日々ストレス思考浸り~こころ穏やかな日々へ💕

ストレスに負けない!体は薬膳(中医学)・心はマインドフルネスから。。

「幸せって?」

ふと「幸せって・・?」と頭に浮かび、それによって私自身が改めて気付き、チョッと実践してみようと思う事が有りました。

 

それは「幸せだっていう事に気付く」

 

今迄も「幸せへの気付き」と言う言葉は聞いたことが有ります。

「確かにそうだよなぁ」とは思うけど、実際には気付いて、自分自身が「幸せ」だと心から感じた記憶が無い・・・・。

 

そもそも「幸せって?」と気付くきっかけになったのは、やはりマインドフルネスがらみです。

マインドフルネスをする時に、外からの雑音を遮る為、YouTubeでヒーリング音楽を聴いてます。

すると「聞くだけで幸運を引き寄せる」などというタイプの物が幾つもアップされていたのを知りました。

幾つか聴いてみると、鳥の声や川や滝の流れる音なども有って、ヒーリング的な音楽の要素も入っています。

 

信じる信じないは別として、音楽自体は心地良く、集中するには丁度良い感じでした。

「瞑想するにも良いし、確かに心が落ち着く感じもする。これで幸運も得られるなら結構イイかも・・・」と思って聴き始めました。

※他の物も聴いてみましたが、個人的に、イマイチ集中出来ないタイプの物も有るので、私は同じものを聴いてます。

 

この時に、ふと「幸せって?」って疑問が。

私にとって「幸せに感じることって何だろう・・・」

「お金?」(もちろん宝くじが当たるとか、臨時収入が入るとかは嬉しい)

「仕事?」(ストレス溜まる職場から一刻も早く抜け出したい)

「健康?」(いつまでも健康に体が動いて、死ぬ時はコロッと息を引き取りたい)

「穏やかな人生?」(心休まり、本当の自分らしい人生を送りたい)

 

これらも叶えば嬉しいし、確かに「幸せ」を感じるだろうなぁと思いました。

かと言って、これらが無ければ「幸せじゃないの?」と、今の状況を考えてみると「うーん・・・そうでも無いかなぁ・・・・もの凄く不幸だと感じてるわけでも無いしなぁ・・・・」なんて思いつつ、もっと幸せを求めている自分もいる。

 

現状を顧みて「現在、私は幸せだ」と敢えて気付く事も、その感情に留まる事も殆ど無い・・・。

 

その時に思い出したのが、15年飼っていた大好きだった愛犬が亡くなった事。

亡くなって10年位経ちますが、未だに、ほぼ毎日思い出します。

一緒にいた頃は確かに「幸せ」で、楽しかった事が山ほど有ります。だけど、亡くなった時に存在の大きさを改めて気付かされました。

一緒にいるのが当たり前だったから「幸せ」をかみしめて日々、過ごしていたかと言うと・・・・・そこまでじゃなかったなぁ・・・って思います。

※叶わぬ願いだけど「1つだけ願いを叶えてあげる」と言われたら、例え短い時間でもいいから亡くなった愛犬と再び一緒に過ごせる時間が欲しい。

 

 

 

「幸せ」だったと気付くのって、失ってから初めて気付かされることが多いんじゃないかと

例えば、突然、家族を失った。

失う直前までは、一緒にいて当たり前だし、喧嘩もするし腹の立つことも有る。

当たり前のことだから、日々「幸せ」を感じることは、意識しない限り、そうそうは無いんじゃないかと・・・。

だけど、失って初めて「一緒にいた時の幸せ」「嫌なことや腹が立つことばかりだけじゃなくて、楽しかったことや、嬉しかった事、親からしてもらって有難かった事・・笑いあったこと・・・・」

きっと、嫌なことよりも、良かった思い出の方が浮かんでくることばかりだと思うんです。

 

「健康」もです。

人生の中で、特に大きな病気もせずに、全く不調も感じず毎日過ごしている時って、それが当たり前だから、敢えて「自分は健康で幸せだ」なんて、殆ど無いんじゃないかと思います。

しかも、いつも忙しい時間を過ごしていると、そんな事を考える余裕すら無いし、他に解決しなきゃいけない問題が幾つも有れば、そちらが優先事項です。

だけど、大きな病気になって、初めて「なぜ自分が?」とか「もっと、こうしておけば良かった・・」と言う気持ちが出てきて、やっと、そこで体に向き合う・・・・。

その後、快方に向かい日常生活が取り戻せて、改めて「健康って有難い」「健康な体でいられることが幸せ」って気付く。

 

 

今、置かれている状況の中でも、大なり小なり「幸せ」な事って有る。気付いていないだけ。

ただし、これは「現状に満足して、それ以上に多くを求めない」と言う意味ではないですよ。

現状に満足せず、自分の欲求や願望を追い求めるのは、人間が成長するのに必要な事ですからね。

 

 

 

失ってから、そこで初めて気付くのは後悔の念が大半を占めてしまう。

私自身、今、出来ることは同居している両親への想いと接し方です(昔は関係性が最悪でした)。

父は90歳近く、元気なのですが同じことを繰り返し話す事が増えてきました。

たまに「それ、何度も聞いてるんだけど・・」と面倒臭くなり、曖昧な返事をする時が有ります。

でも、話す事も出来なくなった時に「あの時、もっと話を聞いてあげれば良かった・・」と、きっと後悔すると思います。だから「気付いた」今から、意識してます。

 

まずは1個から始める。

思考を巡らせれば、他にも「幸せ」に気付く事が出てくるんでしょうが、慣れない事を一度ににやろうとしても、混乱するだけ。そんなに入る頭も有りません。

結局、何がなんだか分からなくなって、いつの間にか他の問題点に囚われて忘れてしまう。

1個か2個なら出来そう。その行動と想いが自然と自分に浸透されれば、次にもう1つ・・と徐々に増やしていける気がします。

 

「幸せ」はキリが無い程、求めたくなるものだと思う。

でも、失ってから気付く「幸せ」は、出来る限り阻止したいですね。

 

「当たり前」って、意外と奥が深いものです・・・・。

 

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