自分を受け入れるって?
これ、できますか?
よく「自分を認めてあげる」「自分を受け入れる」と言う言葉を聞きます。
たしかに良い所も悪い所もすべてが自分そのものだから、ありのままを受け入れることで人生が生きやすくなることに繋がるのですが・・・。
言葉の意味としては分かるし「そうだろうなー」と、納得もするけど、果たして簡単に出来るでしょうか?
なぜかと言うと、私は最近ようやく出来る様になってきたからです。
今月で56歳・・・。
2年以上前、マインドフルネスを初めて受けた日にセラピストの人から「ありのままでイイんですよ」と言われました。
言われた瞬間、私の頭を巡ったのは、
(はっ?ありのまま?)
(ありのままでイイ?)
(ありのままって?)
だって、自分のイヤな部分、人に知られたくない・見られたくない部分、人としてどうなの?って考えてしまう自分がいることなど、変えたい所や消したい所は山ほど有るのにですよ。
それを、そのままでイイってこと?
(え?こんなんでイイの???イヤなんだけど、私は。)
その時の私には、正直ワケがわかりませんでした。
しばらくお互い沈黙が続いた後に、セラピストから
「この言葉を聞いて、今、何か感じたことはありますか?浮かんだことでもいいし、からだに感じたことでもいいし、何でもイイですよ」と声をかけられました。
私は、先ほど頭に浮かんだことを言ったら、きっと「ありのままとは、こうでああで、こういうふうに・・・・・・・・・」なんて「ありのまま」の説明をされるかもしれないし「50歳過ぎて、そんなこともわからないの?」みたいに思われるんじゃないかと一瞬考えてしまいました。
でも、せっかく受けに来たんだし、勇気を出して「ありのままって・・・意味がわからないです」と答えました。
すると「意味がわからないんですね。いいですよ、それで。」と、想定外の回答でした。
あまりにも意外だったのですが、それでも「あっ、いいんだ、それで、へぇー。」と何だか自分を認めてもらえたようでチョッと安心した記憶があります。
ですが、もともと私は何でも答えを求めたがる傾向があり、そのままにしておくとモヤモヤが残るので早く解決しスッキリしたい想いもありました。
とくに長くストレス抱えてると、自分でどうにかしようと思っても出来ない状態だから、何かしら答えが欲しい!答えをもらって少しでもラクになりたい気持ちもあるんですよね。
でも「こうした方が良い」という答えは無く、あくまでも「私がどう思うか、どう感じるか、どんな感覚なのか」だけです。
だから、色々な言葉をかけてもらうのですが、それに対して私がどう感じたかが大切であり、そこに気づくことが重要みたい。
私が答えた内容の良い・悪いは全く関係ないんです。
これはマインドフルネスに通い始めて、後で気づいた事ですが、私は頭で考えることばかりに相当偏っていたようで、怒り以外の感情は何十年と自動的に封印するクセがついていました。
そのため、とにかく最初の頃は、言葉をかけてもらっても「何も浮かばない」「わからない」「何も感じない」ことが多かったです。
それでも「それでイイですよ」と認めてくれるし、セラピスト自身の考えや世間の常識的な考えなどを押し付けることはせず、あくまでも私自身が気づくことをサポートしてくれていました。
損得関係なく、しがらみも外し、ありのままの私のこころに「気づく」ことの練習です。
唯一、こころでは無く理屈で考えて出した答えの時だけは指摘されましたが、それは私自身も、言われて気づくことで「あ!ホントだ」と判りました。
ここが、本を相手にひとりでマインドフルネスを試みてた頃との大きな違いです。
この気づきの積み重ねによって、そこから色んな方面へ「気づきの波及」がされていっているのを実感しています。
続けてきた間も「自分を認める・受け入れる」ことを意識しておこなっていたわけではなく、日々の気づきの延長線上として「こういうことだったのか!」と、たまたま気付いたような感じなのです。
人から言われたことではなく、自分自身の中から湧き出たものに気づくので、まさしく「これこそ腑に落ちる!」です。
「自分を認める・受け入れる」と聞いて、簡単に自分に取りこめる人はいいのですが、私にとっては、具体的な方法がわかりませんでした。
理屈で理解しているから、自分では出来ているつもりのようでも、本当の意味で受けいれられているかの確信までは、私には持てなかったでしょう。
