日々ストレス思考浸り~こころ穏やかな日々へ💕

ストレスに負けない!体は薬膳(中医学)・心はマインドフルネスから。。

思い込み。

自分の勝手な思い込みで、何が真実か?何が必要か?が見えなくなり、誤った判断をしてしまう。

 

些細な事なら「あっ、やっちゃった・・」で済むけど、大きな事なら取り返しがつかないケースもあります。

 

自分が「思い込み」が強いか?に、わざわざ意識を向けて日常過ごしているわけでは無いので、何か起こった時に「自分の誤った思い込み」に気づくのではないでしょうか?

 

でも、この「思い込み」が強い傾向って、日頃から小さなサインとして出てると思います。

 

 

今回、私の些細な「思い込み」の出来事なのですが、1年位前にBluetoothで使用するワイヤレスイヤホンが突然使えなくなりました。

 

買って1年位です。

安かったからダメになるのも早いのか・・・と少しショックでしたが、とても便利で気に入っていたので、すぐにネットで新しいイヤホンを購入。

 

商品が届いて気づきました・・・・。

 

 

 

使えなくなったイヤホンは、壊れていたのではなく充電切れだったと・・・。

 

 

私、イヤホンを使った後は、毎日のルーティンの様に必ず充電してました。

使い終わったら「すぐ充電!」を無意識のように。

 

だから、私の中では「充電切れは有り得ない」という「思い込み」なので、使えない原因のひとつとして考えもつきませんし、もちろん確認もしません。

 

 

イヤホンの金額は数千円だし、いずれ購入する物だから無駄とは言いませんが、慌てて買うより、どうせ買うなら「割引クーポン」が適用される日にした方がお得。

 

それよりも、誤った思い込みで購入してしまった行動に「なぜ、こんな簡単な事を確認しなかったんだろう・・」と、自分のマヌケっぷりの方がショックです。

 

 

壊れたと勘違いしてたイヤホンはしばらく使っていましたが、その後、片方が聞こえなくなり新しいイヤホンに取って代わりました。

 

その新しいイヤホン・・・使い始めて半年近く経つでしょうか・・・。

昨日、Bluetoothと接続出来なくなりました。

その前日まで使っていたのに。

 

充電は確認済。

その他の原因と改善法をネットでも探し、iPhoneを再起動させたり、「設定」画面からBluetoothのON・OFFを切り替えたり、Wi-Fiを繋ぎ直したり・・・試しました。

 

それでも接続できない。

 

また新しいイヤホンを買うか?いや、iPhone本体のBluetoothの故障とも考えられるらしいから修理に出してみるか、出すならいつ頃にしようか・・・。

 

もしくは、Bluetoothは使わず有線のイヤホンで我慢するか・・・と、色んなことが頭を巡り、次回の機種変更までこの便利さは味わえないのかと諦めかけていました。

 

・・・・が、前回のこともあるので「一旦、落ち着いてみよう」と、何もせず時間をおくことにしました。

 

数時間後に、何気なく別の画面からBluetoothのON・OFFをやってみたら接続完了!

「おー!無事、解決。慌てなくてよかった」

※因みに、この画面。

 

 

結局、スマホもイヤホンも問題なし。

この小さなトラブル、今回は運良く解決しましたが、もちろん毎回同じとは限りません。

 

 

日頃から「あれ?おかしいな」と感じる小さな出来事でも、少し立ち止まると「思い込み」により、見えていなかったものが見えることもあるし、確認してみるという行動のおかげで解決出来たり、トラブルを避けたり、大事に至らなかったりすることもあります。

 

「自分は間違っていない!」「自分が正しい!」と言うのは自信や信念を持つ上では良いことですが、誰にでも勘違いはあります。

チョッと立ち止まるくらいのことをしても、大体のことは大きな損失にはなりません。

 

病気になる前に体に何らかのサインが現れるように、人の行動も日頃からサインが出てる気がします。

 

小さなサインに気づかず見落とす事を積み重ねていけば、いずれ大きな過ちに繋がる可能性が高い。

 

 

私自身、「思い込み」には惑わされず、一旦止まれ!を心がけていこうと思います。

歳をとるにつれ「思い込み」は、特に禁物です!

