熱田神宮の神様からのメッセージ?(動画あり)
偶然、この動画が目に留まりました。
マインドフルネスをする時に聴くヒーリング音楽を、YouTubeで探していた時に出てきた動画です。
私にはスピリチュアル的な能力は無いので、正直よくわかりません。
・・・・が、信じる、信じないは別として「なんだか少し救われる様な気持ち」になりました。
熱田神宮は地元なので、たまにお詣りに行きます。
先日も、近くで別件の用事があったので、バチあたりの様ですが、ついで?にお詣りに立ち寄りました。
↓の写真は以前、撮ったものです。
パワースポットと呼ばれているようですが、私はそのような能力を持ち合わせていませんから、不思議体験などもありません。
熱田神宮は「熱田の杜」と呼ばれているくらいなので、緑が多い場所です。
ただ、朝の散歩に行く緑地公園とは空気の澄み具合は違う・・・この程度は私にも分かります。
※以前、ブログでも紹介しました。
今回「熱田神宮?」「動画?」「神様?」
何度も訪れているので親近感がある場所です。
テレビ番組で、自分が行ったことが有る場所が放送されてると「あー、ここ行ったことあるー!」と、なんだか嬉しくて、ついつい観てしまう・・・そんな感じでしょうか。
しかも「神様?」
私には見えないだけで、本当はどうなんだろう?
そんな興味も湧きました。
スピリチュアル的なことを信じないにしても、生きてるうちに最低でも1回はお詣りに行く人が殆どじゃないかなぁと思います。
信仰の度合いは、人それぞれ違いますが、初詣を含め「何らかの神頼み」は経験ありませんか?
この動画は15分位です。
投稿している方が熱田神宮の神様からのメッセージを伝えるところがあります。
くどい様ですが、信じる・信じないは別として、私は人間として少し救われるような気がした動画でした。
今度、行った時には、よーーーーーく目を凝らして周りを見てみようかなっ!
きっと見えないと思うけど・・・・💦
時短で美味しいタルタルソース!
「NHKきょうの料理」渡辺あきこさんのレシピ。
チキン南蛮で紹介されていました。
玉ねぎの変わりに「らっきょう」
個人的に市販のタルタルソースよりも、このレシピの方が好きです。
色々なタルタルソースのレシピは紹介されていますが、やはり玉ねぎやピクルスを使っている物が多く、なかにはキュウリを入れる物もありますね。
以前は、私も玉ねぎ、ピクルスを使って作ったことはありますが、チョッと面倒臭い・・・。
何が面倒かと言うと、玉ねぎの辛みを取ること。
水でさらすだけの方法もあるけど、土井善晴さんが紹介していた方法が、辛み取りには、よりイイ感じでした。
ただ、手間がかかる。
塩を振って、固く絞った布巾で包み、しんなりするまでもむ。
水をはったボウルに、その布巾ごと入れ、出てきたぬめりを洗い落とし、水けを絞る。
玉ねぎの辛みも取れて、余分な水けも出ないのは確かですが・・・
正直、これをしようと思うと、タルタルソースとは疎遠になってしまいます。
それと、最後に塩・胡椒で味をととのえないと、何だか味がボヤける。
これが、料理が苦手な私にとってはハードル高い。
なかなか味が決まらない・・・。
この段階、一発で決まったことは無いです。
しかも何度も繰り返していると、どんどん分からなくなってくる。
最後は「もう、いいや、これで」のタルタルソースで完了。
こんな気持ちで終わると、片付けの洗い物をしててもテンション下がりめだし、作った手間の疲労感がじわじわと出てきます。
でも、この「らっきょう」のタルタルソースは塩・胡椒は必要なし!
紹介されていたレシピの分量は、
☆ゆで卵:1/2
☆マヨネーズ:大さじ4
☆らっきょうの甘酢漬け(市販)をみじん切り:3個分
私はこの基本のレシピに少しプラス。
4人分として、しかも具材を多めにしているので、
●ゆで卵:2個
●マヨネーズ:大さじ4、または5弱
●プレーンヨーグルト:大さじ1
●らっきょうの甘酢漬け:8個位
●パセリ:まあまあ多め
または、この半量で作ります。
本当に簡単!
