日々ストレス思考浸り~こころ穏やかな日々へ💕

ストレスに負けない!体は薬膳(中医学)・心はマインドフルネスから。。

考え抜いて出した結論・・・なのに後からモヤッとする・・・。

何か新しい事を始めようか?又は何かを変えたいと思った時に、色んなメリットやデメリットを散々考えて「始めない」「現状維持。変えない」と出した結論。

 

それなのに、しばらくすると「やっぱり・・・」「でも・・・」「だけど・・・」って、再びモヤッと感が湧いてくる。

 

特に、お金や時間、労力がかかるもの。

直接、日常生活に影響が及ぶものは尚更です。

 

一旦、決めたはずなのに「何だろう、このモヤッとは」と。

 

 

私は、どちらかと言えば優柔不断じゃない方のタイプで、しかも「モヤッと」した状態は何だか気持ち悪くて、一刻も早くスッキリさせたいのです。

 

 

 

例えば、私の経験上の1つ「中医学の勉強」がそうでした。

 

 

薬膳の資格取得の勉強が、一段落して、その後、さらに中医学の資格・勉強に進むかどうかです。

 

 

ただ単に「チョッと興味がある」「もう少し詳しく知りたい」という具体的な説明までは出来ない様な漠然とした気持ちだけ。

 

 

明確な目標や目的はこれと言って見つかっていないのに、果たして「色々な事を犠牲にしてまでやる必要や意味があるのか?」

 

 

お金もかかるし3年という時間、薬膳や中医学とは関係ない本業の仕事をしながらの勉強の労力・・・・。

 

 

それを勉強して、何に使うつもりなのか?(何も浮かんでこない)

 

自分の体質改善なら、今までの薬膳の勉強でも、こと足りるのではないか?

 

そこまでの資格を持っていなくても教室や講座を開いている人達は沢山いる。

 

そこにお金をかけるなら、他のことに使えばいいのではないか。

 

本業をしながら、さらに勉強にさく時間・・・そんな両立が出来るのか。

 

1年なら、何とかなるかもしれないけど、3年間は長い・・・そこまで、モチベーション保ちながら続けられるのか。

 

 

まさしく損得を主軸に考えているので、次から次へと不安やマイナス的な面ばかり浮かんできました。

 

結果・・・

 

「やっぱり、やめよ」と判断し、この時はこの時で、一旦は迷いがなくなりスッキリしました。

 

 

だけど、半年以上過ぎた時に「なんか、やっぱり気になる・・・」というモヤッとが現れたのです。

 

 

前回の損得を主軸に考えれば同じ解答になり、再びモヤッとするという繰り返しは目に見えているので、この時は考える軸を変えました。

 

 

主軸を自分の気持ちに焦点をあてて、損得は一旦、無視。

 

 

私は「やりたいのか」「やりたくないのか」

 

 

この質問を自分に何度かしました。

 

答えは全て同じく「やりたい」です。

 

 

 

すると、前回の

 

 

「そこまでお金を使ってまで、やる意味があるのか?」

 

「今の状態ならお金は何とか捻出出来る。逆に先々、もし始めようとした時に、必ずお金があるとは限らない」と気付き、

 

 

 

「本業の仕事と勉強する時間と両立出来るのか?」

 

「時間は何とか出来る。作る様に自分がすればいい」へと変わり、

 

 

 

「3年という労力・・・体力的にも大変だよな」

 

「先々の方が、もっと体力も記憶力も減ってしんどくなる可能性の方が大きい。この年齢が逆に最後のチャンスかも」と考え直し、

 

 

 

「そこまでして、将来の何に活かすのか?」

 

「今は見えなくても、いずれ見えるかもしれないし、見えないかもしれない。もし、後から目的が見えた時に、そこから始めることの方が、状況的にも出来るかどうか分からない。ただし、やれる状況にあるのは今。」と先々の目標がないことへ不安が、未来への変化へ繋がる可能性があると視点が変わり、

 

 

 

「もし薬膳の講座や教室を開くにしても、現在の資格で十分ではないか?」

 

 

「知識を使う機会は無いかもしれないが、持っていても邪魔になるものではない」などと、ある意味、全てが調子良く(笑)まとまっておりました。

 

 

半年前と同じ人間だとは思えない位、次から次へと「出来ない→出来る」へのプラスの考えばかりです。

 

 

やらない理由は何も有りません。

 

 

 

 

生活環境や状況は今まで通りなのに、自分の本心に焦点を絞ったお蔭で、今度こそ、本当の迷いが消えて、モヤッとは現れませんでした。

 

 

 

内容によっては、自分の本心のみに従ってばかりいると生活が成り立たない事も有りますので、その時は、現実問題を直視する事も必要です。

 

 

 

一度は散々考えて出した答えでも、後々「何だかモヤッとする」「やっぱり、何となく気になる」時は、自分の本心へのいわゆる「心残り」ですかね。

 

 

本心だけに軸を置いて、何度か質問してみると、また違った方向からの考え方や発想が生まれるかもしれません。

 

 

 

自分では「出来ない」「やれない」「無理」と思い込んでいたものでも「あれ?出来るじゃん!」「なんだ、やれるじゃん!」と180度変わる事だって有ります。

 

 

 

あんなに迷って考え、悩んでいたのに「一体、あれは何だったんだろう・・・」と。

 

本当に同一人物かしら・・・?と、今になって思えます。