 

 

えっ?!ピーマンって丸ごと全部食べれるの?

知りませんでした・・・56年間、生きてきて。

 

イライラすることが多い時に良いとされている食材の1つ、ピーマン。

 

現代栄養学では、自律神経調節の働きを持つテルペン類が含まれていることが分かっていますが、実は薬膳(中医学)の世界でも昔からイライラに良いと言われていた食材です。

 

 

今回は、ピーマンを大量に頂いたので、どうやって消費しようかとネットで調理法を検索していて「丸ごと」食べられることを知ったのです。

 

「え?種やワタもってこと?美味しいの?それとも勿体ないから無理やり?」

 

そこで種やワタのことを更に調べてみました。

すると・・・

 

ピーマンの種は栄養豊富で「栄養のかたまり」と呼ばれるほどだそうです。

その種には血流促進、脳にリラックスして精神を安定させる働きのピラジン

余分な塩分を排出する働きがあるカリウムも豊富に含まれるので、むくみにも良い。

 

今まで当たり前のように捨ててましたが・・・💦

 

注意:ピーマンは生でも食べられますが、種やワタを食べるなら加熱処理して下さいとの事です。

 

ピーマンを丸ごと使った調理として「煮びたし」が沢山紹介されていました。

 

●ピーマン:10個

※なるべく新しい物が良い。古いと種が黒ずんでくるからとの事。

 

●めんつゆ(2倍濃縮):50cc

●水:150cc(あくまでも好みの薄め方でOKです)

 

かつお節:適当

 

1.ピーマンのヘタの先だけハサミで切る。

 おしりの方に竹串で穴を開ける(忘れずに!)

 

2.温めたフライパンにサラダ油を大さじ1をひいて、中火でピーマンの薄皮がはじけるくらい少し焦げ目が付く程度、時々ひっくり返しながら炒める。

※よく炒めることで甘味が引き出される。

 

3.弱火にして、めんつゆと水を入れ、フタをして5~6分煮る。途中2回位ひっくり返す。

 

4.火を止めて、汁ごと器に入れる。温かくても冷めても、どちらでも良い。食べる直前にかつお節をかける。

 

私は、粗熱が取れたら冷蔵庫に入れて冷ましました。

 

食べ始めは、正直「う~~ん、やっぱり種は無きゃ無い方がいいかな・・・」と思ったのですが、食べ進むにつれて「いやいや、煮びたしは丸ごとの方がイイ!」と変わりました。

 

ピーマンに竹串を刺しましたが、これは弾けるのを避けるためのもの。

ですが、この竹串の穴からピーマンの中にだし汁が入り込んでいるので、口に入れるとジュワ~っとだし汁が溢れるのです!

 

この時点で、種やワタの存在は気にならなくなってました。

しかも、よく焼いたのでピーマンの苦みも少ない。

 

頂いたピーマンなので少し小さ目だったのですが、箸が止まらなくなり8個食べてしまいました。

さすがに10個は気がひけたので、残り2個は翌日に持ち越し。

 

 

ピーマンを消費するにはチンジャオロースしか浮かびませんでしたが、歳をとるにつれてアッサリした物を好むようになった私には、このレシピはピッタリです。

 

私にとってピーマンは苦手でも無く、大好物でもない中くらいの存在。

でも、この煮びたしにしたピーマンはランクが上がります。

 

「ピーマンの煮びたしは丸ごとに限る!!」

 

そして、丸ごと食べるには「煮びたし」が1番!です。(笑)

 

 

これが、私が作った「丸ごとピーマンの煮びたし

 

 

 

