友達とは「程好い」距離感も大切だと思う。
昨日の12月27日。
伊勢神宮へ年末詣にお参りに行ってきました。
コロナで2年以上振りです。
35年以上の付き合いの友達と出かけたのですが、この友達と会うのも2年以上振り。
私が薬膳の勉強を始めるまでは、毎年、一緒に10日~2週間位の旅行に行ってましたが、勉強が大変になってきたので、旅行は見送ってました。
それでも、たまにLINEをしたり、年に1度、伊勢神宮へ出かけてる様な間柄です。
同じ名古屋に住んでいるけど、会うのは年に1度位なのです。
それでも、会うとお互いの距離感は、以前と変わらず。
これだけ長く続いている彼女との関係性は、言いたい事を言いあえるのですが、ただし、互いに「必要以上のことは突っ込んで立ち入らない。」
親しいからといって何でも有りじゃない。
私も彼女に全てを包み隠さず話していないし、彼女も同様でしょう。
そこは、自然にわきまえ合っている気がします。
一定の距離感ってことでしょうか。
でも、気を使っているわけでもないから、一緒にいると楽・・・・
何だか微妙なバランスです。
また、ごくごく稀ですが、私が彼女の行動に腹を立てて怒る事もあり、逆に彼女が私に腹を立てて怒られることも有ったりしました。
※その時は、かなり激しく攻撃的に私も彼女も怒ります
でも、互いに、怒ったり怒られたりする意味も理解出来るので、30分以内には元通りに喋っているんです。
もちろん、正直、私は彼女に対して「ここはチョッと・・」と思う所も持っているし、彼女も私に対して同じ様に感じていると思います。
互いに100%パーフェクトでは無い感情は持ち合わせているけど、何となく感覚的に「様々な部分で合う」部分が多いんでしょうね・・・・。
今まで生きてきて沢山の人達と知り合い、そして「縁が無ければ」離れていく。
そんな経験を山ほどしてきました。
「友達は多い方が良い」
「友達は少ない方が良い」
少ないよりは多い方が楽しいかもしれないし、確かに誰一人いません・・・では淋しいかもです。
誰一人いない・・・そういう時は自分を振り返ってみるのも、少しは大切かなぁと思います。
「多いか」「少ないか」
どっちが、良い悪いではなくて、自分を抑え過ぎてまで作る必要が有るのか?
一緒にいる必要があるのか?
「友達」だから「親友」だから、互いのことを何でも知りたがり、色々聞きまくる人もいます。
その人に興味が有るから、もっと知りたい気持ちも分かるけど「友達」や「親友」だから、答えなきゃいけないと言う定義も無い。
聞かれて、包み隠さず、全てを話したい人なら良いと思いますが、そこまでじゃない人もいる。
苦痛に感じながら、楽しそうな振りをするのって疲れるし、逆に相手にも失礼だと個人的には思います。
(無意識に、本人が思う以上に会話や態度の端々に現れてるかと。)
私の周りや職場でも、傍から見てベッタリの距離感の人達がいます。
別にそれが悪いと言っているのではないのですが、大体、その人達の間で一度亀裂が入ると、それ以来、全く口も利かないし、相手の存在すら無い様に振る舞っている。
周りにいる人達が「気を使う」程になっている光景を目にするし、その2人が何かの状況で揃って近くにいなければいけない場合は、2人の取り巻く空気感が違うと肌で分かります。
「あの2人、あんなに仲が良かったのにね~」なんて声も聞こえてくるし・・・。
私の場合、性格も有ると思いますが「無理して」友達関係を続ける程、ストレスに感じる事は無いので、本当に合わないと思えば、自ら距離を取ります。
(自分から喧嘩を仕掛けるわけではないですよ。当たり障りのない必要最低限の接し方に留めるだけです)
それによって相手から嫌われても「私だって好きでは無い」から、そんなにショックは感じません。お互い様です。
職場の人間関係においても「友達作り」が会社に行くの目的では無いので、合わない人もいれば、合う人もいる。
