・本末転倒か・・💦
子供時代に、興味があることが見つかっていれば、それに向かって勉強したかもしれないし、人生変わっていたかもしれません。
正直「もっと早くに、やりたいことが見つかってれば」「子供の頃に見つけていれば」と、恨めしく思った時も有ります。
でも、世の中には一生みつけられない人もいますし、過去の私自身も同じです。
最近は「私にとっては、このタイミングだったのでは?」と思える様になり、それなりに開き直ってます。
大人になってからの試験勉強は大変でしたが、勉強してる間は他の余計なことを考える暇が無いので、ストレス緩和に丁度よかったです。
試験に合格した時は「この歳でも、まだまだ出来る!」と、高齢になっていく自分への自信や力が湧いてきます。
現時点では、日本で受けられる 中医学の試験は、これ以上ないので、後は自分で学びを深めていくことになります。
「試験」と聞けば「え-っ!!」って、一瞬はイヤな気持ちになりますが、勉強することへの動機付けや、自分の理解度を認識するには、とても良い手段だと。
大人になってから、身を持って実感しました。
だから、今後も他に興味が出てくる物がみつかり、それに「試験」が必要であれば、また挑戦するでしょう・・・。
その時の記憶力や集中力を計るバロメーターにもなりますからね! (^_-)-☆
私自身が一番ビックリした心境の変化。
かなりストレスが減ったお蔭で、心がフラットで穏やかな時間を過ごすことが相対的に増えました。
結果、意外な心境の変化が現れてきたのです。
ストレスが減った理由の1つにマインドフルネスが含まれています。
自分の「ありのまま」の状態に気付くことをしますが、日々、続けていると様々な自分の「内側」を感じ取れるようになってきたのです。
これ「内観」と言うんでしょうかね・・・・?
意外な心境の変化とは・・・・・
私自身、本人が一番ビックリした「こころの声」
現在55歳の私の残りの人生を、どう過ごすかを考えた時です。
「最後くらいは誰かの役にたつことをしてもいいのかな・・・・・」
そう浮かんだ瞬間
「えっ?本当に?」
「何かの間違いでは・・勘違い・・?」と自分を疑いました。
正直、それまでの私は、身近な人ならまだしも「誰か」と言う、見ず知らずの会ったことも無い人の役にたとうなんて、意識したことも考えた事もない人間でした。
だから「人の役に立ちたい」と言う人のことを懐疑的な見方をする時だって有ったのです。
確かに世間では、本当に「人の役にたち、実際に行動して人々を救っている」方達も沢山います。
その方達に対しては、心底「凄いな」と頭が下がる想いで、私とは、ある意味「異次元の世界の人達」だと感じてました。
でも、最近では「異次元の世界の人」は私の方だったでは?
ストレスMAXの日々を長年続けてると、もう自分のことだけで精一杯。
人に対して「優しさ」や「寛容さ」なんて、思える余裕がない。
自分が、いかにトゲトゲしていたのかも、ストレスが減り、こころが鎮まったからこそ、冷静に自分が見れる様になったと感じます。
私のこころが荒んでいた頃は、怒り以外の感情に乏しかったことは依然のブログにも書きました。
例えば、花が咲いているのを見ても、本当に自然と心の底から「綺麗だな~」と湧く様な感情も欠けていたと思います。
だから、誰かがブログで花の画像を載せていても、私には、それの何が良いのか、よく理解できませんでした。
でも、マインドフルネスで「ありのままの自分」に気付くうちに、自分と向き合うことで、怒り以外の感情に留まることへ進歩してこれたのです。
本当に、自然と心の底から綺麗な花をみて「綺麗だな~」と震える位の感情が湧いた時、思わず写真を撮り、ブログに載せてしまいました💦
※その時の写真です。
それを、ある人に話したら
「やっと、人間に戻れたんだね(笑)」と言われました・・・・・。
私も、その通りだと思います・・・。
「誰かの役にたつことをしようかな・・・・」
意識的に良い人になろうとしているのか、それとも気の迷いか・・・
私自身、本人が一番驚いたし、きっと周りの人も「どうしちゃったの⁉︎」って反応でしょうね。
何度も、何度も、何度も、
私の最後の人生は、どんな風に生きるのか?過ごしていくのか?
マインドフルネスをしながら、ありのままの自分をみる様にしました。
「最後くらいは、誰かの役にたつ事をしてもイイんじゃないか・・・それも有りかな・・・」
やっぱり、そこに辿り着く・・・・・。
最終的に、それなら、それでもいっか!