ゆで卵を作っている間に、らっきょうとパセリをみじん切りにする。
らっきょうの個数はあるけど、玉ねぎをみじん切りにするよりは、よっぽど切りやすいし早いです。
切ったものを、そのまま混ぜるだけ。
難関であった塩・胡椒が不要になったことで、ここでも時間短縮。
甘酢漬けが良い仕事をしてくれているお陰です。
それと、プレーンヨーグルトを入れることで、マヨネーズだけよりは、若干ソースがゆるめになるのと、少しあっさりするかなぁという感じです。
健康のためにマヨネーズの半分くらいプレーンヨーグルトにされる方もいらっしゃいますね。
後は、パセリです。
これが無いと、なんだか物足りない・・・。
私の母は「らっきょう」とパセリが嫌いです。
だから、最初に作った時には、何が入っているのか知らせていません。
さすがにパセリの緑には気付いていますが、ここには母も触れてきませんでした。
でも、そこにらっきょうもプラスされたと分かれば、絶対に食べないに決まってます。
「これ、美味しいねー」
って、食べ終わった後に開示。
やはり「らっきょう」の存在には気付かなかったとのこと。
今では、私の作るタルタルソースは、時短で美味しいこのレシピです。
いつもながら、考え出す人は凄いと思います。
ちなみに「らっきょう」は生薬として漢方薬にも使われます。
生薬名:薤白(がいはく)
温性。
大まかな働きを簡単に紹介すると、
冷えにより滞った気を、温める作用によって通りを良くし、気を巡らせる働きが有ります。
上半身は肺などの胸部、下半身は胃や大腸を含む消化器系。
例えば、冷えによる胃の不快感や、吐き気、消化不良などにも良いとされています。
この厳しい暑さの時に「体を温めるもの?」と、思われるかもしれません。
これだけ暑いと、クーラーの中で殆ど過ごすし、冷たい飲み物や食べ物を摂りたくもなりますよね。
ただ、あまり冷たい物ばかり摂り過ぎると、今度は内臓の働きが弱くなります。
異常な気温上昇で「からだが慣れていない」と言いますが、内臓も同じ。
冷たい物を摂ってはいけないというのでは無くて、温める物を少しプラスするということです。
これから本格な夏。
暑さが続くと、それだけで体力消耗してるのが分かります。
夏バテしないためにもエネルギーとなる気を補うことは重要です。
特に消化器系の脾胃は気を作る中心的な役割を担っているので、気を付けてあげた方がいいでしょう。
そもそもタルタルソースはメインのおかずでは無いし、あくまでも「ソース」ですから、今回のらっきょうも大量に食べるわけではありません。
だから、からだを温めるものだから「これ以上、暑くなるのはイヤだーーーー」という心配まではご無用です(笑)
初めて選挙の投票に行ってみた時のこと・・。
て現在55歳の私が、初めて選挙の投票に行ったのは40歳過ぎ。
政治に不満はあるけど、
「たかが一票だから、私が投票しようが、しまいが何も影響ないでしょ」
「投票したい人がいない。どうせ誰がなっても変わらない」
「わざわざ、行くこと自体、面倒臭い」
・・・・と、こんな感じで「選挙」に足を運ぶことはしませんでした。
しかも「投票したい人がいない」と言うのも、最初から行く気がないわけですから、立候補している人達の公約や考えなども、選挙カーから流れくる声以外は、あえて見ようともしてません。
そもそも見ていないから、知らない。
投票したい人が「いない」とか以前の問題。
それでは選べませんよね(笑)
まだ、投票に一度も行ったことが無い人の中には、この様に私と似た考えを持ってる人もいるでしょう。
そんな考えを持っていた私が、40歳過ぎて初めて投票に行くことに至った詳細な理由まではハッキリ覚えていません。
まあ、何かのキッカケがあり、誰かに頼まれたわけでも無く、自分の想いで行ったのは間違いないです。
「よし!投票に行ってみよう」
そう決めた時から、立候補者の公約や考え方などを新聞記事で調べたり、テレビなども気にするようになりました。
私は、特に支持を決めている政党はありません。
正直、掲げている公約を100%実現してくれるとは信じていません。
明らかに当選したいためだけの、その時だけの調子イイことばかりを並べてると感じる人もいます。
さて・・・自分が得た情報の中で、どこを取捨選択して選ぶのか?
