ストレス減ったせい?それとも年のせい?
「これの、どこが面白いんだろう・・?全然、わかんない。」と全く興味なかったのが、今では「なんで私は、ここまでハマって観てるんだろう・・・?」
テレビ番組の話です。
それは「水戸黄門」
初代:東野英治郎さんが演じているシリーズが気に入ってます。
しかも、観られない時は録画までしてるし・・・💦(かといって、永久保存版とまではいかないから観たら消します)
子供の頃、祖母が好きな番組のひとつだったので、私も何度か一緒に観たことがあります。
「いつも同じでワンパターンだから、つまらない。これ、おもしろい?」って祖母に聞くと「そう、いつも同じだよ。これがイイんだよ!」と、「これが」に力をこめながら答えてました。
続いて、
祖母「まあ、わかんないだろうね~。フッ、フッ、フッ・・・」
私「えーっ!?じゃあ、年とったらわかるの?」
祖母「まあ、わかるわ・・・そのうち。フフッ」
いや、絶対わかんないと思う・・・と、祖母の言葉を信じていませんでした。
それが、ここ最近。
55歳で「これがイイんだよ!!」の「これが」わかりました。
祖母が言っていた「これが」と、私の「これが」は、既に亡くなっているので全く同じかどうかは、確認できません。
でも、私の「これが」は何かと言うと、
世の中、こんなことが本当にまかり通るのか?と思える程の理不尽で不当な扱いを受けている町や村の人々。
なかば人生諦めていた人達が、最後は、誰も言い返せないエライ立場の黄門様の鶴のひと声で、きれーーーに問題が解決する!
しかも、散々、迷惑なことをしてきた責任者たちを罰したり、時には容赦なく切り捨ててる!
※確か、2代目以降の他の黄門様は、助さんや格さんに「切ってはなりません!!」と殺すことを止めてたシーンを観たことがあります。
私は「今まで、自分の気にいる、気に入らないで沢山の数の人を簡単に切り殺してきた悪人なんだから、全然、切っちゃっていいじゃん!」って思って観てました。
初代:東野英治郎さん演じる黄門様は、スパッと切り捨てても何も言いません。
毎回、ワンパターンの展開ですが、観終わったあとは、スッキリした爽快感と「よかった、よかった、うん、うん。」と、一人でうなずきながら満足してます。
この感じ・・ホント、おばあさんみたい・・・。
年とったな・・・・私・・(笑)
と、いう事は「水戸黄門」にハマるのは年のせい?
それもある。
でも、それだけじゃない。
黄門様は「越後のちりめん問屋、みつえもん」と偽名を使っているので、正体を知らない人達から「ジジイ」呼ばわりされ、暴言を吐かれることもしょっちゅうです。
お供の人達が、失礼だ!と怒っても、当の本人は、穏やかに「はい、はい。」と対応されていらっしゃる。
さすが、育ちも良く、人生経験豊富な黄門様は器が大きいなーと感心するのですが、たまに「えっ!?こんなことで?」と、ムキになって怒る時もあります。
そんなところが、かえって人間味があり、より器の大きさを感じてしまいます。
また、演じている東野英治郎さんが上手いので、それを見ながら「アハハハ・・」と笑っている自分に気付く。
今までなら、申し訳ないけど「こんな程度では、わざとらしくて、ぜんぜん笑えない」と、冷めた目でみてました。
しかも、もともと私は「ウケやすいタイプ」では無いんです。
怒りの感情以外は乏しくて、かなり冷めた印象に見られることが多かったです。
マインドフルネスを続けたことで、今まで無意識に抑え込まれていた他の感情が、素直に表に出てくる機会が増えてきました。
嬉しい!楽しい!面白い!が増えれば、もちろん怒りのようなストレス感情は、相対的にも減ります。
ストレス減って、自分にゆとりが出たことで「今まで、くだらない!」と思っていたことが、余裕をもって楽しめてるんじゃないかと思います。
今回の結論。
ストレス減ったせいでもあり、年のせいでもあった。
「水戸黄門」
テレビ愛知で月~金 夕方4時。
なんと第1シリーズの初回から再放送してくれてますから、かなり画像は古いです。
1969年スタートの時代劇ドラマなので、現在のドラマに比べれば、少々オーバーな演技が目立ちますが、この「わざとらしさ」がイイんです!