たまたま合う人がいて、それ以上「お互い」が更に親交を深めたければ、仲良くもなるけど、やはり「親しき仲にも一定の距離は必要」だと言う考えは私自身変わりません。
そもそも、必要以上に、何でも踏み込んで来る人なら「私は合わない」でしょう。
35年以上の友達の彼女とは、私が初めて就職した会社の先輩です。
やはり、お互いに「合う」人とは、どこで知り合おうと、どんな関係性で有ったとしても自然と「友達」として続いていくんですよね。
最後に伊勢神宮で、撮った数少ない写真です。
【外宮の中】
よく下調べもせずに行ったので、こちらが何かは分かりません。
他の人達が、写真を撮っていたので、真似して撮りました(-_-;)
【内宮の橋の上から】
伊勢は晴天でしたが、名古屋にとっては大雪と言える日でした。
五十鈴川に「虹?」「光?」みたいなのが写ってます。
因みに空には虹は出てません・・・。
【五十鈴川】
この川の流れの音・・・。
寒くなかったら、もう少し長く聴いていたいと思うヒーリング音楽でした。
【内宮入口】
人が入らない様に写すには、このアングルしか有りませんでした・・・。
いのちは永遠では無いと分かっているけど…
数日前に会社の同僚のお母さんが亡くなったと聞きました。
突然倒れて、その時は意識が無かったとの事ですが、数日後に、何とか回復したので、彼女も出社してきたのです。
その報告を受けていた、ある上司も「良かったね」と言葉をかけてました。
ところが、その2日後位に、亡くなったと・・・。
私も驚きましたが、突然お母さんを亡くした彼女は、どれほどショックだったろうかと思います。
私は両親共に健在ですが、年齢的には同年代の高齢者です。
寿命からしても、後、どれ位生きられるか?
もちろん、私の周りには親がすでに他界している人達も多い。
改めて、考えさせられました。
その時に、昔、近所で子供の頃から一緒に遊んでいた女の子のお母さん(当時40歳代)が、近くのスーパーの帰りに自転車に乗っていて交通事故に遭い亡くなったこと。
また、数年前に、友達のお父さんが、実家でお母さんといつも通り、元気に一緒に散歩に出かけて、休憩の為に椅子に腰かけたと同時に倒れ、心筋梗塞で亡くなってしまったこと。
そんな事が、浮かんできました。
寿命が有るのは、誰もが当然の様に、分かっています。
分かっているけど、私を含めて多くの人が「明日もくる」のが当たり前だとも思っているし「もしかしたら、明日は来ないかもしれない・・」なんて日々過ごしていません。
私の両親も高齢ですが、正直「一緒に過ごすのは今日が最後」なんて日々、意識していないのです。
私は、昔から母との確執があり、よく言い争いになります。
子供の時からの、私への接し方の影響で、大人になってから苦労したり辛い想いをしてるんだ!と恨んだことも有ります。
ただ最近は、私自身もマインドフルネスで変化してきたので、言い争いも減りました。(ゼロでは無いですが・・・)
今は、元気だから言い争いも出来て、その時には腹立たしい感情だけですが、きっと、亡くなった時には、不思議と母への有難さや楽しかったこと、嬉しかったことだけが思い出されるのでは・・・・そう感じてます。
※母だけではなく、父や弟へ。また、大切な身近な人達へも。
私の年齢が55歳だから、そんな事を特に考えるのか・・・・
母が、まだ元気だから・・・まさか今日や明日に死ぬなんて思っていないからか・・・・
よく
「今日が最後の日だったら」
「明日1日しかないなら」
「余命○○○だったら」
そんな気持ちで1日を大切にしようと耳にします。
確かに、その通りだと思います。
でも「喉元過ぎれば何とやら」で、再び同じ日々を繰り返し過ごしてしまうんでしょうね。
私の、これからの人生の課題として、見える所にでも貼っておこうかなって思います。
10年の月日って、長いのか?短いのか?