この人は、どんな人なんだろうと推理?してみたり、せっかく投票しても、残念ながら絶対当選しないしなぁ・・・とか。
そんなことを、あれこれ考えながら総合判断して、最終的に誰にするのかを決めました。
この時点で、投票に対してチョッと面白くなってきてます。
そして、いよいよ投票日。
なにしろ人生初の投票ですから、投票所がどんな風になっているのか?何か手続きが面倒なのか?時間がかかるのか?どんな順番で進んで行くのか?キョロキョロして、動きが挙動不審にならなか?・・そんな好奇心とちっぽけな不安を持ちながら向かった覚えがあります。
受付から始まり、それぞれの場所に座っている係の人達は親切で、とても分かりやすく、傍から見ても、まさか私が「投票初心者」だとは誰も気付かない位にスムーズに終われました。
帰る時に、時間帯別の投票率が記入してある貼り紙に気付きました。
「へぇ~、意外と低いんだ・・・」
「もっと、みんな行けばいいのに・・・」と、素直に浮かんだのですが、すぐに「ちょっと自分が投票したからって、よく言うよなー」と今まで投票に行かなかった自分を見なかったことにしてるようでした。
投開票の時間です。
どこのTV局も選挙番組ばかりなので、今までは見向きもせず、撮りためた録画番組を見てました。
だけど、今回は自分も一緒に参加しているという、なぜか「関係者」の様な気持ちになってます。
こんなに選挙番組を楽しみにしたのも初めて。
自分が投票した人が当選するのか?
どれくらいの票を獲得したんだろう?そこに私の一票が入ってる。
こんなに自分の一票が気になることはありません。
「たかが一票」と言っていた時とは、エライ違いです。
そして、自分が投票した人が当選と決まった時は、関係者じゃないけど、やっぱり嬉しかったです。
投票に行く、行かないの理由は、みんな色々。
私の場合は、チョッと楽しみながら投票に行ってます。
この初投票体験以降、必ず投票に行くというわけではないです。
行く予定だったけど、たまたま当日、体調が思わしく行かなかった事もあります。
または、本当に投票する人がいない。
実際、投票する人を決める時に「この人がイイ!」というよりも、失礼ながら消去法で決めることもあります。
消去法で選ぼうとするが、どうしても全員消えてしまい、どんなに頑張って見ても、自分の中で残る人が誰もいない場合は、一票を投じたくないので行きません。
人生の中で、一度は投票に行く経験をしても損にはならないと思います。
私は「自分も一緒に参加してる感」がチョッと面白く、気に入っているので、一応、来月の選挙には行く予定です。
誰に投票するかは、まだ決めていません。
そろそろ情報収集はじめよっかなーーーってところです。
また自分の欲求に負けてしまうのか・・。
このゲームを始めて5年。
「ガーデンスケイプ」というアプリです。
調子よくゲームをクリアして先に進んで行くと「もう少し!あと少し!いける、いける!」と・・・気付いたら1時間位やっている時も有ります。
他にすること無いのか!?と思いますが、いや、した方がいいことは有るんです・・・。
それでも、ついついやってしまう。
そんな時は「あ~私、何やってるんだ・・・こんなことに時間使って・・・」と、毎回悔やみますが、この同じ反省は1度や2度ではありません💦
昔から、そんなにゲームにハマる方では無かったのですが、やってみると面白い!