因みに、現在は第3シリーズ放送中。
お決まりのパターンなんだけど、毎回「これが」味わえるんですよ!
当分は、やめられないですね~~~~(笑)
存在感が大きかった言葉・・・
「世の中にあなたとまったく同じ人は何人いますか?」
この言葉を目にした時に、心の中で「いない」と即答しました。
その問いかけの続きには「おそらく、あなたは同じ人はいないと答えるでしょう」と。
私「はい。その通りです・・答えました(笑)」
このフレーズの前後に文章が続くのですが、同じ大きさの文字で書かれています。
でも、私には・・・・
「世の中にあなたとまったく同じ人は何人いますか?」
まるで特別扱いされた文字の様に、大きくなったかと思うほど印象的な言葉🌠🌠🌠
3~4回ほど繰り返し目で追っていました。
この言葉を聞いて、どう感じるのか?どう思うのか?は「同じ人がいない」と言うように色々な意見や考えが有るでしょうね。
また、その時の自分の精神状態によっても違います。
全く同じ言い方ではないにしても、似た様なニュアンスの言葉は、私も過去に目にした気がします。
でも、私の必要な記憶としてはとどまっていない。
その当時と今の精神状態が違ってるからだと思います。
今回の、この問答は目にした以降、何度も頭の中に浮かんでくるし、今でも大きな存在のまま私の中に居座っています。
私が、この言葉に対して、どう感じたか・・・
私と全く同じ人はいないということは、この世に私と言う人間は一人だけ。他の誰とも違う。
今まで背負ってきた過去、一緒に過ごしてきた家族、その家族の性格、知り合ったり言葉を交わしてきた人々、喜び、悲しみ、辛さ、寂しさ・・・積み重ねてきた日々によって生まれた考え方や価値観、性格、自分が身を置いている状況・・・
そう。絶対に「ぜーんぶ同じ人なんかいない」。
だから「私は私」とういう唯一無二の存在!
長所も短所も、弱さや強さも「ぜーんぶ個性!」
人と比べたところで、違っているのは当たり前。
だって「世の中にあなたとまったく同じ人は何人いますか?」
「いません」と分かってるから。
正直、自分の中に嫌な部分や変えたい所なんて山ほど有る。
人から言われて腹が立ったり、傷付いたりで「なんで、この人はこんな事をするんだろう!」「なんで、こんな事を言うんだろう!」なんて、当たり前のように有る。
その人なりの価値観や考え方や背負ってきたものが私とは同じじゃないから「まっ!それも有りか」・・・・なんて、いつかは余裕シャクシャクでいられればバンバンザイですよね!
まあ、ここまでイッキに到達するのは私なら難しいかな~
あっ!他の人は私と違うから、なかには行ける人もいますね(笑)
自分の嫌な部分に目を背けたり、ごまかしたり、気付かないふりをしようとしてると自分が何者なのか、本当はどんな人間なのか分からなくなってきます。
そうすると、先へ進むのが困難で、せっかく見通し明るいのれんをくぐったかと思ったら、今度は頑丈な岩が登場して「えーーっ!?またぁ?これ、本当に先へ進めるのぉ?」と、くじけそうになります。
これ、私の経験上の話。
全く私と同じ人はいないけど、似たような部分を持っている人はいるんじゃないですかね。
だから「私の存在はこの世でたった一人だけ。良い、悪い、強い、弱いをひっくるめて、ぜーんぶが私そのもの。それが私の個性!!」だと自分を認めて、受け入れることが1番の基礎で土台になるもの。
基礎固めが有るから色んな方向への応用が効く。
変化は、それからじゃないかな~?