それは、その人の年齢にもよりますし、おかれている状況、または過去の10年間を振り返るのと、これからの10年先を考えるのとでも違ってきます。
私自身、この10年間で、様々な変化が有りました。
※正確には11年~12年位でしょうか・・・・。
現在55歳。
当然、外見的な変化も有りますけど(-_-;)
特に感じている変化は内面的な部分です。
この約10年・・・・・
1つのキッカケから、ある行動を起こし、その行動から、更に別の行動をすることになり・・・・・結果、自分のこれからの生きて行く道が見えてきた・・・・。
初めのキッカケは、40歳過ぎての体調不良。
そこから体質改善の為に「薬膳」を始める。
※この時点での目的はあくまでも体質改善。
始めてからは、自分が共感できる内容や理論の面白さ・・・
進むにつれて、もっと知りたいと思える興味が湧いてきた段階です。
薬膳を勉強して、それを将来仕事にしていこう等の明確な目標は有りません。
だからこそ、始めてみて「イマイチ・・」と思ったとしても、リスクが少なく、人見知りの私は一人で黙々と学べる通信講座からスタートしました。
でも結局、どんどんハマっていき、更に「もっと、詳しく知りたい」と言う想いが出てきたので、勇気を出して、東京への受講を決めたのです。
私の思考癖の1つに取り越し苦労が有ります。
だから行く前は色んな不安要素を思い描いてしまうのですが、行ってみると、やはり取り越し苦労で終わり、逆に「行って良かった」と思えている自分がいました。
そして何度か通って、最終まで終了。
でも、この時には個人的に物足りなさを感じており「もう少し知りたいなぁ」という感情が残る。
そして、地元で別の団体が主催している「薬膳」を知る。
人見知りの私ですが、前回、勇気を出して行動したことによって、この時は、受講する事へのハードルが少し下がってました。
そして、ここでも最後まで受講し、終了。
体調不良がキッカケで始めた「薬膳」
ここまでで4年半位は費やしていると思います。
※この時点でも、私は将来「薬膳」の知識を活かして仕事をすると言う明確な目標は、持ち合わせておらず「もっと知りたい」が目的です。
実際、受講している仲間は「薬膳」を勉強して〇〇したい・・という目標・目的が有る人が多かったと思います。
「薬膳」講座に通うのは、一旦、ここで終了。
これ以上の所が見当たらなかったのです。
でも「もう少し知りたい・・・」
そうなると「国際中医師(国際中医専門員A級)」への資格取得の講座。
これは、今までの薬膳と比べると、かかる年月(3年)や金額、労力(仕事しながら)も大きいです。
果たして「薬膳」「中医学」に関連した将来の明確な目標・目的が無いのに、受講することに意味が有るのか?
自問自答です。
受講するまでに1年見送りました・・・。
最終的に
「もっと知りたいのか?知りたくないのか?」
「やりたいのか?やりたくないのか?」
この二者択一で受講を決めました。
その際に、自分で「目的や目標がなきゃ、受講してはいけないのかなんて、誰が決めた?」と、思い直したのです。
折角、興味が持てることを1つでも見つけたのに・・・・。
これで、3年間終了。
※この時に通信講座で「薬膳」始めてから、9年位経過。
まだ、将来の明確な目標は決まってません。
でも、この最終的な中医学の資格勉強の際に、あまりの記憶力と集中力の無さがキッカケとなり「マインドフルネス」を始める事に繋がるのです。
そこで「マインドフルネスを用いたハコミセラピー」を知る。
現在も「マインドフルネスを用いたハコミセラピー」を受けて続けてます。
すると・・・
この「ハコミセラピー」を受け始めたキッカケによって・・・
最近、ようやく自分の明確な目標が見えたのです!
※明確な目標とは「薬膳(中医学)」も関係すること。
(詳しくは、またの機会に書きたいと思います)
「やっと、見つかった・・・・」
これは、私にとっても、まさかの展開でした。
体調不良がキッカケで始めた事・・・・。
ここまで来るのに10年以上。
きっと「今後10年後には、やりたいことが見つかりますよ」と言われると、そんな遠い先?それならもういいや!と落胆してると思います。
マインドフルネスは記憶力・集中力UPにも効果が有るだけではなく、それ以外でも自分のやりたい事を見つけるにも良いそうです。
セラピーを受け始めた頃に、セラピストの人に「どれ位の期間で、本当に自分のやりたい事が見つかる?」とせっかちな性格の私は聞きました。
その時に、私のタイプだと「うーん・・・・早くても1年半位はかかるかな・・」と言われて「そんなにかかるの?」と凄く長い月日に感じたものです。
だけど、今、この10年間を振り返ると、自分にとって様々な出来事やストレスで辛かった事。
色んな心境の変化も有ったのですが、本当に「あっという間」でした。
これは、私の年齢の55歳というのも関係してるでしょう。
殆どの人が、年をとるにつれて、時が経つのが異常なほど早くなると感じてるようです。
私が25歳の頃に、あるお爺さんが言ってました。
「この前、30歳になったと思ったら、もう70歳だ」と。
その当時は「お爺さん、大袈裟すぎ。そんな馬鹿な・・(笑)」と、30歳になったばかりの友人と笑って話してました。
その友人も、現在は60歳。
私、55歳。
最近、その友人と「つくづく、あの時のお爺さんが言っていた事が本当だと、よく分かる・・・」とLINEでやり取りした次第です。
そう考えると、ようやく見つかった私の進むべき道・・・。
これは、今の年齢に見合った内容だと感じてます。
この10年間の月日。
長かったのか?