運動するか?サボるか?この葛藤はいつまで続くのか・・。

運動が苦手な私は、いつも同じ葛藤と闘う。

 

運動をし終わった時は、必ずと言っていいほど「やって良かった!」と実感してるにも拘わらず、始める直前まで「今日は〇〇だから止めとこうか・・」と、もっともらしい言い訳が浮かびます。

 

 

「運動が苦手+めんどくさがり屋の私」と「運動した後の体の軽さや爽快感を経験済+健康への効果も感じてる私」の両方が一緒に出てくる。

 

この2つのちからが同じ位だから、事がスムーズに運ばないんでしょうね。

 

だから単純に前者の私が勝つと運動しない、後者の私が勝てば運動する。

 

 

自分の気持ちに正直に・・・と言えば、やっぱり面倒だからやりたくないし、そもそも体力も無い方だから疲れることは避けたい。

 

でも、運動を全くしない生活を続けてると実際に体が重いし、私はパソコン相手に同じ姿勢をとってる時間が長いから肩も凝る。

 

さらに酷くなると頭痛もしてくるので鎮痛剤を飲むはめになってしまう。

 

ただでさえ体力が無い方なのに、それに加えて後期高齢者が目の前にある私です。

恐ろしい位の猛スピードで体力が衰えていくのは想像がつきます。

 

 

こうやって自分で文章として書いてても、運動するメリットは次から次へと浮かんでくるし、実際に運動して後悔したことは無いはずなのに何年も続く攻防戦。

 

 

どんだけ「運動が苦手+めんどうくさがり屋な私」のちからが強いんでしょー。

我ながら、改めて感心してしまいました(笑)

 

人生半分以上過ぎて振り返ってみても、どーでもいいような事から大きな事まで、色んな場面で葛藤する出来事があります。

 

運動するか、しないかの葛藤は、私の人生において中の下ぐらいのレベル。

その小さな葛藤が生まれるたびに、どっちを選択するのか?

その1回ずつの積み重ねが、後になって大きな結果となるんですよね、きっと。

 

今は適当にサボりを入れながら、とりあえず運動は続いてる・・・けど、葛藤はずーーーーーっと同じ様にやってきそう💦

 

 

このへんで、葛藤が生まれた時に「何で運動するのか?」を、今までより時間をかけて自分に問いかけてみようかと思います。

 

運動するにしても「体に良いから仕方なくやろう」とイヤイヤするより、楽しみながらした方が心神への影響も違いますからね。

 

どんな変化が現れるのか?

 

意識とこころの訓練の人体実験みたいです。

小学生の頃、理科の実験は先生が怖くて嫌いでしたが、大人になった今、こういう実験は大好きです。

別の意味で楽しみになってきました(^_-)-☆

 

結果が現れ始めたら、またブログに書こうと思います。

感情のコントロールがまあまあ出来る方だと思っていたが、勘違いだった・・。

私は今まで、自分ではある程度の感情のコントロールが出来ると思っていました。

 

とくに仕事では、怒りや悔しさがこみ上げてきたとしても、それをそのまま出すわけにはいかないので表面上はいたって冷静な口調で感情をおさえていました。

 

かと言って社会人になってから怒りを露わにしたことはゼロではありませんが、私自身の中ではおさえることが多かったです。

 

職場の人間関係で腹が立つことがあっても、それをしまいこみ冷静を装って対応する。

 

 

 

例えば、誰が聞いても理不尽な事を言い続けるお客様に対して、腹の中では怒りが込み上げても感情をあらわにすることは日本の会社では認められないし「それは、おかしい!」と、ハッキリ言い返すこともなかなか許されないのが現実です。

 

 

このような時に湧いてくる感情を表には出さず、おさえて、おさえて、おさえつけて・・・冷静な態度で何事もなかったかのように振る舞う。

それが出来ること=感情のコントロールが出来てることだと思っていました。

 

これもある種、会社の中では感情のコントロールが出来る人だと世間一般には、そう見られるんでしょうね。

 