変な開き直りです。
人から、どう思われようと、私の気持ちを大切にしよう!
(こんな事も、以前の私の思考クセからは生まれてこない感情です)
ストレスが減ることで、気持ちや心にゆとりが出る。
心のゆとりが持てる様になることで、様々な出来事や景色が違って見えてくる。
大袈裟かもしれませんが、人が変わるとは、こういうことも含まれるのかしら・・・?
でも、私としては「変わった」というより「生まれた」と言う表現の方が何となく、しっくりくる気がします
この様な言葉や意味も、どこかで聞いたことが有るけど、実際に自分が経験していないから「ふ~ん。そうなんだね・・・」で、自分とは距離を感じてました。
実体験して、初めて「本当のこと」なんだと、もの凄~く、よく分かりました。
何だか、自分の人生も、今までとは異なった捉え方をし始めてます。
他人事だった言葉
「人生これからだ!」
「人は何歳になってもチャレンジできる!」
心が穏やかになることで、55歳の私でも、新たに動き始める意欲が湧いてきました
(^_-)-☆
ようやく人間に戻れた私が、誰かの役にたてること・・・・・何だろう・・・???
これは、またの機会に書こうと思います。
やりたい事が見つからないのは「鎧」の着過ぎかも・・。
「やりたいことを見つける」には、まずは自分を知る事だと言います。
私は「自分の事は自分が一番分かってる」
それなのに「見つからない・・・」
元々、私は「自分の事は自分が一番分かっている」から、人から自分の性格を分析されたり、ましてやセラピーを受ける事なんて必要ないと人一倍強く思っていました。
実は、この想いが大きな落とし穴で、50歳過ぎて、ようやく気付く事が出来たのです。
もちろん、今まで自分の想っていた性格や「私自身」のことを全て間違った捉え方をしていた訳では無く「その通り」の部分は有ります。
ただし・・・・
私の奥の、奥の、深~い奥底の「本当の正直な気持ち」や「本当の私のこころ」が全く分かっておらず、自分でも知らなかったと言える程、気付いていませんでした。
この「本当の私のこころ」
知らなかったと言うよりも、
「見たくなかった」
「認めたくなかった」
「無かったことにしたかった」
「嫌だった」
「悲しかった」
「つらかった」
「邪魔だった」
・
・
・
子供の頃や、学生時代、社会人になってから様々な人間関係や、置かれた環境・状況などを経験し、無意識に封印したり、意図的に排除してきた部分です。
でも、そうしないと、生きてこれなかったんでしょうね。
人生「嫌なこと」「つらいこと」「我慢すること」・・沢山あります。
世の中、自分一人で生きている訳では無いから、これらが有るからこそ、人は成長していけるし、社会生活で人との関わり合いの中では必要なことだと思います。
特に、社会人になれば荒波にもまれることなんて、日常茶飯事。
私も荒波にのみこまれない様に「鎧」を着て、傍から見れば「何ともない」様に振る舞うことが多かったです。
つまり、戦いに負けない様に、自分のこころが傷付かない様に頑丈な「鎧」を着るんですよね。
しかも、50年以上、生きていると「鎧」を幾つも重ね着してますから、いつの間にか、この「鎧」をまとった私こそ「本当の自分の性格」や「本当のこころ」だと錯覚してしまっていたのです。
恐らく、人の何倍も多く重ね着していたと思います。
正直、この「鎧」によって助けられた事や深く傷つかなかったことだって有るのですが、私自身と一体化してしまっているので「鎧」を着ていることすら気付きません。
本来なら「鎧」を脱ぐ時間を作って自分のこころを休めたり、労わったりしてあげると良かったのですが、こんな状態ですから、脱ぐことも一切せず、挙句の果ては脱ぎ方も、脱ぐタイミングも分からなくなっていました。
この「鎧」と一体化している事に、気付かされたのは「マインドフルネス」に通い始めてからです。