短かったのか?
この10年の月日は、私にとって必要不可欠だったし、ここにきて見つかったのは、これが絶妙なタイミング。
つまり、この約10年は、長い・短いと言うよりも私にとっての必要年数だったってことか…
残りの最後の人生。
「あっ!」と言う声を出す間もなく、終わってしまいそうです。
そう思うと、ボヤボヤしていられないので、1日ずつ「今、やるべきこと」を充実させて自分の道へ進もう!と心に決めたのでした(^_-)-☆
短所が長所へ昇格だ!
自分の短所が、見方を変えると長所になる。
私は自分のやりたいことが見つけられずにいた時に
‟世界一やさしい「やりたいこと」の見つけ方„という本を買って読みました。
「なるほど!」と思える内容はいくつも有り、とても分かりやすく、色んな想いを整理して、まとめていくには個人的に参考になりました。
その中で自分の短所が、見方を変えると長所になる。
ここで、自分自身に当てはめて振り返ってみると・・・
私は、自分でも本当に嫌になる位に、まだ起こってもいなことを、勝手に想像して、嫌な気分になったり、腹を立てたり、イライラしてしまうことが、よく有りました。
例えば、職場で業務内容以外のことで、上司が私達への指示・命令が理解不能な時。
色んな方向から考えてみても、どうしても納得出来ない。
そんな時に、直接、上司と話をする時も有るのですが、話をする前に、ある程度シュミレーションを無意識に、頭の中で考えているのです。
つまり、想定される会話のやり取り。
「きっと、あの人なら、こう反応するんじゃないかと。」
頭の中で、自分と上司の二役を演じております。
私「・・・・・」
上司「・・・・」
私「・・・」
上司「・・・・」
この様な一人芝居が、かなり続く。
しかも、この内容は決して良い雰囲気でのやり取りじゃなく、どちらかと言えば、最悪状態が想定されてのドラマ仕立て。
さらに、このドラマは何度も再放送されます。
※今、これを書きながら自分でも「私って、大丈夫か?」って思ってしまいます(笑)
こんな事が、しょっちゅう有るし、自分で自分を苦しめて、勝手に怒り、腹を立て、最後は、疲れ果て、その時点でようやく「あっ!またやってる」と気付くのです。
私は、以前、ストレスが多いと書きましたが、この様に、勝手に自ら増やしていることが要因でもあるんですよね。
本当に、こんな自分が嫌で嫌で仕方がなく「私は、占い師でもないし、霊能者でも無い!そんな先のこと分かる訳ないじゃない!馬鹿じゃないの~」って、気付いた時点で繰り返して唱え、自分の馬鹿さ加減に呆れてました。
最近、この様な私の一人芝居のドラマはゼロでは有りませんが、マインドフルネスのお蔭で、予告編程度の長さの段階で「あっ!またやってる・・」と気付く様になり、放送回数も減りました。
自分でも本当に無くしたい短所なのですが、これって、見方を変えれば、ある意味、私の長所でも有る・・・・・。
先々の想定される問題を、ある程度予測して、対処を考えようとしてるわけです。
例えば「こう言ったら、相手がどう思うか?どの様な疑問を持つのか?」
また、それに対応したら、次に、どんな疑問が出てくる可能性が考えられるのか?
その次は・・・。
これらは短所としては、私と上司の延々と続く「妄想型の言い争い」のドラマのケースとして表れてます。
でも、この思考には、
起こりえる問題点を、自分の可能な限りで探しておき、前もって対策を用意しておこうという意識も含まれているのでは?
