日々ストレス思考浸り~こころ穏やかな日々へ💕

ストレスに負けない!体は薬膳(中医学)・心はマインドフルネスから。。

この歳になって思う「ご近所付き合い」

煩わしいと思うのか・・有難いと思うのか・・・。

 

10代後半~40歳くらいまでは、煩わしいと思っていましたが、40歳過ぎ~現在では、有難いと感じています。

 

現在、私が住んでいる家は祖父母の代からなので、第二次世界大戦の前になります。

 

ご近所には、同じ時期から住んでいる家族も、まだまだ沢山いらっしゃいますから、私が生まれた時から、ずーっと知っている人達が多いんです。

 

だから、子供の頃に外で遊んでいて近所のおとな達が通りかかると、お互いが声をかけあって気軽に話をすることが当たり前。

 

近所の子たちともよく遊び、まだ純粋なこころを持っていた子供目線の私には、単純に近所の人達との付き合いは楽しいものでした。

 

きっと、町内のおとな達が、子供たちみんなを自然と見守っていたんだと、今となっては思えます。

 

ですが、大きくなるにつれ近所の目が、見守りではなく、監視されているように感じて、以前は気軽に会話をしていたのに、いつの間にか挨拶だけとか、人によっては挨拶すらしなくなり関わらない様にしていました。

 

私の両親や亡くなった祖父母は、近所付き合いは変わらず昔のままで、私だけです。

 

近所付き合いがあると、どうしても「近所のてまえ・・・」とか「近所の目が・・」とか、そんな事を気にするし、私の母は特に、そういうタイプでした。

 

しかも、近所付き合いがあるということは、もちろん会話をするわけですから、色んな町内の情報共有の広まりも早いんです。

 

そういうのが本当に煩わしく

「もう、人の家のことは関係ないでしょ、放っといて!」と、うっとうしくて仕方ありませんでした。

 

 

それが、40歳半ば過ぎくらいでしょうか・・・私も落ち着いたのか、少し拒絶感が減りました。

 

現在は、自然と二言三言のたわいもない会話をすることもあり、子供時代に戻ったかのように楽しんでる時もあります。

 

 

そして、最近(コロナが減っている頃)、子供の頃から知っている近所の90歳近いおばあさんが亡くなりました。

 

ご主人が入院中のため、一人暮らしです。

 

毎朝、同じ時間に雨戸を開けているそうなのですが、その日は昼近くなっても雨戸が開かず。

 

同じく昔から住んでいる隣の家の人が、その習慣を知っているので「この時期に出かけることは無いだろう・・おかしいのでは?」と気づき、警察へ相談されたそうです。

 

そしたら部屋の中で倒れており、救急車で運ばれたのですが残念ながら病院へ着く直前に息を引き取られたとのこと(コロナでは無い病気が原因)

 

その後、別の近所の70代前半の一人暮らしのおじさん(やはり子供の頃から知っている)が亡くなった時も、よく訪ねてくる近所の人が発見したのです。

 

「いつもなら自宅にいるはずの時間帯に呼んでも返事がない・・出かけたか?」と庭に回ってみたら、外出する時には窓のカーテンを閉めていくのに「開いている・・・?」と気づき、覗いたら倒れていたそうです。

 

発見した時は、すでに息は無く、前日の夜に亡くなっていた(コロナではなく病気が原因)と後で母から聞きました。

 

正直、こういう情報はどこから?と思いますし、それ以外にも「○○さんの所は・・」とか、近所付き合いが濃い目の母から「何で知ってるの?」という内容を耳にすることはあります。

 

個人情報の観点からすれば、いかがなものかと思います。

私が若い頃なら、それこそ「関係ないでしょ!」って反発してたに違いありません。

 

 

たしかに監視されていると受取れば、良い気分はしない。

でも、付き合いがあり、日頃から見ていたから「異変に気づけた」とも言える。

 

情報が近所に知れ渡るのも不信感を抱くけど、知っているから助け合うことや、大目にみてあげられること、防犯意識が高まることもある。

 

どちらが良いとは言えないし、私自身も年齢によって真逆の受取り方をしています。

また、明らかなトラブルメーカーがいれば関わりたくないのは当然だし、色んな人がいるから簡単に信用するのも怖い気がする・・・。

 

 

家は自分が休まる大切な場所ですから、その環境での人間関係に対しての考え方は強いものがあるし、個人差があるので本当に難しい問題だと思います。

 

正解は無いけれど・・・あまりにも希薄すぎるのはどうなんだろうか?

 

昔と今では、時代が違うから同じ様にいかないのが現実なんでしょうが、何だか、どんどん「人として」精神的に住みにくい世の中になっていく気がする・・・。

 

 

この歳になると、孤独死という言葉は他人事では無いけれど、それ以上に「無関心」に対する寂しさの方が大きいかな・・・。

 

 

こういう時に、本当に年齢を感じますね

・・・イイ意味で。