元々、中医学の資格試験の勉強で、集中力や記憶力の衰えが酷過ぎて、それを何とかする為に、通い始めました。
私が通っているセラピストの人は「マインドフルネス」のみではなく、「マインドフルネスを使ったハコミセラピー」というのもされています。
通って、最初の頃は「私の性格は自分が一番分かっている」から、私には「セラピー」と言うたぐいの物は必要ないと頭からきめこんでいました。
でも「自分の今の状態に気付く」ことを続けていくうちに、奥の、奥の、深~い奥底に「本来の自分」がいることにも何となく気付き始めたのです。
そうなると「本当の奥底の自分を知りたくて知りたくて仕方がない」と思いました。
※セラピストの人曰く、私は「好奇心が旺盛」だそうで(自分では全く分かりませんでしたが)セラピーを受けに来る人達は、本当の自分を知るのが「怖いから見たくない」という感情を持つ人が多いそうです。
言われてみれば、確かに「怖さ」も有るけど、それ以上に、比べ物にならない程「知りたくて知りたくて仕方がない」気持ちが殆どを占めてました。
受けていく過程では、当然、人生で封印したかったこと、認めたくない事が、自分自身での気付きによってで掘り起こされていくので、時には泣くことも有りました。
※私は、人前で泣くのが本当に嫌だという鎧も身に付けてます・・・(-_-;)
とにかく
「今の自分の状態に気付く・・・気付く・・・気付く・・・気付く・・・そして、また気付く・・・とにかく気付く・・・・」
ひたすら、この時間をあえて設けました。
※毎日じゃなくても、出来る限り、寝る前に15分でもいいから実行しました。
疑問が出れば、セラピストの人に会った時に伝えます。
続けてきたお蔭で「鎧」を少しずつ脱ぐことが出来る様に・・・・
「マインドフルネス」をして自分に意識を向けていられると、誰に遠慮することもなく「鎧」が脱げています。
かと言って、常に脱いだ状態では、現代社会で生きて行くには「こころが傷だらけ」になる恐れが有るので、必要な時には「鎧」を付け、心身ともに休ませる時には脱げる様にする。
この「鎧」を脱ぐ時間を作れたことにより「本当の自分のこころ」が徐々に奥底からさらけ出され、なんと「人生で本当は私が求めていたこと」まで見えてきました。
その間も、紆余曲折有りましたが、本当に自分が求めていた「本心」に気付き、50年以上かかって、やっと辿り着けた(^_-)-☆
これは、体感した人じゃないと、半信半疑だと思います。
でも、私は世間で言う「頑固者」の部類に入るタイプ。
それでも、『本気』で「なんとかしたい!」と想い、ほんの少しでも動けば、本当に兆しが見えるもんなんです・・・・よ!
こころも体も温まる「美味!鶏つくね鍋(薬膳効能の解説つき)」
先日、10年以上前に友人に教えてもらった「鶏つくね」レシピに「NHKきょうの料理」の髙橋拓児さんの「冬だし」で鶏つくね鍋を作りました。
今回も「食べたい物」が1番の目的です。
体質、体調から選んだ食材ではなく、食べたい料理の材料の薬膳からみた効能を説明してます。
しかも味も良し!
薬膳では「美味しい」と言う事も求められます。
美味しい料理は、こころが喜ぶし、嬉しい。
この精神刺激が体にとっても良い作用をもたらすからです。
友人からの「鶏つくね」は元々、鍋料理としてのレシピなんですが「だし」は使わずに水のみ。具材からのだしで、いわゆる「水炊き」です。柚子ポン酢で食べます。
これは、これで美味しいです。
何度も作りました。
数年前に、この「冬だし」の存在を知ったのですが、本来、このレシピは髙橋拓児さんの「だしが決め手の鶏つくね鍋」で使っていた「だし」です。
もちろん「鶏つくね」自体の作り方も紹介されており、1度作ってみましたが、個人的には「友人に教えてもらった鶏つくね」の方が好みでした・・・・。
でも、この「冬だし」は本当に美味しい!!です。
ひと手間ですが、料理が得意じゃない私でも大丈夫!