今回、ようやく分かったのは「こういうことだ」と受け入れた瞬間に、からだの感覚が変わったからです。
こういう事って、実際に経験してみないと、正直、半信半疑だし、わからないと思います。
きっと、私ならそうですから(笑)
もし、私と似た様な方がいたら「自分を受け入れる・認めてあげる」のが出来るようになる方法として、マインドフルネスでの「気づき」の習慣が役に立つよ!って伝えたかったんです(^_-)-☆
自分の限界の「サイン」に気づく。
「マインドフルネスを習慣にしてよかった!」
今回、そのように改めて思ったのは、今月に入ってから凄く忙しかった日が続いたからです。
体力的には問題なかったのですが、とにかく頭がオーバーヒート状態でした💦
日頃、まったく使っていないわけではないけれど、普段と異なる頭の使い方をしてました。
仕事でも頭を使いますが、なれてくると、ある程度は自動的に働くようになるので、疲れたとしても取れるのは早いです。
でも、今回の頭の使い方は、記憶に無いほど久し振りだったのか、または全く使ったことがないのか・・・
どちらにしても、中々思うように頭が回らず、いったん出した答えなのに、しばらくすると「やっぱり、チョッと違うな・・」と、考え直す。
そんなことを繰り返しながら集中しておこなっているので、時間がたつのも早くアッ!という間に7月が終わってしまいました。
そのため、マインドフルネスをして頭を休めるようにしていたのですが、どうも許容量を超えたのか、何度か感情に変化が現れました。
全然ヤル気が起きないどころか、今までとは真逆のマイナス感情です。
「私には、このような頭を使うことは向いていないんじゃないか」
「投げだそうかな・・・」
「面倒くさい。ほんとイヤになっちゃう・・」
・・・と、浮かび始めます。
以前の私なら、その感情に体中が支配され、それでもやらなきゃいけないからイヤイヤながら強引にすすめる。
でも、結局は続かないので、最後の方は「ま、こんなんでいっか・・」と自分も認める妥協っぷり。
ですが、今回は違いました。
マイナス感情が浮かんでから、3~5分たつか、たたないくらいでしょうか・・・
早々とマインドフルネスでの「気づき」が登場してきました!
「あーーー、今、こういう感情があるな・・私。」
このように気づいた瞬間、マイナス感情を一歩ひいた感じで、冷静にみている「もう一人の私」がいます。
冷静になることで「今は、もう頭がいっぱいなんだ。今は、この件は辞めよう!このまま続けても望む結果は出ない。」と自分のボーダーラインに気づいたようです。
翌日、自分の気分に素直に目をむけてみて、やはり気分が上がっていない感じがするのなら、無理せず同じ頭の使い方をすることは一切しませんでした。
これが、ふしぎ・・・
その後、マイナス感情はどこへ行ってしまったのやら・・・自然とやる気が戻り、気分も上がっていました。
やはり、使い慣れない頭を使い過ぎたために、一時的な気の迷いのマイナス感情が出たんだな~と思います。
先月は、このような「やる」「やめる」「やる」「やめる」を繰り返し、ようやく一段落つきました。
社会で生きていれば、初めて取り組むことや、自分が得意では無いこと、好きでは無いこと、ここ一番頑張らなければいけないことなど自分に負荷がかかるものは、現実としてあります。
ただ、自分の限界やボーダーラインに気づかないと、それを超えて続けてしまい、挙句の果てに身体を壊し、心も病んでしまうんだろうなと改めて思いました。
日頃から自分を見ようとしていないから、感情の変化が現れても、それが仕事を進めるためにマイナスになるのなら「見ないふり」をして打消し、続ける為に都合のよい考え方を上書きして、あたかもそれが自分だと思い込んでいました。
色んな現実を考えれば、どうしても避けられないことはあります。
だからこそ、限界やボーダーラインを知ることは最終的に自分を守ることだし、一旦、休息をとれば再び良い結果をだせることも可能だと思います。
それらに気づくためには、まずは日常的に自分の身体や感情を、よーーーーーく見ておかないと分からないでしょう・・・。
私は、今回の件があって、マインドフルネスを習慣にしていたおかげで自分のボーダーラインのサインを改めて認識しました。
一段落した今では、新たな頭の使い方が出来たのは自分の経験として、本当に良かったと思えます。
今月、56歳!