 

おさえている感情や思いのたけを、そのままぶつけたらどんなにラクだろうとも思うけど、冷静さを欠いた自分もいる。

その場の感情だけで行動してしまうと、ヘタしたら相手を傷つけてしまい「なんで、あんなことをしてしまったんだろう・・」と、後悔の念で自分も傷付く。

 

会社の中だって、湧いてきた怒りの感情を出し放題にすればイイってもんじゃないし、社会で生きていくには現実的ではないです。

 

現実的に無理なことは分かっているから、ただただ「おさえる」ことばかりを繰り返して悶々としていると、いずれどこかで糸がプッツリ切れてしまいます。

 

 

以前の私は、この「おさえる」方法しか知りませんでした。

歳を重ねてくると、湧いた感情を表に出してばかりいたら大人げないと言われてしまうし・・。

 

 

また、相当な怒りやイライラしている瞬間って、自分の身体すべてがその感情に支配されているような感覚になってます。

 

まるでイライラや怒りの泥水の中に、足の先から頭のてっぺんまで潜って浸かっているみたいで、全く隙間なく全身を覆っているから他のものが入る余裕が無い・・・そんな風に私は感じます。

 

 

「おさえる」

「イライラや怒りの感情の泥水に全身浸りきる」

 

この2つの組みあわせだけでも、身体に受けるダメージはダブルパンチどころではありません。

 

 

 

ですが、瞑想(マインドフルネス)で「気づき」の練習を続けるうちに「距離をとる」という方法が身に付いてきました。

 

怒りやイライラの感情が湧いている最中に「その感情が自分に湧いてること自体に気づく」。

 

その瞬間、それまで私をイヤな気分にさせていた相手のことだけが頭の中で支配されていたのに、今度は「私、怒ってるぞ・・」という自分のことが頭の中の中心にいる。

 

自分の感情を見てる時って、鏡で自分を見るのと同じで自然と距離が出来てるんですよね。

距離が出来るから「イライラや怒りの泥水」にドップリ浸かって、全身にまとわりつかれる感覚もありません。

 

確かに相手との対応の真っ最中は怒りの感情を自分で認めながらも、それを出すわけにはいかず、おさえる部分は残りますが、おさえつける意識の負荷は今までより軽いです。

 

こうして「気づき」の練習により、表に出さずにおさえることだけでは感情のコントロールが出来てるとは言えない。

改めて感覚としても分かりました。

 

 

「気づき」により怒りやイライラの感情から距離がとれる・・・

 

 

しつこく、一旦離れては戻ってくるなんてことは何度もあります(笑)

その時も「戻ってきた」と、しつこく気づけばいいんです。何度でも。

 

その繰り返しをしていると、どんどん怒りの感情が遠くになっていき、いつの間にかその件は戻ってこなくなります。

 

 

 

嫌な事をされれば怒りを感じるのは当たり前だし、人間として正常な感情の1つであって、問題なのは回数の多さや大きさ、その感情の滞在時間の長さ。

 

逆に、何をされても一切怒らないのはかえって「大丈夫かな?」と心配です。

本当にそんなことが出来るのはお釈迦様くらいじゃないですかね。

 

 

「気づいた時」に自分の頭の中がどうなったのか?

実験するみたいに、実際どうなるのか試してみよっかな~って言うわずかな好奇心が、こころの余裕にも少しは影響すると思います。

 

 

怒った瞬間、気づくことを忘れてしまっていることは最初の内は多々あります。

後からでも「気づく事を忘れてた・・」と気づけば前進じゃないですか?(^_-)-☆

 

 

 

 

 

本当にこころがツラくて苦しい時に吐露する相手。

どうしようもなくこころが苦しいとか、どうしたらいいか分からない程こころがツライい時に、胸の内を吐きだせる相手っていますか?