確かに、ゲームに対しては費やしてる時間や課金なども含めて、賛否両論あると思います。
私の周りでも、年齢問わず、ゲームを楽しんでいる人達はいます。
課金しない人もいれば、課金する人、しかも課金の金額がビックリする様な額の人も中にはいます。
私の個人的なゲームの決め事は、絶対に課金はしない!ということです。
正直、課金しないとクリア出来ないんじゃないか?と思うレベルが何度も訪れました。
それでも、くじけずに地道に続け、何度も、何度も繰り返し、やっとクリア出来た時は「よしっ!」と、一人で小さくガッツポーズをしてしまいます。
だから、そんな難しいレベルの時に、あと一手!という場面では「課金しちゃおっかなー」っと、気持ちがゆらぎます。
百数十円と、わずかな金額なんですが、ここで課金したら、きっと「これくらいなら・・・」と、また同じことをしてしまいそうな自分がいることを知っています。
でも、なぜか、ゲームに課金せずの意志は強い!
この強さを、もっと肝心なところで活かせないのかと思います(笑)
今のゲームは作りも「凄い!!」としか言いようのない精巧さですし、沢山の人達が、つい時間を忘れて夢中になり、延々と続けてしまう気持ちも分かる気がします。
また「何も考えたくない・・」なんて時の、気分転換になってる時だってあるんです。
そこまで人を夢中にさせてしまう物を作る仕事。
その点において、素晴らしいと私は感じます。
子供の頃に、ゲームの面白さにハマり、将来はゲーム開発者になりたいという夢を抱き、実際に実現させている人もいます。
問題はゲームをする側ですよね・・・・。
課金の金額は、本人が稼いだお金で、いくら使おうが個々の判断。
大人が夢中になってしまうくらい面白いのですから、子供だって同じです。
しかも、子供は大人よりも夢中になると、中々セーブが効きません。
※大人でもセーブがきかずに人生を棒にふるような結果になる人もいます。
中には、親が知らないうちに最初に登録した親のクレジットカードで、どんどん課金してしまい、ビックリするような請求額になってるなんて話も聞きます。
私も他にやること有るのに、それをしないで、楽しい・面白いの誘惑に負けてしまうこともある。
その反面「これだけ苦労してきて、あと一歩でクリア出来るのにーーーーーーー!」と、課金のボタンを押したい気持ちをグッと堪えることが出来る面もある。
人間、ここは止めた方が良いと分かっていても、自分の欲求に負けてしまうところ、欲求を抑えて自分に勝つところ。
❇︎人生で取り返しつかないほど、人に迷惑かける様なことは勝つとか負けるとか言ってる場合では無く問題外です。
どっちかがいき過ぎれば、バランス崩れて問題がおこることもある。
両方のバランスが取れるサジ加減が、上手く出来ればイイんですけどね。
「あー、またやっちゃったー」と、ゲームに費やした時間を悔やんでる時に、ふと「このバランスって、結構ムズカシイなぁ~」と、浮かんだのでした。
なんでもかんでも理由を求めたがる・・
「うーん、行こうか・・止めようか・・どーしよーかなぁ・・」
今朝、目が覚めた時に私が布団の中で葛藤していたことです。
いっけん「仕事?」とも思えますが、いやいや「朝の散歩」のことです。
たかが散歩くらいで「かっとう?」
大袈裟な書き方してますが、私にとって「朝の散歩」は本当に楽しみで、散歩に行けるかどうかの確認のためだけに天気予報をチェックするほどです。
実は、昨日も同じ葛藤。
結局、昨日も今日も散歩に行きませんでした。
体調が優れないとか、眠くて起きれないとかではないし、からだ的にはまったく問題なく行ける状態です。
朝の散歩を始めて数年経ちます。
緑地公園での早朝の散歩は、本当に気分がイイです。
朝陽が木々の緑の隙間からキラキラ差し込んで、行ったことも見たことも無いのに、まるで天国にいて後光がさしているかのような景色に見えるんです。