なんだか自分に自信が持てるような気がしませんか?
私には、そんな気にさせてくれる奥が深い言葉でした。
ストレス緩和に断捨離?
5年位前に、思いきって断捨離をしました。
その断捨離によって、私がストレス緩和に役立ったと思えることを書きました。
※私は断捨離のプロでも専門家でもありません。
恥ずかしながら・・私は「片付けられないオンナ予備軍」でした。
誤解の無い様にお願いしたいのですが・・あくまでも「予備軍」です。
床に物を置く癖があり、使い終わったら元に戻せばいいのに「後でいいや・・」「面倒臭い・・」が優先。
それが続くと、放置している物の数が増えていき、しまいには置いてある光景が当たり前になり日常化していました。
因みに、こういうタイプは床だけの散らかりで済むはずなく、クローゼットやタンスの中なども・・・・似たようなもんです・・・💦
だから、久し振りの探し物をする時には時間と労力が必要。
子供の頃から整理整頓が苦手で、よく母から「もう!なんですぐに片付けないの!」「何でこんなに散らかってるの!掃除しなさい!」と怒られていました。
大人になると、
「仕事で疲れてるから・・・」
「精神的に疲れてヤル気がおきない・・・」
「ストレス続きで、気持ちも投げやりになる・・・」
「どうでもいいや・・・何をするにも面倒臭い・・・」
「動きたくない・・・・」
掃除・片付けが日頃から当たり前のようにきちんと出来ている人からすると言い訳に聞こえると思います。
そうです。
まさしく言い訳ですよね。
やらないことを正当化する言い訳の方が勝ってます。
私、ずーーーーっと、この言い訳してました。
よく「部屋を綺麗に整理整頓すると、頭の中も整理され気持ちも落ち着く」と言います。
以前は「まあ、そういうことも有るかもね・・・」と他人事でしたし、正直「その程度で私のストレスが減るの?」とイマイチ信じていなかったです。
だけど、実際にしてみると本当に「断捨離」して良かった!
私が個人的にしたやり方は、まず「二度と散らからない部屋作り!」の計画を立てました。
※計画を立てている最中は、日頃のストレスになっている様々な人間関係の事などを思い浮かべる余裕すらない。かなりの本気モードで計画を練らないと「再び散らかる部屋」に戻るので。
●私は5日間で完了させる!
(丸1日中やり続けようとすると、途中で挫折して最後はテキトーに終わらせようとするから)
(目標日数を設定しないとダラダラしてしまい、途中でテキトーに終了するから)
●1日ごとの取り掛かるゾーン(場所)を決める。その分が終わったら、その日は終了!
(余裕があるからと、そのまま翌日分まで続けたら、きっと私は挫折するので)
その日の分は必ず次の日に持ち越す事はしない!(計画大事です)
(その為には、かなり集中力が必要なので、この時も余計な事を考えなくて済む)
●捨てる物は、とことん潔く!
(例えば写真とか手紙。既に付き合いが無い前職場の人達との写真も全部捨てる。服も2年着ていなければ、いくら高かった物でも捨てる。)
何となく「過去からの流れが現在の嫌な状況へと繋がってるんじゃない?」と、捨ててる最中に感じ、まるで私そのものの流れを滞らせる石みたいだと思いました。
だから、どんどん捨てていくにしたがって、塞がってた物が取り除かれていき、これからの未来への見通しが良くなり視界が明るくなった気がしました。
また、捨てることにより、今までの肩の荷にが降ろされていくかのよう。
不要な物を溜めてた行為が、私の心の重荷にも関係してたのかな・・・・。
●奥の物を取り出す時に、その前に物を置かない!
つまり、何かをどかして、奥の物を取り出す行動。
面倒臭がりの私にとって、取り出す、しまうの動作を最小限にすることも重要です。
「面倒臭いな~」って言う感情自体が、ストレスになるので。
めでたく5日間で完了!