 

イヤな気分になったとか、悩んでいるとか、腹が立つことが重なってるとか・・・

ある程度のことなら、家族なり友達なりに話す事は出来るのですが、本当に心底ツラくて苦しくてどうしようもない時ってどうでしょうか?

 

 

何でも話せる様な関係性の家族や友達がいるから大丈夫!と自覚している人は、この話は全く関係ないでしょう。

 

ですが、親しいからこそ心配かけるから言えないと思う人もいれば、周りが自分に抱いているであろうイメージとはかけ離れているから今さら言えない、自分をさらけ出してしまった後の相手との関係性が少し変わってしまうかもしれないから躊躇してしまう人。

 

または弱みを周りに見せたくない気持ちが強い人、周りには見せられない立場だからと思っている人もいます。

 

 

話したくても何から話せばいいのか?どう説明したら自分のツラさや苦しさが伝わるのか?

 

少し話し始めたとしても、的確な言葉として表現できないから上手く伝わらず、期待する様な答えが返ってこないからと諦めてしまったり、上手く伝わらないから何度も自分のツラさを延々と話すことも相手に対して悪いと感じてしまったり・・・・どうせ話しても、私のツラくて苦しい気持ちは誰にも理解されないし分かってもらえないからと閉ざしてしまうなど・・・色んな心理が働きます。

 

たとえ話せたとしても、解決できないかもしれないし、分かってもらえるとは限りません。

 

こころの中は目に見えないからこそ、その状態を具体的に言葉として説明することの方が難しいし、自分でも気づいていない複雑にからみあった感情が蓄積されているものを一度で相手に伝えきるなんて至難の業です。

 

だけど「聞いてもらうだけ」「吐き出すだけ」でも、こころの重みは変わります。

 

 

知っている相手だからこそ色々なしがらみを考えてしまい、また相手に心配かけまいという気持ちから自分ひとりで耐えて続ける・・・それなら、いっそのこと知らない相手の方が吐き出しやすかったりする場合があるんですよね。

 

 

 

知らない相手とは、専門のカウンセラーやメンタルクリニックの先生なども1つの選択肢です。

もっとキツイ状態なら「いのちの電話」もだと思います。

 

ある意味、しがらみが無いから自分が相手にどう思われようと関係ないし、専門の人達は同じようにツラくて苦しい思いをしている人達の声を沢山聞いるから、上手く言葉で説明できないことも分かっているでしょう。

 

悩みの解決になる糸口が見つかるかもしれないし、解決しなくても、まずは「聞いてもらう」「吐き出すだけ」の感じでも構わないと思います。

 

やってみて上手く吐き出しきれないのは当たり前だから、1回で諦めずに何度かやってみることも、ひとりで溜め込んでいるよりよっぽどイイです。

 

今までのブログでも書いていますが、私自身、マインドフルネスを用いたハコミセラピーを受けています。

 

私も本当にツラくて苦しいと感じている時に、身近な人にこそ言えない様々な心理が働き、自分の中だけに留めてしまう傾向が強いんです。

 

だけど、しがらみのないセラピストの人には胸の内を吐き出せたものもあります。

また、吐き出そうとした時に上手く言葉で説明できず伝わりきらなかったこともあり、返ってきた言葉がチョッと違う・・・となったことだってあります。

 

そういう事を何度か繰り返す内に伝わりやすくなるし、1つ吐き出したことで次のものを出す抵抗感も徐々に薄れてきます。

 

今まで言えなかった何かを出した時は、こころのつかえが少しずつ小さくなるような感覚です。

 

 

誰かに聞いてもらう・・・

幸か不幸か・・ストレス社会の現在では、そのような場所が沢山存在します。

 

身近にはいない・話せないと溜めたまま終わらせず、少し目を向ける先を変えてみる方法だって残っているんですよね・・・。

 

やっぱり最後は訓練か・・行動力をつけるって。

行動力。私が身に付けたいと思っている内の1つです。

 

行動力が乏しい私が、憧れの行動力を付けるにはどうすればいいのか?