もちろん想定外のことも有るでしょうが、事前に対策を立てようと言う無意識な癖は、
無意識だからこそ、頻繁に働く。
この様な方向から見れば、悪い事ばかりではないと思うんです。
仕事上、結構役立つ事も有るし、特に接客業なら尚更です。
ただ、当事者としては、嫌な想いの自動再生は辛いのも確か。
私の場合、この思考の癖は酷い時には職場のみではなく、家に帰っても、休日も繰り返される。
つまり、1日の中の大半を占めてる・・・・。
相当しんどいですよ。
現在は、嫌な一人芝居は、かなり減りました。
私がとった方法は、
自動再生中に
「あっ!またやってる!」
「占い師になってる!」
まず、この練習を例えば7回に1回・・5回に1回・・・3回に1回・・
と、ひたすら繰り返していく。
この気付きで一時停止される。
それと、長所の方へ出来るだけフォーカスする様に何度も、何度も繰り返す。
「私、イイとこ持ってるなぁ~」って、認めると同時に、自分を褒める。
両方とも私ですから。
事実じゃない事を、無理やり思い込ませるのではなくて、見方を変えただけで、これも事実なんですからね。
私は、この練習から始めました。
それだけでも、効果は感じられましたが、そこから更に発展して他のことも増やしていって、結果、かなり減りました。
数カ月かかってますけど、何十年と染みついた思考の癖ですから・・・
そう思えば、意外と早かったんじゃない?と感じてます。
ストレス強~い体質の私。
せめて最後の残りの人生は、ストレスを減らして心穏やかに過ごしたい。
その為に何が出来て、何が必要で、どうすれば近づけるのか・・・を日々取り組んでます!
体や肌を潤す手作りシュウマイ(薬膳効能解説付)
急にシュウマイが食べたくなり、初めて挑戦しました。
一番の目的は「シュウマイが食べたい!」
そこで、薬膳的にはどうなんだろう?と・・・・・・。
食べたかったシュウマイの食材を見ると、私が現在、最も気になっている「乾燥症状」に良いと分かる。
それなら・・・・もう少し、更に潤い効果を高めよう!と美肌効果に人気の白きくらげをプラス。
と、結果的に私が改善を望んでいる「乾燥症状を改善するための薬膳料理」にもなりました。
心穏やかな日々を増やすのを最後の人生の目標として。
国際中医薬膳師・国際中医専門員A級(国際中医師)・和漢膳プロフェッサーの「さなとびりー」です。
レシピは、いつも参考にしている「NHKきょうの料理。」
【材料】
豚ひき肉
玉ねぎ
白きくらげ
帆立貝柱の水煮(缶詰)
干し椎茸
生姜
シュウマイの皮
・
・
片栗粉、ペースト状のスープの素(中華風)、ゴマ油、塩、こしょう、酢、しょうゆ、練りがらし
【薬膳から見た食材の効能】
★豚肉:微寒性 肺・胃・腎
●肌や体内組織の乾燥症状を改善させる。
体内の陰液(血・津液)を生じさせて潤いをもたらす
●気を補い、元気な血を生じさせる
※特に、今の季節は乾燥が気になる。肺は乾燥や寒さを嫌う蔵と言われてます。
五臓と季節の関係性では冬は腎と関係が深い為、腎にも作用する物を摂ると良いです。
★玉ねぎ:温性 肺・胃
●気の巡りを良くする
●血の巡りを良くする
※寒くなると、体の動きが鈍くなると同様に体内の気血の巡りも悪くなる。
気血も巡りが良くなる物もプラスで摂る。
※体を温める作用も有り、生命エネルギーの気や栄養豊富な血が体中に行き渡るので体内外の動きも良くなる。
★白きくらげ:平性 肺・脾・大腸・肝
●肌や体内組織の乾燥症状を改善させる。
体内の陰液(血・津液)を生じさせて潤いをもたらす
皮膚の乾燥症状改善に優れる
●乾燥による咳を止める
●胃の気を補い、働きを整える
●乾燥状態の腸を潤し、潤い不足による便秘の改善を促す
●抗がん作用
※家族に内緒で入れました。凄く細かく切ってるので誰も気付かずです。
★干し椎茸:平性 胃・肝
●気を補う
●胃の気を補い、働きを整える
●抗がん作用
●老化予防