完了するまでは部屋の中はチョッと大変なことになっていましたが、それは目指す目標が明確なので大丈夫!
5年経った現在も散らかってません。
「出したらしまう」が便利になり、本当に手間がかからなくなりました。
物をどかして、どかして、どかして掃除する事もないので、楽だし短時間で済みます。
ただでさえ日常的に人間関係のストレスを抱えているところへ、どこにしまったか分からなくなり探し物にも苦労する。
そして、散らかった物が増えて「どこから手を付けていいのやら・・」と途方にくれて溜息つく。
その度に、チョッとしたイラッとを作り出し、ストレスを増幅させていたのは私でした。
他の誰かをどうにかする事は困難だけど、部屋の片づけなら絶対に自分がどうにか出来るもの。
整理整頓・・掃除・・・断捨離・・・本当にこころと繋がってる!!!
ストレス減って・・自分で自分を褒めた些細なこと。
「あれ?なんか膝が痛い・・・」
自宅で太極拳の練習をしていた時です。
習い始めてから1年が経ち、ようやく順番も覚えられ、楽しくなってきた矢先でした。
膝が痛くなってしまったのは、私の性格も関係してます。
新しい事を始めた時に「とにかく早く結果や効果を求めたがる」
※心の中のもう一人の自分に「早く!早く!もっと早く!」とせかされて、なぜだか「自分には時間が無いんだから!」と言われてるみたいな感じです。
結果が現れることや本当に効果を感じられるまでには、そこに行きつくための必要な基礎や工程や土台、道のりが有ってこそだし、それこそが重要だと理解はしているんですけどね~。
こういう時は、早く!とせかす「もう一人の私」の方が強いみたいです(笑)
だから、今回の痛みの原因は、足の使い方や重心のかけ方、姿勢など基本的な事が、きちんと身に付いていないのに、体に負荷をかける形で行っていたからなんですよね。
チョッと調子に乗ったなぁ~って感じです。
痛みに関しては、接骨院に2回通って、少しマシになりました。
接骨院の先生も太極拳の経験者で「練習はした方がいい。正しいやり方ですれば、痛みも治る」と言ってました。
また、肝心な足の使い方や姿勢、重心のかけ方は、前回、講座に参加した時に、再度、先生に教えて頂きましたから、これで大丈夫!
お蔭さまで、徐々に痛みも緩和してきました。
ただ、私自身、もし「太極拳は辞めた方がいい」と言われても、辞める気は全くありませんでした。
正直、膝は痛かったですよ。
立ったり、座ったりする時は床に手を付いて、さらに深呼吸を意識し、タイミングを計る様に「ヨシッ!」と気合を入れながらじゃないと動けなかった程でしたから・・・・
・・・にも拘わらず、今回の膝を痛めたことで、きちんと基本を見直す機会を与えられたように思え「おぉ~!これで、また私は成長して進歩するーーーー!!」って、喜びの感情で一杯でした。
この気持ちに気付いた時に「あれっ?私って、中々エライんじゃない?」と思いました(笑)
痛いんだけど、喜んでる・・・・ ???
チョッと首をかしげるような感じもしますが、そこはスルーして、自分の素直な感情の方が大切だと。
昔と比べて、ストレスが減ったことによって、自然と前向きに物事を捉えられる数が増えてきたと実感してます。
この小さな変化に気付けるのは自分だけ。
小さいから誰からも気付かれないし、ましてや褒められることもないでしょうね(^_-)-☆
でもイイんです。
自分で自分を認めて褒めれば。
以前の私は「んっ?自分を褒める??」
「何を?」「どこを?」ってな具合で、褒める要素が見つかりませんでした。
自分で自分を褒めることに慣れてもいないし、あえて自分を認める習慣すらない。
こういう時に登場する「もう一人の私」は自分を褒めることに対して後ずさりする様に遠慮してます。
きっと、褒めるにしても、胸を張って自慢できるような素晴らしい事をしてなきゃいけないのでは・・・と、どこかで思っていたかもしれません。
今回の膝を痛めたという出来事を、自然と前向きに捉えられた自分に対して、誰に遠慮することも無く「私ってスゴイ!スゴイ!スゴイじゃん!!」って何度もうなずきながら褒めまくりました。
そして、ダメ押しで「自分で自分を褒めることが出来る様になった私ってヤッパリ変わったわーーー!いいねーー!」って感じです。
こうゆう些細なことでも積み重ねることで、自己肯定感を高めるにも役立つでしょう。
ホントに、誰に遠慮する必要もないから、やってみるといいですね~♬
ストレス緩和。「朝のラジオ体操への参加」
今日の朝、ラジオ体操に参加してきました。
最近は時間のタイミングが合わず、久し振りだったのですが、いつの間にか参加人数が増えていて少し驚きました。
やっぱりイイですね!