やっぱり小さなことから行動に移す練習あるのみ。

 

最終的には、このチョッとした訓練をしていくかどうかに尽きる様な気がします。

 

なぜ自分には行動力が乏しいのか・・・。

 

やはり失敗を恐れているからでしょう。

 

失敗を必要以上に恐れるのは、自分でも気づいていない奥深いものがあるからなのでしょうが、どちらにしても最後は実際に動くのか、動かないのかの選択しかありません。

 

 

 

 

昔から、新しい環境に飛び込むとか新しいことを始める時になると、どうしてもあれこれ色んなことが自然と頭に浮かび、まだ起きてもいないのに勝手に想像して勝手に心配してる・・・。

 

しかも浮かぶのは明るい未来よりも圧倒的にマイナス的な見方のものが多い。

 

 

自分でどんどん心配ごとを作り出しているわけですから、そりゃあ不安になるのは当たり前だし、なかなか一歩が踏み出せなくなるのは当然です。

 

自分でもこの想像力の豊かさを、なぜもっと他で活かせないのかと思います(笑)

 

 

行動力が有る人を見ると「なぜ、あの人はあんなに行動力があるのか?凄いなぁ」と本当に羨ましく感じている一方で「なぜ、私はこんなに行動力が無いのか・・」と、じれったくなります。

 

「人は人、自分は自分。

行動力が乏しい部分も自分の個性であり、それを全て受け入れて認めてあげる。」

 

だから「無理に行動力を付ける訓練をする必要は無い、それが自分だから。」・・・・と言って何もしなくていいとは思いません。

 

行動力の乏しさを自分で認識すること自体はイイのですが、認めただけで何もしなければそれで終わります。

 

肝心なのは、私が本当に求めていることです。

 

行動力を付けたいと願う先にあるのは、行動すれば必ず何かが変わる。

今の自分の状況にとどまっていたくないと本当に望んでいるのなら方法は1つだけです。

動くのみ!と重々わかっているからです。

 

少しずつですが、勇気を出して「やってみよう!」と言う訓練は続けていますし、これからも挑戦していく気持ちは変わらないでしょう。

 

まだまだ、ブレーキがかかることはあります。

マイナス感情が湧くこともあります。

なにしろ訓練中なんですから・・・。

 

それでも、訓練は続けるし挑戦する気持ちは持ち続けるように努力はしていきます。

 

 

他の人からすれば、たわいのないような何でもない行動かもしれませんが、実際私にとっては気合を入れながら飛び降りるみたいな感じなんですけどね。

 

 

他の人と比べて出来ない自分に対して落ち込む必要は無いという見方も出来ますが、出来ている人に対して憧れを持つ気持ちも時には大切だと思います。

 

 

だからと言って、行動力がある人と同じ位の行動力まで何としても頑張ろうとは思っていません。

だって、その人が目指しているものと私が望んでいるものは違うからです。

 

その人が望んでいるものが、もの凄く大きいものなら沢山の行動が必要になるでしょうし、私が望むものが、もう少しであればそこまでの行動量は必要ないからです。

 

行きつく先は「自分がどうなりたいのか?何を本当に望んでいるのか?」なのですから。

 

 

あれこれ考えてから行動に移すことでリスクが減る結果に繋がる時も確かにあります。

・・・かといって、リスクばかりを考えていると何も動けなくなってしまう。

 

と、まあ、こんな事ばっかり言っていると、ますます考え過ぎて動けなくなる(笑)

 

 

 

そうすると、やっぱり動いてみなければ分からない。

 

私の56年間の人生経験からすると、行動する前に心配ごとを増やしていた勝手な想像は大半が妄想で終わってます。

 

何か習い事を始める時や新しい職場に変わる時に、環境の雰囲気や人間関係などに馴染めるかどうかの不安はどうしてもついてまわります。

 

最初は緊張するけど、後になってみると「あの不安は何だったんだろう?」と、無駄にこころを沈ませてた経験は数えきれません。

 