初日の出で、昇ってきたばかりの太陽に、思わず拝んでしまう気持ちがよく分かります。
こんな気分に浸れ、しかも歩く事で、起きたばかりのギクシャクした体がほぐれるのですから、どれだけ私が「朝の散歩」を楽しみにしているのか。
まあ、散歩への想いはこれくらいにして・・・・
今回は「朝の散歩」の良さをメインに書きたかったわけじゃないんです。
それほど楽しみにしている事なのに「精神的にも肉体的にも出来る状態。自分で自覚している範囲では、やりたくない理由は思いつかない。判らないけど、なんだか、気が乗らない・・・」
そうなんです。
私は、何でも理由を求めたがる。
理由を求めることが全て悪いことでは無いし、その理由が分かれば対策が見つかることもある。
それによって良い結果が出せることもあれば、安心感だって得られる。
ものごとを、何でも頭の中の理論で解決しようとするクセが長年しみ付いているのですが、そもそも人間の感情やこころなんて、理屈や科学では説明できないことが山ほどあるんですよね~。
最初は、目が覚めてから「あれ?なんでだろう・・・」
とりあえず無理にでも行ってみようか、それとも止めようか?と悩みつつ、理由を考えていました。
そして数十分後・・・
「あっ、私、なんでもかんでも、こんなことですら理由を探そうとしてる」
そう気付いた時、理由を求めようとしていた思考が止まりました。
「こんなことばっかりしてたら、そりゃ、疲れるわな~」と、自分で納得。
それと同時に新たにチラッと浮かんできたことが・・・
なんと「実験してみよう!」です。
※これが良いのか悪いのかは別として「この人の(私)発想はこんな感じなんだー。へぇ~・・」くらいに、軽く受け流して頂ければ結構です(笑)
実験計画は、次回の散歩予定日も同じことが起こるのか?
もし起こった場合、
1.無理にでも行く。そして行く前と行った後の「自分の感覚・感情の変化」を観察だけしてみる。
単純に、気持ちの感覚をみるだけ。それに対して良い・悪いじゃなくて「あぁ・・こんな感覚か」・・・と。本当に「それだけ」の観察。
2. そして、再び「気がすすまない」感情が出たら、その感情のまま従って止めてみる。これが何日続くのか・・・。
そして、このまま永遠に「朝の散歩」を止めてしまうのか・・・さすがに、それはしたくない自分がいるから、いい加減どこかで無理に行くと思います💦
さて、どうなるのか?自分でも試してみないとわからないです。
なんだか自分の感情への観察そのものがチョッと面白くなってきました。
今は、もう理由なんか、どーでも良くなってる私です。
もし、誰かがブログに「散歩に行くのに、イマイチ気が乗らない。その気乗りしない理由を数十分もかけて考え続けてる」なんて書いているのを見たら、きっと私は「へぇー、そんなことですら考え込むんだー、この人、生きてくのに疲れるだろーね。きっと大変だねぇー。」って、自分のことを棚に上げながら読んでると思います(笑)
そんなもんですよね。
他人事のように一歩距離をおくと、冷静に楽観的に人のことは見れますからね。
今回は数十分で気付きましたが、昔は、もっと時間がかかっていました。
「いくら考えても答えがでないものは沢山ある」
「そもそも理由なんてないものだって、この世には存在する」
「その時は、わからなくても、ずーーーっと後になってから判明することも数知れずある」
今、思えばナントもったいない時間を過ごしていたんでしょう。
もしかすると、次回の散歩の日、今朝のような「気が乗らない」ことがあったことすら忘れて、今までどおり普通に散歩に出かけてるかもしれません。
記憶力が衰えた寂しさはありますけど、まっ!それなら、それでヨシ!としときましょう!
ストレス減ったせい?それとも年のせい?