緑の中で、新鮮な空気を吸いながらのラジオ体操。
声を掛けてもらい、参加する様になってから2年位経ちますが、いまだに一緒にやっている人達の名前も、年齢も、どの辺りに住んでいるのかも私は知りません・・・。
でも、会うと「おはようございます!」
終わったら「有難うございました!」
「さようなら!」
「またね!」
みんなハツラツとして元気が良く、マスクしてても笑顔で言っているのが分かります。
本当に些細なことですが、この挨拶だけでも気分が良くなり、自然と自分の口角も上がっている気がします。
私を含め、参加している人達も(私の見た目判断ですが、80歳前後のオジイさんもいます)楽しみながら無理せずやっているので、筋肉痛になるような動きでもなく、縮こまっている筋が、程良く伸びるって感じですね。
だから、朝起きて「今日は、少し体が重いな・・」って思っても、ラジオ体操をすると、逆に軽くなります。
1日の中でも、朝の散歩とラジオ体操の時間が占めるのは1時間弱。
気分が良いと感じられる時間が、わずかでも得られることが大切。
ストレスを多く感じてるとイライラしたり、落ち込んだり、悶々とする感情が増えて、1日の大半を嫌な気分で過ごしがちです。
しかも、嫌な感情の方が存在感が大きいので、嬉しいとか、楽しいなどの気分の良い出来事は見過ごすか、気付かない・・・・。
中医学では古代から、精神刺激(ストレス)によって「気(生命エネルギー)」の流れに影響を与えやすいと言われています。
また「気の流れが滞る」と、逆にイライラしやすくなる、チョッとしたことで怒るなどの感情を生み出しやすくなってしまうのです。
それによって様々なからだの働きに(血・津液・臓腑・経絡・各組織器官など)影響を及ぼし体調不良や病気を引き起こす。
積み重なったストレスは1つの行動だけで全てゼロになんてならない。
本音としてはゼロになって欲しいと願うけど、それは生きていく上でゼロは有り得ないでしょーと分かっているし、そんなゼロの人なんていないでしょう。
ただ、
わずかでも気分が良いと感じられる瞬間があるだけでもマシなことです。
(私は以前、気分が良いと感じることに鈍感で、全く気付かずにスルーしてました)
わずかでも有ることが、現在、ストレス満載の人にとっては良い方向への変化に働いていることに間違いないから。
ラジオ体操を通じての元気良く明るい「挨拶」の瞬間。
筋肉痛にならない程度のゆるいラジオ体操で、気の流れにも貢献する。
ホントに些細なことです。
ストレス緩和に繋がる行動にも、内容によって大きくストレスに貢献するものと、ほんの少しだけの小さなものが有ると思います。
欲を言えば、大きいものばかりが欲しいけど・・・・
だけど、例え貢献度が小さくたって確実に意味はあるし、積み重ねたり増やせば、最終的に必ず結果が出る。
起き上がれない位の、身体のしんどさじゃなければ、外でのラジオ体操っていうのも機会があれば、とても良いと思います。
私的にはストレス減らすことへの道に入ってますね。小さ目ですが(笑)
人に自慢したくなっちゃう黒豆煮。※料理の腕は問いません
料理研究家の土井善晴さんが紹介している「誰でも絶対に失敗しない黒豆煮レシピ」
元々は、お父さんの土井勝さんが「家庭で誰もが作れるレシピ」をと、15年かかって考案されたレシピです。
料理がド素人の私でも、昔から「黒豆煮はむずかしい」と言う噂は知っていました。
「15年」って、生まれたばかりの子が中学を卒業する・・・・