行動力を付けるための行動は、とてつもなく大それた動きじゃないと意味がなさそうにも感じるのですが、ホントに準備運動の前の準備くらいから始めてもイイみたいですよ。

 

 

面倒臭さが上回り、結局なにも動かないままの時だってありますが、自分の現状を変えたいと本気で思うなら、休憩を挟みながらでも動いて行くしかないんじゃないですかね・・・・。

 

 

今日は、誰かに伝えたいと言う気持ちと自分に言い聞かせてる気持ちとの両方で書きました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

集中できる環境は人それぞれ・・・。

集中する時の環境作りは、人によって様々だし、もともと集中力がある人と、そうでは無い人との差も関係するでしょうね。

 

自分が楽しいと感じている時や、興味があって面白いものに対しては、時間を忘れて熱中してしまうことは誰にでも有り、自然と集中出来ます。

 

それ以外のもの、とくに勉強する時の集中力。

 

 

私は、この集中力が続かない方のタイプです。

 

 

30分弱なら、何とかイケる時もあるんですが、チョッと疲れて気分転換のつもりでスマホを見たりすると、気が付けば1時間近く経過してる・・・・

 

気づいた瞬間、再びヤル気が出るどころか、過ぎてしまった時間の長さに「やってしまった💦」という後悔のみが先に立ち、出てくるものはタメ息ばかり。

 

 

まあ、もともと集中力が乏しくて、それが続かない傾向の私ですから、やはり集中する環境作りは重要なんです。

※資格試験の勉強の時に、周りの雑音で集中出来ないからヒーリング音楽を聴き始めた・・という内容のブログを前回書きました。

 

 

集中力の乏しさは、マインドフルネスのお陰で、以前よりは良くなりました。

 

そこに、私にとっての環境作りとなる雑音を遮るためのヒーリング音楽をプラス。

この2つの相乗効果で集中力がパワーアップしたのが分かります。

 

 

 

 

 

自分が集中出来る環境って、ホントに人それぞれだと感じたのは、このマインドフルネスを知る前の資格試験の勉強中のことです。

 

あまりにも集中力がなく、集中力が弱いから勉強してても頭に内容がとどまらない。

 

ただでさえ、記憶力が衰えているところに、そんなやり方を続けているのですから、覚えたくても新しい内容が入った途端、前に覚えたであろう物が、ところてんの様に綺麗に押し出されしまい、木枠には次に入れた新しいものしか残っていません。

 

カフェで勉強すると、気分転換になり勉強がはかどる!というのを耳にしたので、近くのコメダ珈琲に行ってみました。

 

残念ながら、私には周りの話し声が気になって、気になって、勉強どころではなくコーヒーとケーキを食べて30分少々で店から出ました。

これは私には、向いていない・・・と、二度とカフェで勉強はしていません。

 

ですが、ある人の話。

この方は、毎日、スタバで勉強を数時間されているとのこと。

 

理由のひとつは、周りの話し声や雑音があっても、全く関係なく集中出来るよう訓練を兼ねて行かれているそうです。

もちろん、訓練は成功。

 

私が同じ訓練をして、果たして雑音の中で集中出来るようになれるのだろうか?

どれ位の回数を重ねて、成果がみえてくるんだろう?

 

チョッと、興味深くて、面白そう・・・。

 

1回コメダ珈琲で試して「私には向いていない」と決めてましたから、わざわざ、コメダまで出向かなくても、雑音なら自宅で試せる。

 

勉強を始めてみました・・・・

 

無理でした。

 

この件についての今後の訓練は辞めました。

私にとっては、時間の無駄に思えたからです。

 

人には見合った方法がある。

訓練して手に入れられる物もあれば、別の方法が効率的に合う物だってある。

 

 

そう、私にはヒーリング音楽を聴けるスマホとイヤホンという強い味方がついているのだから・・・それで大丈夫です。