まだまだイケるじゃん!
まだまだ成長できそう!
そんな気がしてます、わたし・・・。
熱田神宮の神様からのメッセージ?(動画あり)
偶然、この動画が目に留まりました。
マインドフルネスをする時に聴くヒーリング音楽を、YouTubeで探していた時に出てきた動画です。
私にはスピリチュアル的な能力は無いので、正直よくわかりません。
・・・・が、信じる、信じないは別として「なんだか少し救われる様な気持ち」になりました。
熱田神宮は地元なので、たまにお詣りに行きます。
先日も、近くで別件の用事があったので、バチあたりの様ですが、ついで?にお詣りに立ち寄りました。
↓の写真は以前、撮ったものです。
パワースポットと呼ばれているようですが、私はそのような能力を持ち合わせていませんから、不思議体験などもありません。
熱田神宮は「熱田の杜」と呼ばれているくらいなので、緑が多い場所です。
ただ、朝の散歩に行く緑地公園とは空気の澄み具合は違う・・・この程度は私にも分かります。
※以前、ブログでも紹介しました。
今回「熱田神宮?」「動画?」「神様?」
何度も訪れているので親近感がある場所です。
テレビ番組で、自分が行ったことが有る場所が放送されてると「あー、ここ行ったことあるー!」と、なんだか嬉しくて、ついつい観てしまう・・・そんな感じでしょうか。
しかも「神様?」
私には見えないだけで、本当はどうなんだろう?
そんな興味も湧きました。
スピリチュアル的なことを信じないにしても、生きてるうちに最低でも1回はお詣りに行く人が殆どじゃないかなぁと思います。
信仰の度合いは、人それぞれ違いますが、初詣を含め「何らかの神頼み」は経験ありませんか?
この動画は15分位です。
投稿している方が熱田神宮の神様からのメッセージを伝えるところがあります。
くどい様ですが、信じる・信じないは別として、私は人間として少し救われるような気がした動画でした。
今度、行った時には、よーーーーーく目を凝らして周りを見てみようかなっ!
きっと見えないと思うけど・・・・💦
時短で美味しいタルタルソース!
「NHKきょうの料理」渡辺あきこさんのレシピ。
チキン南蛮で紹介されていました。
玉ねぎの変わりに「らっきょう」
個人的に市販のタルタルソースよりも、このレシピの方が好きです。
色々なタルタルソースのレシピは紹介されていますが、やはり玉ねぎやピクルスを使っている物が多く、なかにはキュウリを入れる物もありますね。
以前は、私も玉ねぎ、ピクルスを使って作ったことはありますが、チョッと面倒臭い・・・。
何が面倒かと言うと、玉ねぎの辛みを取ること。
水でさらすだけの方法もあるけど、土井善晴さんが紹介していた方法が、辛み取りには、よりイイ感じでした。
ただ、手間がかかる。
塩を振って、固く絞った布巾で包み、しんなりするまでもむ。
水をはったボウルに、その布巾ごと入れ、出てきたぬめりを洗い落とし、水けを絞る。
玉ねぎの辛みも取れて、余分な水けも出ないのは確かですが・・・
正直、これをしようと思うと、タルタルソースとは疎遠になってしまいます。
それと、最後に塩・胡椒で味をととのえないと、何だか味がボヤける。
これが、料理が苦手な私にとってはハードル高い。
なかなか味が決まらない・・・。
この段階、一発で決まったことは無いです。
しかも何度も繰り返していると、どんどん分からなくなってくる。
最後は「もう、いいや、これで」のタルタルソースで完了。
こんな気持ちで終わると、片付けの洗い物をしててもテンション下がりめだし、作った手間の疲労感がじわじわと出てきます。
でも、この「らっきょう」のタルタルソースは塩・胡椒は必要なし!