●精神疲労にも良い
★帆立(貝柱の缶詰を使用):平性 肝・脾・胃・腎
●肌や体内組織の乾燥症状を改善させる。
体内の陰液(血・津液)を生じさせて潤いをもたらす
●腎精(気)を補う
●肝の働きを良くする
●消化器系の働きを整える
●精神を安定させる働きも有り
●体に必要な水分を生みだす
※腎は生命力の元であり、成長・発育・生殖などを担っている蔵。
腎精(気)を補う事で、発育不良・精力減退・不妊・老化の改善に働く。
★生姜:温性 肺・脾・胃
●寒くなり、それが原因で風邪を引きやすくなる状態になる。
その病原体を体内に侵入させない為に、最初の段階で発散させて外へ追い出す働き。
●消化器系を温めて、働きを整える作用
(寒さにより体や気血の動きだけでは無く、内臓の働きも鈍くなるから。)
●嘔吐を止める作用
●肺を温める作用
(肺は寒さに弱い。弱くなると、肺の働きに影響する)
●咳を止める作用
●解毒作用
【作り方】
①:帆立貝柱の水煮は汁気をきってほぐす。缶汁は後で使用。 白きくらげを水につけて戻す。
干し椎茸は前日から戻しておく。
②:戻した椎茸・生姜・戻した白きくらげを細かくみじん切りにする。
玉ねぎは5ミリ位のあられ切り(この玉ねぎ部分は土井先生のレシピを参考)。
③:豚ひき肉に缶汁・ペースト状のスープの素、ゴマ油、塩コショウを入れて、粘りが出るまで練る。
④:椎茸・生姜・白きくらげを③に入れて再び練る。
⑤:玉ねぎの水分を絞り、片栗粉を入れて混ぜる。※この方法は土井先生のレシピ参考
(玉ねぎからの水分を止める為。)
(レシピで紹介されてた片栗粉の分量は、玉ねぎ200gに対して、カップ3分の1)
(レシピでは豚ひき肉の分量と玉ねぎは同量でした)
これ、結構ポイントだと思いました。
⑥:④に⑤の玉ねぎを混ぜ合わせるが、この時、玉ねぎの片栗粉がなるべく剥がれない為に、軽く押さえる様に混ぜる。
※私は①~⑥までを朝の内に終わらせて、一旦、冷蔵庫で寝かせました。
⑦:⑥をスプーン1杯ほど載せて、シュウマイの皮で包む。
(包み方はネットでプロの料理人が丁寧に包み方を教えているのを参考にしました)
⑧:蒸し器にシュウマイがくっつかない様に、下にキャベツを敷いて、強火で10分蒸す。
(食感を変える為、半分は蒸して、残り半分は油で揚げて「揚げシュウマイ」に。)
⑨しょうゆ・酢に練りからしを添えて出来上がり!
上にグリーンピースを載せれば彩り的に綺麗だったんでしょうが・・・。
他での使い道が考えられなかったので、今回は使用せず。
でも、改めて写真を見ると、やっぱり有った方が良いですね・・・・。
☆家族全員「揚げシュウマイ」の方が美味しかったとの事。
私もです(^_-)-☆
☆今回は豚ひき肉の量に対して、玉ねぎは豚肉の半分よりも少し多めに程度でした。
でも、土井先生のレシピの豚肉・玉ねぎを同量位で入れる方が、年齢層が高い私の家族には良かったかな・・と思いました。
◎シュウマイの全体的な効能としては、体の潤いを補う作用の豚肉をメインとして、更に気や血を補う事も併用されている。それを玉ねぎによって体全体に行き渡らせる巡りを良くする物も使われてます。
帆立貝柱の水煮や干し椎茸を使うかは紹介されてるレシピによりますね。
◎冷え症の人は、豚肉は微寒食材の為、温める作用の玉ねぎや生姜を増やしても良いでしょう。
◎「揚げシュウマイ」は二度揚げしました。蒸したシュウマイは少し肉々しさを感じ、これはこれで美味しいのですが、揚げた方が、皮がカリッとして更に美味しかったです。
今回は「食べたい」と思った料理と、私の体が必要としていた物が一致。
料理が得意では無い私でも切って混ぜるだけ。
包むのはチョッとした壁でしたが、初めての割には上出来だったと思います!(^^)!
怒りやイライラの感情を手放す「はじめの一歩👣」
「怒りやイライラ」の感情を「手放す」
「手放す?」
どうやって?どんな風に気持ちを持って行けばいいの?