では「材料&薬膳的な効能(主要な部分だけ簡単に)・作り方」を紹介します。
【鶏つくね】
◎鶏ひき肉(もも肉):温性/消化器系を温め、気を補う。
◎紫蘇:温性/気の巡りを良くする★沢山入れます。
◎長ネギ:温性/気の巡りを良くする★紫蘇と同じ位の量を入れます。
◎生姜のしぼり汁:温性/消化器系を温める★結構、沢山入れます。
※紫蘇・ネギ・生姜は寒気を強く感じる風邪の初期に良い食材です。
(特に風邪症状が有ったから使った訳ではないですよ)
◎白きくらげ:平性/体に必要な潤いを補い、乾燥症状にも良い★勿論、好みで。
◎干し椎茸:平性/気を補う★好みで入れても入れなくても。
◎人参:平性/消化器系の働きを整え、血や体に必要な潤いを補う★同じく好みで。
◎味噌(白みそ、もしくは合わせ味噌)★まあまあ、多めに入れます。
◎砂糖(私はきび糖)★味噌の同量より、きも~ち少なめ位の量です。
◎全卵1個
◎ごま油
◎酒
◎片栗粉
◎しょう油★ほんの少~~しだけです。
△塩→ほんの少~~~しだけ。鶏ひき肉をこねる時に入れる分です。
【冬だし】(4人分)※記載のレシピ通りの分量です。
●昆布:20g
●水:カップ6
●うす口しょう油:80ml
●みりん:80ml
●酒:80ml
●鰹節:10g
●煮干し:12匹
【鍋に入れる具材】
◎白菜:平性/余分な熱を冷ます。特に胃熱や胃痛など。
イライラして落ち着かない様な時にも良い食材です。
◎生しいたけ:平性/気を補う。
※好み野菜を入れれば良いと思います
※白菜は沢山頂いたのと、やはり鍋によく合いますね。
≪作り方≫
1.前日の夜に干し椎茸を水につけておく。
私は前日の夜に鍋に分量の水に頭とはらわたを取った煮干しと昆布もつけます。
2.煮干しと昆布の入った鍋に他の冬だしの材料を全て入れて火にかける。
沸騰したらアクを取り、弱火にして八分くらいまで煮詰め、火を止める。
※この煮詰める間に、鶏つくねにとりかかります。
※(使う人)は白きくらげを水につけて戻す。
3.つくねにいれる材料(紫蘇・ネギ・白きくらげ・干し椎茸・人参)を全てみじん切
りにする。
生姜を皮ごとすりおろして、しぼり汁を作る。
4. 鶏ひき肉に△の塩を入れて、よ~~~~~く、こねる。
粘り気が出て白っぽくなったら3と、それ以外のつくねの調味料を投入。
5. 4を、よ~~~~~~~く、こねる。
冷蔵庫に入れてタネを寝かせておく。
6. 2のだしが八分ほどに煮詰まったら、キッチンペーパーでこす。
これで、冬だしの出来上がり。
7. 冬だしを沸騰させて、4のタネを団子状にして鍋に投入。
浮いて来たら野菜類を入れて出来上がり!
※冬だしは個人的には濃いので、私は水で薄めます。
野菜から水分が出るので、そのままでも良いそうですが、味見をして調節する
ことをお勧めします。
写真撮る為に、お一人様鍋にしてみました。
湯気で、分かりにくいですね・・・・(-_-;)
冬だしに、鶏つくねや野菜からの旨味が合わさって、相乗効果を発揮してます!
薬膳的にみると、体にどんな影響をもたらす鍋だったのか・・・・・
最近は、かなり寒い日が続いてますね。
寒さで体も冷え、冷えると内臓の働き,気・血・津液の流れも鈍くなる。
内臓の働きが悪くなれば、気・血・津液も作られにくくなり、また気・血・津液が巡らないと内臓へも栄養が届かなくなる・・・・どうどう巡りの様です。
結果、最終的には抵抗力も弱くなりやすい状態に繋がるというわけです。
つまり、病気になりやすく、風邪を引きやすいなど。
使われている食材をみると、体を温める・もしくは、どちらにも偏らない平性が殆どです。
また、生命エネルギー(抵抗力)である気を作り出す大本が消化器系。
特に鶏肉や生姜は、その消化器系を温めて働きを良くしますし、鶏肉は気を補う作用の代表食材の1つです。
(もも肉より胸肉の方が疲労回復には優れているでしょうが、もも肉の方がパサパサしにくいので・・・・もも肉使ってます)
体内から温め、内臓の働きを良くして、気・血・津液を作り出し、それを体中に巡らせる。
寒さが強く「ゾクッ」とくる風邪の引きはじめ(寒の邪気)が体内に入り込ませない様に、発散させて追い払う! そんな食材も入ってます。
消化器系を整える事は、つまり基本的な「きちんと食べられる状態」をまずは作ると言う事にも繋がります。
食べたいと思った鶏つくね鍋。
この季節「理にかなった」料理だなぁ~と、改めて実感。
頑張って「よ~~~く」こねた苦労が報われました(^_-)-☆
体感した「心のゆとり」
イライラ全開だった私が、最近は本当にストレスが減りました。
環境が変わった訳では無く、マインドフルネスで学んだ事を根気よく続けてきた事が、結果に現れているのだと思います。
感情面のコントロールに関しては、特に無器用で、一度に幾つもの事を同時に行うのは苦手です。