紹介されていたレシピの分量は、
☆ゆで卵:1/2
☆マヨネーズ:大さじ4
☆らっきょうの甘酢漬け(市販)をみじん切り:3個分
私はこの基本のレシピに少しプラス。
4人分として、しかも具材を多めにしているので、
●ゆで卵:2個
●マヨネーズ:大さじ4、または5弱
●プレーンヨーグルト:大さじ1
●らっきょうの甘酢漬け:8個位
●パセリ:まあまあ多め
または、この半量で作ります。
本当に簡単!
ゆで卵を作っている間に、らっきょうとパセリをみじん切りにする。
らっきょうの個数はあるけど、玉ねぎをみじん切りにするよりは、よっぽど切りやすいし早いです。
切ったものを、そのまま混ぜるだけ。
難関であった塩・胡椒が不要になったことで、ここでも時間短縮。
甘酢漬けが良い仕事をしてくれているお陰です。
それと、プレーンヨーグルトを入れることで、マヨネーズだけよりは、若干ソースがゆるめになるのと、少しあっさりするかなぁという感じです。
健康のためにマヨネーズの半分くらいプレーンヨーグルトにされる方もいらっしゃいますね。
後は、パセリです。
これが無いと、なんだか物足りない・・・。
私の母は「らっきょう」とパセリが嫌いです。
だから、最初に作った時には、何が入っているのか知らせていません。
さすがにパセリの緑には気付いていますが、ここには母も触れてきませんでした。
でも、そこにらっきょうもプラスされたと分かれば、絶対に食べないに決まってます。
「これ、美味しいねー」
って、食べ終わった後に開示。
やはり「らっきょう」の存在には気付かなかったとのこと。
今では、私の作るタルタルソースは、時短で美味しいこのレシピです。
いつもながら、考え出す人は凄いと思います。
ちなみに「らっきょう」は生薬として漢方薬にも使われます。
生薬名:薤白(がいはく)
温性。
大まかな働きを簡単に紹介すると、
冷えにより滞った気を、温める作用によって通りを良くし、気を巡らせる働きが有ります。
上半身は肺などの胸部、下半身は胃や大腸を含む消化器系。
例えば、冷えによる胃の不快感や、吐き気、消化不良などにも良いとされています。
この厳しい暑さの時に「体を温めるもの?」と、思われるかもしれません。
これだけ暑いと、クーラーの中で殆ど過ごすし、冷たい飲み物や食べ物を摂りたくもなりますよね。
ただ、あまり冷たい物ばかり摂り過ぎると、今度は内臓の働きが弱くなります。
異常な気温上昇で「からだが慣れていない」と言いますが、内臓も同じ。
冷たい物を摂ってはいけないというのでは無くて、温める物を少しプラスするということです。
これから本格な夏。
暑さが続くと、それだけで体力消耗してるのが分かります。
夏バテしないためにもエネルギーとなる気を補うことは重要です。
特に消化器系の脾胃は気を作る中心的な役割を担っているので、気を付けてあげた方がいいでしょう。
そもそもタルタルソースはメインのおかずでは無いし、あくまでも「ソース」ですから、今回のらっきょうも大量に食べるわけではありません。
だから、からだを温めるものだから「これ以上、暑くなるのはイヤだーーーー」という心配まではご無用です(笑)
初めて選挙の投票に行ってみた時のこと・・。
て現在55歳の私が、初めて選挙の投票に行ったのは40歳過ぎ。
政治に不満はあるけど、
「たかが一票だから、私が投票しようが、しまいが何も影響ないでしょ」
「投票したい人がいない。どうせ誰がなっても変わらない」
「わざわざ、行くこと自体、面倒臭い」
・・・・と、こんな感じで「選挙」に足を運ぶことはしませんでした。
しかも「投票したい人がいない」と言うのも、最初から行く気がないわけですから、立候補している人達の公約や考えなども、選挙カーから流れくる声以外は、あえて見ようともしてません。
そもそも見ていないから、知らない。
投票したい人が「いない」とか以前の問題。
それでは選べませんよね(笑)
まだ、投票に一度も行ったことが無い人の中には、この様に私と似た考えを持ってる人もいるでしょう。
そんな考えを持っていた私が、40歳過ぎて初めて投票に行くことに至った詳細な理由まではハッキリ覚えていません。
まあ、何かのキッカケがあり、誰かに頼まれたわけでも無く、自分の想いで行ったのは間違いないです。
「よし!投票に行ってみよう」
そう決めた時から、立候補者の公約や考え方などを新聞記事で調べたり、テレビなども気にするようになりました。
私は、特に支持を決めている政党はありません。
正直、掲げている公約を100%実現してくれるとは信じていません。
明らかに当選したいためだけの、その時だけの調子イイことばかりを並べてると感じる人もいます。
さて・・・自分が得た情報の中で、どこを取捨選択して選ぶのか?