「これの、どこが面白いんだろう・・?全然、わかんない。」と全く興味なかったのが、今では「なんで私は、ここまでハマって観てるんだろう・・・?」
テレビ番組の話です。
それは「水戸黄門」
初代:東野英治郎さんが演じているシリーズが気に入ってます。
しかも、観られない時は録画までしてるし・・・💦(かといって、永久保存版とまではいかないから観たら消します)
子供の頃、祖母が好きな番組のひとつだったので、私も何度か一緒に観たことがあります。
「いつも同じでワンパターンだから、つまらない。これ、おもしろい?」って祖母に聞くと「そう、いつも同じだよ。これがイイんだよ!」と、「これが」に力をこめながら答えてました。
続いて、
祖母「まあ、わかんないだろうね~。フッ、フッ、フッ・・・」
私「えーっ!?じゃあ、年とったらわかるの?」
祖母「まあ、わかるわ・・・そのうち。フフッ」
いや、絶対わかんないと思う・・・と、祖母の言葉を信じていませんでした。
それが、ここ最近。
55歳で「これがイイんだよ!!」の「これが」わかりました。
祖母が言っていた「これが」と、私の「これが」は、既に亡くなっているので全く同じかどうかは、確認できません。
でも、私の「これが」は何かと言うと、
世の中、こんなことが本当にまかり通るのか?と思える程の理不尽で不当な扱いを受けている町や村の人々。
なかば人生諦めていた人達が、最後は、誰も言い返せないエライ立場の黄門様の鶴のひと声で、きれーーーに問題が解決する!
しかも、散々、迷惑なことをしてきた責任者たちを罰したり、時には容赦なく切り捨ててる!
※確か、2代目以降の他の黄門様は、助さんや格さんに「切ってはなりません!!」と殺すことを止めてたシーンを観たことがあります。
私は「今まで、自分の気にいる、気に入らないで沢山の数の人を簡単に切り殺してきた悪人なんだから、全然、切っちゃっていいじゃん!」って思って観てました。
初代:東野英治郎さん演じる黄門様は、スパッと切り捨てても何も言いません。
毎回、ワンパターンの展開ですが、観終わったあとは、スッキリした爽快感と「よかった、よかった、うん、うん。」と、一人でうなずきながら満足してます。
この感じ・・ホント、おばあさんみたい・・・。
年とったな・・・・私・・(笑)
と、いう事は「水戸黄門」にハマるのは年のせい?
それもある。
でも、それだけじゃない。
黄門様は「越後のちりめん問屋、みつえもん」と偽名を使っているので、正体を知らない人達から「ジジイ」呼ばわりされ、暴言を吐かれることもしょっちゅうです。
お供の人達が、失礼だ!と怒っても、当の本人は、穏やかに「はい、はい。」と対応されていらっしゃる。
さすが、育ちも良く、人生経験豊富な黄門様は器が大きいなーと感心するのですが、たまに「えっ!?こんなことで?」と、ムキになって怒る時もあります。
そんなところが、かえって人間味があり、より器の大きさを感じてしまいます。
また、演じている東野英治郎さんが上手いので、それを見ながら「アハハハ・・」と笑っている自分に気付く。
今までなら、申し訳ないけど「こんな程度では、わざとらしくて、ぜんぜん笑えない」と、冷めた目でみてました。
しかも、もともと私は「ウケやすいタイプ」では無いんです。
怒りの感情以外は乏しくて、かなり冷めた印象に見られることが多かったです。
マインドフルネスを続けたことで、今まで無意識に抑え込まれていた他の感情が、素直に表に出てくる機会が増えてきました。
嬉しい!楽しい!面白い!が増えれば、もちろん怒りのようなストレス感情は、相対的にも減ります。
ストレス減って、自分にゆとりが出たことで「今まで、くだらない!」と思っていたことが、余裕をもって楽しめてるんじゃないかと思います。
今回の結論。
ストレス減ったせいでもあり、年のせいでもあった。
「水戸黄門」
テレビ愛知で月~金 夕方4時。
なんと第1シリーズの初回から再放送してくれてますから、かなり画像は古いです。
1969年スタートの時代劇ドラマなので、現在のドラマに比べれば、少々オーバーな演技が目立ちますが、この「わざとらしさ」がイイんです!