私には「やり方」が分かりませんでした。
心穏やかな日々を増やすのを最後の人生の目標として。
国際中医薬膳師・国際中医専門員A級(国際中医師)・和漢膳プロフェッサーの「さなとびりー」です。
初めてマインドフルネスを体験した時に、この「怒りやイライラを手放す」方法の超初心者向けの様な感じで丁寧に教えて頂きました。
マインドフルネスは「今」ここに有る状態に気付く。
まず、自分の呼吸に意識を向ける。
※初心者の私にセラピストの人が
「今のお腹の状態はどうですか?」
「凹みや膨らみは?」
「もしかしたら呼吸が早いのかもしれないし、穏やかかもしれないし・・」
・・・・・などと、呼吸に意識が向く様にサポートしてくれます。
続いて「職場で1番嫌だ、嫌いと思う人を思い浮かべてみて下さい」と声かけが入る。
※言われた通りに浮かべます。
少し時間を置いて「今、どんな感情ですか?どんな事でもいいですよ。」
※○☓△◇%#$・・・・・と、そのまま感じたり、浮かんだ事を答える。
答えている間も、イライラや本当に大っ嫌い!って言う感情や相手の腹が立ったやり取りが思い出されてきます。
体全体が「怒りとイライラ」で一杯!
すると「そうなんですね・・。いいですよ、それで。その感情が今あるってことに気付くだけでいいです」
※(ふーん、そうなんだ・・)と、言われたままに従う。
ここまでは、目を閉じた状態。
怒りやイライラは継続中。
今度は
「目を開けて、この部屋の中を見渡してみて下さい」
「何か、気になる物、何だか癒されると感じる物、しいて言えば、これが好きかな・・などを1つ選んでみて下さい」と言われました。
※部屋の中には、絵や幾つかの観葉植物、可愛らしい置物なども飾って有ったのですが、この時の私は「綺麗」「可愛い」「素敵」・・・などの感情に乏し過ぎたので、決めるまで時間がかかりました。
セラピストの人は、そんな私を静かに見守り
「見つからなかったら、見つからないでもいいですよ。ただ、何となく気になる位の物でも大丈夫です」と優しく話しかけてくれました。
※本当は、神棚に飾って有る緑の葉(榊)が何となく気になっていたのですが、私の中で「本当にこれなのか」「他にもっと気になるのがあるのかもしれない・・」と言う気持ちも有ったのです。
私は「しいて言えば、神棚の榊かなぁ」と答えました。
「ああ、あの榊ですね」
「では、しばらく榊を見ていて下さい。見てるだけでイイですよ」
・
・
・
・
しばらく、この時間が続き、頃合いを見て・・・・
「今、どんな感情が有りますか?何でもイイですよ。体の感覚でもいいし、浮かんだ事をそのままで」
※「ずーっと見てると、葉っぱの緑色って綺麗なんだなぁ」
「何となく、少し落ち着く感じもするかな・・・・」
この時は、それ位の感想だったかと記憶してます。
「じゃあ、そのままの今の感情に留まる事出来ますか?」
※「やってみます」と私。
・
・
・
「さっきの怒りやイライラの感情は、今はどうですか?」
※「あっ!忘れてる・・・確かに・・・。」
「この感覚か・・・・」
「そうです。今、怒りやイライラの感情と距離が出来た状態です。」
「手放していくのは、こういう感覚でしていくのも方法の1つです」
例えば、可能なら職場の机の上や、見える所に少しでも好きと思える物を置く。
怒りやイライラの感情が出た時に、それを可能ならしばらく眺める。
そして、その時の自分の感情はどうなのか?・・・
観察して、今の感情に留まる。
「少し落ち着いたな・・・」
「まだ、イライラしているな・・・・」
「怒っているな・・・」
「癒しの物を見てるけど、中々癒されないな・・・・」
今は、気付くだけで良い。
そんなアドバイスを頂きました。
それだけでも、第三者的に、自分の感情を眺めている状態になり、眺めている自分にも気付く。
そんな事をしているうちに「怒りやイライラの感情」と少し距離が出来る・・・・。
簡単に「手放す」と言われても、理論的に理屈では理解出来るが、心や感情も同じ様に器用に私は動けません。
この様に、手取り足取り、実験みたいに実際にやってみると、身体の感覚として理屈抜きに分かります。
試してみて、実際に効果を感じるのか?