または中学3年生の子が三十路になる・・・
これほどまでに年月をかけてあみ出されたレシピは、いつも安定した美味しさの出来上がり。
生まれて初めて作った時には、料理の腕に左右されるレシピでは無いにもかかわらず、なんだか作れた自分にチョッと感動しました。
だから、お正月以外にも年に数回作っています。
先日、作った黒豆煮。
箸が止まらない~♬
※同じ丹波篠山産の黒豆でも、購入する商品によっては、本当に若干ですが、出来上がりの色の黒さが変わる時は有ります。
今では黒豆の袋の裏に作り方として紹介されていますが、一応、ここにも載せておきます。
1. 黒豆(乾燥の物300g)は洗って水けをきる。
2. 蓋つきの鍋に水10カップを入れ沸騰させる。
3. 煮立ったら火を止めて以下の調味料と黒豆を入れる。
●砂糖(250g)
●しょうゆ(50cc)
●塩(大さじ1/2)
●重層(小さじ1/2)
※さびくぎ(あれば)約10本を洗って布巾に包んで加えると豆の色が黒くなる。
「錆びた釘」なんか売っていませんから、私は、鉄玉子というのをアマゾンで買って入れてます。
このまま一晩置く・・・・
【翌日】
4. 3の鍋を強火にかけ、煮立ったらアクを丁寧に除く。
水を100CC加えて差し水をし、再び煮立ててアクを除く。
これを2~3回繰り返す。
5. 落し蓋と鍋の蓋をして、ごく弱火で約8時間煮る。
豆が煮汁から出ない様に、煮詰まってきたら、適宜お湯を足す。
※私の炊いている鍋は、無水調理も可能なので、煮汁は殆ど減りません。
煮汁の水は9カップに変えて、調味料はレシピ通りです。
後は、8時間もかからず、5時間位でも柔らくなるので、そこで火を止めます。
6. 豆が柔らかくなったら、火を止めて、そのまま冷まして味を含ませる。
7. 食べる分だけを汁気を切って器に盛る。
空気に触れると色がより黒々とする。
※煮汁がかぶる状態で容器にいれ、冷蔵庫で5日ほど保存可能。
★手間がかかる?と言えば、アク取りと差し水のところ位ですかね・・・。
だけど、これをきちんとすることでスッキリした甘さになるそうです。
※事実、甘さ控えめの味です。
私を含め、恐らく料理が苦手な人って、アク取りする時に煮汁も結構な量を一緒に取ってしまいがちなんですよね💦
そこで、かなり前に東急ハンズで購入したアク取りお玉。
これは無器用な人でも殆ど煮汁を減らさずに上手にアク取りが出来る優れものです。
※真ん中が細かい網になってます。
それ以外の注意としては「ごくごく弱火」にする程度で、あとは放置状態なので、作業自体は、本当に簡単です。
黒豆は「ほぼ完全栄養食品」と言われており、アミノ酸スコア100の食材です。
よく耳にする「良質なタンパク質の食品」です。
更年期障害予防や骨粗しょう症予防にもなるイソフラボンは大豆の約2倍。
脳細胞を活性化するレシチンも含まれる。
薬膳的にみても、滞った血の流れを良くするだけではなく、不足した血を補う作用。
それと体内に停滞した余分な水分を外に出し、むくみを改善する働きも持っています。
また、消化器系の脾の働きを整えるので疲労効果にも役立ち、老化に関係する腎にも作用。
アンチエイジングの食材の1つとしても有名ですよね。
ただし、食べ過ぎは逆にお腹が張ってしまうのと、大豆イソフラボンも摂り過ぎは良くないので、ホドホドにです。
趣味を通じて子供の頃を思い出し、そこから忘れていた自分の性格に気付くことに。
子供の頃、自分がどんな性格だったのか?