この人は、どんな人なんだろうと推理?してみたり、せっかく投票しても、残念ながら絶対当選しないしなぁ・・・とか。
そんなことを、あれこれ考えながら総合判断して、最終的に誰にするのかを決めました。
この時点で、投票に対してチョッと面白くなってきてます。
そして、いよいよ投票日。
なにしろ人生初の投票ですから、投票所がどんな風になっているのか?何か手続きが面倒なのか?時間がかかるのか?どんな順番で進んで行くのか?キョロキョロして、動きが挙動不審にならなか?・・そんな好奇心とちっぽけな不安を持ちながら向かった覚えがあります。
受付から始まり、それぞれの場所に座っている係の人達は親切で、とても分かりやすく、傍から見ても、まさか私が「投票初心者」だとは誰も気付かない位にスムーズに終われました。
帰る時に、時間帯別の投票率が記入してある貼り紙に気付きました。
「へぇ~、意外と低いんだ・・・」
「もっと、みんな行けばいいのに・・・」と、素直に浮かんだのですが、すぐに「ちょっと自分が投票したからって、よく言うよなー」と今まで投票に行かなかった自分を見なかったことにしてるようでした。
投開票の時間です。
どこのTV局も選挙番組ばかりなので、今までは見向きもせず、撮りためた録画番組を見てました。
だけど、今回は自分も一緒に参加しているという、なぜか「関係者」の様な気持ちになってます。
こんなに選挙番組を楽しみにしたのも初めて。
自分が投票した人が当選するのか?
どれくらいの票を獲得したんだろう?そこに私の一票が入ってる。
こんなに自分の一票が気になることはありません。
「たかが一票」と言っていた時とは、エライ違いです。
そして、自分が投票した人が当選と決まった時は、関係者じゃないけど、やっぱり嬉しかったです。
投票に行く、行かないの理由は、みんな色々。
私の場合は、チョッと楽しみながら投票に行ってます。
この初投票体験以降、必ず投票に行くというわけではないです。
行く予定だったけど、たまたま当日、体調が思わしく行かなかった事もあります。
または、本当に投票する人がいない。
実際、投票する人を決める時に「この人がイイ!」というよりも、失礼ながら消去法で決めることもあります。
消去法で選ぼうとするが、どうしても全員消えてしまい、どんなに頑張って見ても、自分の中で残る人が誰もいない場合は、一票を投じたくないので行きません。
人生の中で、一度は投票に行く経験をしても損にはならないと思います。
私は「自分も一緒に参加してる感」がチョッと面白く、気に入っているので、一応、来月の選挙には行く予定です。
誰に投票するかは、まだ決めていません。
そろそろ情報収集はじめよっかなーーーってところです。
また自分の欲求に負けてしまうのか・・。
このゲームを始めて5年。
「ガーデンスケイプ」というアプリです。
調子よくゲームをクリアして先に進んで行くと「もう少し!あと少し!いける、いける!」と・・・気付いたら1時間位やっている時も有ります。
他にすること無いのか!?と思いますが、いや、した方がいいことは有るんです・・・。
それでも、ついついやってしまう。
そんな時は「あ~私、何やってるんだ・・・こんなことに時間使って・・・」と、毎回悔やみますが、この同じ反省は1度や2度ではありません💦
昔から、そんなにゲームにハマる方では無かったのですが、やってみると面白い!