以前にもブログで書きましたが、私が根気よく続けている行動は、イラッとした時に「その時の自分の感情に気付く」
「あ~、今イラッとしてるな(したな)・・・」
「体の状態はどうなってるかな・・・」
「呼吸は少し速いかな・・・」
これを日々、繰り返し「気付いた時点」で自分に意識を向ける。
最初は数回に1度気付く程度でした。
でも、今では、殆ど気付ける様になってきたのです。
気付くスピードも速くなりました。
そうなるとイライラ状態の時間が短くなり、更に外部からの刺激(他人からの)で、今まではイラッとしていた事柄に対しても、こころ乱れない自分がいるんです。
でも、イライラすること自体が、完全になくなった訳ではないですよ。
あくまでも、外部からの刺激によってイライラが発動されるので、来るタイミングは予想がつかない事が大半です。
しかも、この刺激には大小も有ります。
私の場合、嫌な出来事を、繰り返し頭の中で自動再生させる無意識な癖があり、又、起こってもいない事を悪い方向へ勝手に想像して、勝手にイライラしている・・・。
つまり、自分で「自らイライラを作り上げている」部分も多い。
だけど、根気よく続けてきたお蔭で、イライラの感情に頭が支配されていたのが、最近は「自分を観察すること」への意識の方が上回り、それが少し面白くなってきたのです。
大体、イラッとする時や、相手に怒りを覚える時は、
「自分が期待する様な回答や行動が得られない・・・」
「相手から自分の意に反する様な理不尽なことを言われた・・・された・・・」
「納得出来ない様な、命令をされた・・・怒られた・・・」
「何度言っても、分かってもらえない・・動いてくれない・・・」
・
・
・
他にも色々なパターンがあります。
これらの事って、100%相手にだけ非が有るのでは無く、もちろん自分にだって非があるケースも有ります。
よく「相手は変わらない」「相手を変える事は出来ない」から、例え相手に100%非が有ったとしても、それに対して自分が嫌な気分になるのは損だし、無駄だと言います。
私も、この言葉を自分に言い聞かせた経験は数えきれない程です。
だけど、思考が頑固で、頭とこころの感情が上手に繋がらない自分にとっては
「分かっちゃいるけど・・・忘れて、また繰り返してる」
すっかり頭から抜け落ちている状態です (-_-;)
だから、この考え方に関しては、無理やり自分自身に取入れるのを、一旦、止めて無視することにしました。
そして、まずは自分の今の状態だけに意識を向けて「気付くこと」への練習をしたのです。
その練習の成果が出てくると、イライラするストレス時間が減り、相対的に、こころにも余裕が生まれる時間が増えた。
こころの余裕が増えてくると「相手を変える事は出来ない」考え方も、時々、少しだけ自然と受け入れられている自分がいる事にも気付きました。
やはり自分に余裕が無く、怒りの感情が多くて高ぶった状態だと、受け入れる隙間自体が無いんですよね。
イライラやストレスに限らず、人間の脳は常に無意識に色んなことを考え続けているそうです。
だから脳が過剰に働き過ぎると様々な点で余裕が無くなる。
マインドフルネスの本にも、その様に書かれていました。
「ほ~~そうか、そうか」と、期待はしましたが、無器用な私は、本を相手に自分なりにやっても、残念ながら実感出来ませんでした。
でも、きちんと取り入れる事が出来れば、良い効果が現れるんだろうというのは分かります。
体感型の私にとっては、心の在り方に挑むのは理論だけでは難しい・・・・。
でも、出来る様になったのは、直接、指導してもらったからです。
私と同じ体感型タイプの人は、直接、指導してもらうと全然違うと思います。
「身体で直接、感じる」と言うことです。
「継続は力なり・・・」
仕事などでは経験していても、それ以外のことになると「きっと、そうだろうな~」と頭の中での理解のみで、心の在り方への継続は、恐らく今回が初めての様な気もします。(記憶が無いだけかもしれませんが・・)
イラッとした時の現在の「ありのまま」の状態に気付いたり、体の反応、または「また気付く事が出来た!おおっ!凄いなぁ~身に付いてきたな~」と自画自賛をしている。
その自画自賛している自分に再び気付く・・・・
何だかエンドレスの様で、ある意味「孤独のグルメみたい」で、笑えてくる危険な状況の時も有ります。
そんな時は「マスクしてて良かった・・・・」。
それに、かなり心にゆとりが有る時は、何とも言えない矛盾するところなんですが、イライラする出来事を避けたい気持ちの中に「次はどんな反応になるのか。来るなら来い!!」と、少しだけ楽しみにしているチョッと異常な私もいます。
この様な変化そのものも「人間の心って面白い!」と、ようやく55歳の私が、受け入れる隙間が出来て、実年齢は老人に近いのに・・・・
少し大人になってきたと思えます !(^^)!