何となく覚えてる様でも、意外と大切な事を忘れてしまっている。
よく「自分の本当にやりたいこと」や「自分探し」をしていく中で、子供時代に何に夢中になっていたのか?何が好きだったのか?を思い出してみて下さい。と言う言葉が出てきます。
私は、この質問が出てくると、そこで止まってしまいます。
何かに夢中になった記憶も無いし、何が好きだったのか?
または、どんな感情をもって取り組んでいたのか?
思い出そうとしても何も出てきませんでした。
今回、趣味の太極拳を通じて、ふと子供の頃の出来事が浮かびました。
同時に、当時(子供の頃)は無意識で行っていた事と現在の自分がしている事の共通点。
つまり「ここが私の本当の性格の一部なんだ」と改めて気付いたのです。
前回、太極拳講座で先生から、私の動き(型)についてアドバイスされました。
今までのアドバイスも、すぐ体が反応して動けるわけでは無いので、自宅で練習をするのですが、今回のアドバイスされた動き(型)が、本当に私には難しいんですよね。
その為、YouTubeで、何度も見返して、その部分を繰り返し練習しました(現在進行形ですけど)。
あくまでも趣味でやっている太極拳なので、そこまでしなくても問題ないんですが、やってる自分がいる。
その時に、なぜか小学生時代の事が、頭に浮かんできました。
そういえば、跳び箱が飛べなかった時があったな・・・と。
正直、なんで私は飛べないんだろう・・・と、少し悔しさも有った様な気もしますが、勢いよく飛んでいる子達を見て「あんな風に飛べたら気持ちいいだろうな~」「私も飛べるようになりたいな~」という気持ちが上回っていました。
ただ、それ以上に「絶対に何としても飛べるようになるんだ!」と言う気持ちを一番に持っていたことも思い出しました。
それで、跳び箱の有る児童館で練習をし、自宅でも布団を丸めて跳び箱に見立て練習してました。
結果、飛べることが出来き、その瞬間「あっ!やったー!飛べたー!!」と、もの凄~く嬉しかった記憶が蘇りました。
このことから、子供時代にしていた行動を客観的にみると「絶対に何とか出来るようにする」と強く思えば、一生懸命に出来るまで諦めないという一面が、子供の頃から自分にも有るんだと改めて気付きました。
自分に対して、悪い面は答えやすい。
「じゃあ、あなたの長所は?」と聞かれたら?
就職時の面接官からの質問なら、嘘ではないけど何となく感じている程度なら言えます。
ただ、自信を持って答えられるかと言えば、私は答えられません。
でも、今回、趣味の太極拳を通じて、子供時代の行動と現在の自分の行動。
この繋がりが、自分の本当の性格であり、実はその些細な点が自信を持って答えられる私の長所でもあると気付けたのは、とても大切な事です。
生きていく上で、自分を卑下し過ぎたりすれば、どんどん自信が無くなり、気持ちもすさんで、マイナス面で物事を見てばかりいると、さらに気分が沈んでいきます。
本当は誰にでも子供の頃から繋がっている良さはあるはず。
何がキッカケとなって思い出され、それが、どう繋がって、いつ、どのように気付くのか・・・。
私は45年後でしたが・・・💦
でも、不思議と「遅かった・・・」とは思いません。
それが、私にとってのタイミングだったんだろうし、気付けて良かったというのが正直な本当の気持ちです。
何だか大袈裟ですが、気付きが増えてきた今、これからが本当の自分の人生の始まりにも感じます。
もし、自分の長所を自信を持って答える事が出来ないとしたら・・・・
きっと、私みたいに忘れているか、もしくは些細なことだから気付いていないだけです。