もちろん、やってみなければ分かりません。
人によって「怒りやイライラの感情」が起こるシチュエーションや対象にも違いが有ります。
私は、最初の頃、相手の腹立つ行動に集中で、忘れてしまう事の方が多かったです。
でも、気付く時も有るのです。
その時に出来るだけ、やってました。
現在は、ここから、様々な方法に発展してきています。
少しでも効果を感じたなら、継続してみる価値は有ると思います。
これが手放す為の「はじめの一歩」として、更に歩み続ける・・・・👣 👣 👣
これも1つの行動。
私にとって、行動力を付ける練習の1つ。
しかもリスクは無さそうです(^_-)-☆
死ぬまで無趣味だと思っていたけど・・見つかるもんだね~💕
心穏やかな日々を増やすのを最後の人生の目標として。
国際中医薬膳師・国際中医専門員A級(国際中医師)・和漢膳プロフェッサーの「さなとびりー」です。
ストレスを減らすには、何か趣味を持つのも1つの方法だと言いますよね。
あと、定年退職後、老後の人生の過ごし方も趣味がある人と無い人では、かなり日々の生活の楽しみ方や充実感も異なるでしょう。
でも、この「趣味」が中々見つからない・・・
職場の同僚達の中にも、結構このタイプの人が多いです。
私も、以前は「無趣味」のグループに在籍してました。
「趣味」と言える物が有ればなぁ~、何か面白い物が無いかな~ってなんて思い続けていましたが、そう簡単に見つからない・・・・全く浮かばない・・・。
これは昔から、感情を無意識に抑えていた為、自分の本当の気持ちに引っかかるアンテナの感度が悪かったと思います。
※怒りの感情は働きますが(笑)
「趣味」を見つけたいけど、見つからない人は、私と同じ様なタイプの人もいるかもしれません。
現在の私の趣味は太極拳ですが、これもマインドフルネスで自分の感情に気付く事を練習し続けるうちに、アンテナの感度が良くなってきたと実感してます。
正直、全く興味の無かった太極拳を習っているなんて、3年前の自分なら想像もできませんでしたから。
今では体が動くまでは続けていこうと思える一生の趣味。
私みたいに、そこまで感情に鈍感では無いなら、少しでも「チョッとやってみようかな・・」って思えることを試してみる。
試してみたら「理由は無いけど、何か面白いかも・・・」って感じて、それが趣味の始まりになるかもしれません。
もしかしたら「ぜんぜん・・・・何も。」で終わるかもしれません。
かれこれ10年位前の話です。
「趣味」探しをしている時、なぜか「ジグソーパズル」と言うワードが浮かびました。
友人の中にも「ジグソーパズル」が好きで大作を何枚も作っている人がいます。
私は、1度も作ったことが有りません。
(もしかしたら、これがキッカケで趣味になるかも・・・・)
初めてですから、完成出来そうな小さ目の物を選びました。
完成品です。
作成中は集中出来ましたし、完成後は、まあまあの満足感は得られました。
でも「うん。次はもういいかな・・・」と、これ1枚で終了。
私の場合、ジグソーパズルは趣味にはならなかったです。
やってみたけど、私にはハマらなかった。
それだけのこと。
これも、やってみたからこそ分かったことです。
その後は、体調不良から始めた薬膳(中医学)が私の熱中出来るものに、なっていくのですがね。
同僚の中には趣味が幾つも有る人もいます。
同じ職場ですから、彼女も私と同じ様にストレスを強く感じているうちの一人です。
数年前に、彼女から「最近ハーブに凝ってる。面白い」と聞きました。
「いいね~。楽しめる物が見つかって」と、単純に羨ましいと思いました。
すると、今度は「アロマにも何か興味が出てきた。習いに行ってみようかな~」と。
それから少しして、教室を見つけて受講し始めました。
さらに「人形作り」「ハーバリウム」・・・・、次から次へとです。
本人曰く「少しでも、チョッと気になるな~って思ったら、やってみようと思って」
「やることが一杯あるから、大変!でも、面白い!!」と言いつつも楽しそう ♪♪♪~
ストレスも、以前よりは減ったそう。
彼女は40代ですが、続けることで、今後の人生も変化が見られると思うと本人も語っておりました。
最近は、何かしらの人生の目標も出来てきたらしいです。
彼女の興味が有る物は、私のアンテナにはひっかからず、習いたいとまでは感じません。
私の趣味の太極拳も、彼女にとっては同様です。
興味が湧くものって、本当に、人それぞれで面白い(^^♪
私自身、腰が重いタイプで行動力に欠ける方。
どうしてもリスクを考えてしまって臆病になりやすい。
それに比べて「趣味」なら、まだ行動しやすい。
これも行動力を付ける練習。
日常の「気持ちが沈む様な雑音」を頭からシャットダウン。
心が穏やかな日々を送る人生。
それには「趣味」を持つことって重要だなぁと感じてます (^_-)-☆