確かに、ゲームに対しては費やしてる時間や課金なども含めて、賛否両論あると思います。
私の周りでも、年齢問わず、ゲームを楽しんでいる人達はいます。
課金しない人もいれば、課金する人、しかも課金の金額がビックリする様な額の人も中にはいます。
私の個人的なゲームの決め事は、絶対に課金はしない!ということです。
正直、課金しないとクリア出来ないんじゃないか?と思うレベルが何度も訪れました。
それでも、くじけずに地道に続け、何度も、何度も繰り返し、やっとクリア出来た時は「よしっ!」と、一人で小さくガッツポーズをしてしまいます。
だから、そんな難しいレベルの時に、あと一手!という場面では「課金しちゃおっかなー」っと、気持ちがゆらぎます。
百数十円と、わずかな金額なんですが、ここで課金したら、きっと「これくらいなら・・・」と、また同じことをしてしまいそうな自分がいることを知っています。
でも、なぜか、ゲームに課金せずの意志は強い!
この強さを、もっと肝心なところで活かせないのかと思います(笑)
今のゲームは作りも「凄い!!」としか言いようのない精巧さですし、沢山の人達が、つい時間を忘れて夢中になり、延々と続けてしまう気持ちも分かる気がします。
また「何も考えたくない・・」なんて時の、気分転換になってる時だってあるんです。
そこまで人を夢中にさせてしまう物を作る仕事。
その点において、素晴らしいと私は感じます。
子供の頃に、ゲームの面白さにハマり、将来はゲーム開発者になりたいという夢を抱き、実際に実現させている人もいます。
問題はゲームをする側ですよね・・・・。
課金の金額は、本人が稼いだお金で、いくら使おうが個々の判断。
大人が夢中になってしまうくらい面白いのですから、子供だって同じです。
しかも、子供は大人よりも夢中になると、中々セーブが効きません。
※大人でもセーブがきかずに人生を棒にふるような結果になる人もいます。
中には、親が知らないうちに最初に登録した親のクレジットカードで、どんどん課金してしまい、ビックリするような請求額になってるなんて話も聞きます。
私も他にやること有るのに、それをしないで、楽しい・面白いの誘惑に負けてしまうこともある。
その反面「これだけ苦労してきて、あと一歩でクリア出来るのにーーーーーーー!」と、課金のボタンを押したい気持ちをグッと堪えることが出来る面もある。
人間、ここは止めた方が良いと分かっていても、自分の欲求に負けてしまうところ、欲求を抑えて自分に勝つところ。
❇︎人生で取り返しつかないほど、人に迷惑かける様なことは勝つとか負けるとか言ってる場合では無く問題外です。
どっちかがいき過ぎれば、バランス崩れて問題がおこることもある。
両方のバランスが取れるサジ加減が、上手く出来ればイイんですけどね。
「あー、またやっちゃったー」と、ゲームに費やした時間を悔やんでる時に、ふと「このバランスって、結構ムズカシイなぁ~」と、浮かんだのでした。
なんでもかんでも理由を求めたがる・・
「うーん、行こうか・・止めようか・・どーしよーかなぁ・・」
今朝、目が覚めた時に私が布団の中で葛藤していたことです。
いっけん「仕事?」とも思えますが、いやいや「朝の散歩」のことです。
たかが散歩くらいで「かっとう?」
大袈裟な書き方してますが、私にとって「朝の散歩」は本当に楽しみで、散歩に行けるかどうかの確認のためだけに天気予報をチェックするほどです。
実は、昨日も同じ葛藤。
結局、昨日も今日も散歩に行きませんでした。
体調が優れないとか、眠くて起きれないとかではないし、からだ的にはまったく問題なく行ける状態です。
朝の散歩を始めて数年経ちます。
緑地公園での早朝の散歩は、本当に気分がイイです。