因みに、現在は第3シリーズ放送中。
お決まりのパターンなんだけど、毎回「これが」味わえるんですよ!
当分は、やめられないですね~~~~(笑)
存在感が大きかった言葉・・・
「世の中にあなたとまったく同じ人は何人いますか?」
この言葉を目にした時に、心の中で「いない」と即答しました。
その問いかけの続きには「おそらく、あなたは同じ人はいないと答えるでしょう」と。
私「はい。その通りです・・答えました(笑)」
このフレーズの前後に文章が続くのですが、同じ大きさの文字で書かれています。
でも、私には・・・・
「世の中にあなたとまったく同じ人は何人いますか?」
まるで特別扱いされた文字の様に、大きくなったかと思うほど印象的な言葉🌠🌠🌠
3~4回ほど繰り返し目で追っていました。
この言葉を聞いて、どう感じるのか?どう思うのか?は「同じ人がいない」と言うように色々な意見や考えが有るでしょうね。
また、その時の自分の精神状態によっても違います。
全く同じ言い方ではないにしても、似た様なニュアンスの言葉は、私も過去に目にした気がします。
でも、私の必要な記憶としてはとどまっていない。
その当時と今の精神状態が違ってるからだと思います。
今回の、この問答は目にした以降、何度も頭の中に浮かんでくるし、今でも大きな存在のまま私の中に居座っています。
私が、この言葉に対して、どう感じたか・・・
私と全く同じ人はいないということは、この世に私と言う人間は一人だけ。他の誰とも違う。
今まで背負ってきた過去、一緒に過ごしてきた家族、その家族の性格、知り合ったり言葉を交わしてきた人々、喜び、悲しみ、辛さ、寂しさ・・・積み重ねてきた日々によって生まれた考え方や価値観、性格、自分が身を置いている状況・・・
そう。絶対に「ぜーんぶ同じ人なんかいない」。
だから「私は私」とういう唯一無二の存在!
長所も短所も、弱さや強さも「ぜーんぶ個性!」
人と比べたところで、違っているのは当たり前。
だって「世の中にあなたとまったく同じ人は何人いますか?」
「いません」と分かってるから。
正直、自分の中に嫌な部分や変えたい所なんて山ほど有る。
人から言われて腹が立ったり、傷付いたりで「なんで、この人はこんな事をするんだろう!」「なんで、こんな事を言うんだろう!」なんて、当たり前のように有る。
その人なりの価値観や考え方や背負ってきたものが私とは同じじゃないから「まっ!それも有りか」・・・・なんて、いつかは余裕シャクシャクでいられればバンバンザイですよね!
まあ、ここまでイッキに到達するのは私なら難しいかな~
あっ!他の人は私と違うから、なかには行ける人もいますね(笑)
自分の嫌な部分に目を背けたり、ごまかしたり、気付かないふりをしようとしてると自分が何者なのか、本当はどんな人間なのか分からなくなってきます。
そうすると、先へ進むのが困難で、せっかく見通し明るいのれんをくぐったかと思ったら、今度は頑丈な岩が登場して「えーーっ!?またぁ?これ、本当に先へ進めるのぉ?」と、くじけそうになります。
これ、私の経験上の話。
全く私と同じ人はいないけど、似たような部分を持っている人はいるんじゃないですかね。
だから「私の存在はこの世でたった一人だけ。良い、悪い、強い、弱いをひっくるめて、ぜーんぶが私そのもの。それが私の個性!!」だと自分を認めて、受け入れることが1番の基礎で土台になるもの。
基礎固めが有るから色んな方向への応用が効く。
変化は、それからじゃないかな~?
なんだか自分に自信が持てるような気がしませんか?
私には、そんな気にさせてくれる奥が深い言葉でした。