朝陽が木々の緑の隙間からキラキラ差し込んで、行ったことも見たことも無いのに、まるで天国にいて後光がさしているかのような景色に見えるんです。
初日の出で、昇ってきたばかりの太陽に、思わず拝んでしまう気持ちがよく分かります。
こんな気分に浸れ、しかも歩く事で、起きたばかりのギクシャクした体がほぐれるのですから、どれだけ私が「朝の散歩」を楽しみにしているのか。
まあ、散歩への想いはこれくらいにして・・・・
今回は「朝の散歩」の良さをメインに書きたかったわけじゃないんです。
それほど楽しみにしている事なのに「精神的にも肉体的にも出来る状態。自分で自覚している範囲では、やりたくない理由は思いつかない。判らないけど、なんだか、気が乗らない・・・」
そうなんです。
私は、何でも理由を求めたがる。
理由を求めることが全て悪いことでは無いし、その理由が分かれば対策が見つかることもある。
それによって良い結果が出せることもあれば、安心感だって得られる。
ものごとを、何でも頭の中の理論で解決しようとするクセが長年しみ付いているのですが、そもそも人間の感情やこころなんて、理屈や科学では説明できないことが山ほどあるんですよね~。
最初は、目が覚めてから「あれ?なんでだろう・・・」
とりあえず無理にでも行ってみようか、それとも止めようか?と悩みつつ、理由を考えていました。
そして数十分後・・・
「あっ、私、なんでもかんでも、こんなことですら理由を探そうとしてる」
そう気付いた時、理由を求めようとしていた思考が止まりました。
「こんなことばっかりしてたら、そりゃ、疲れるわな~」と、自分で納得。
それと同時に新たにチラッと浮かんできたことが・・・
なんと「実験してみよう!」です。
※これが良いのか悪いのかは別として「この人の(私)発想はこんな感じなんだー。へぇ~・・」くらいに、軽く受け流して頂ければ結構です(笑)
実験計画は、次回の散歩予定日も同じことが起こるのか?
もし起こった場合、
1.無理にでも行く。そして行く前と行った後の「自分の感覚・感情の変化」を観察だけしてみる。
単純に、気持ちの感覚をみるだけ。それに対して良い・悪いじゃなくて「あぁ・・こんな感覚か」・・・と。本当に「それだけ」の観察。
2. そして、再び「気がすすまない」感情が出たら、その感情のまま従って止めてみる。これが何日続くのか・・・。
そして、このまま永遠に「朝の散歩」を止めてしまうのか・・・さすがに、それはしたくない自分がいるから、いい加減どこかで無理に行くと思います💦
さて、どうなるのか?自分でも試してみないとわからないです。
なんだか自分の感情への観察そのものがチョッと面白くなってきました。
今は、もう理由なんか、どーでも良くなってる私です。
もし、誰かがブログに「散歩に行くのに、イマイチ気が乗らない。その気乗りしない理由を数十分もかけて考え続けてる」なんて書いているのを見たら、きっと私は「へぇー、そんなことですら考え込むんだー、この人、生きてくのに疲れるだろーね。きっと大変だねぇー。」って、自分のことを棚に上げながら読んでると思います(笑)
そんなもんですよね。
他人事のように一歩距離をおくと、冷静に楽観的に人のことは見れますからね。
今回は数十分で気付きましたが、昔は、もっと時間がかかっていました。
「いくら考えても答えがでないものは沢山ある」
「そもそも理由なんてないものだって、この世には存在する」
「その時は、わからなくても、ずーーーっと後になってから判明することも数知れずある」
今、思えばナントもったいない時間を過ごしていたんでしょう。
もしかすると、次回の散歩の日、今朝のような「気が乗らない」ことがあったことすら忘れて、今までどおり普通に散歩に出かけてるかもしれません。
記憶力が衰えた寂しさはありますけど、まっ!それなら、それでヨシ!としときましょう!