日々ストレス思考浸り~こころ穏やかな日々へ💕

ストレスに負けない!体は薬膳(中医学)・心はマインドフルネスから。。

運動するか?サボるか?この葛藤はいつまで続くのか・・。

運動が苦手な私は、いつも同じ葛藤と闘う。

 

運動をし終わった時は、必ずと言っていいほど「やって良かった!」と実感してるにも拘わらず、始める直前まで「今日は〇〇だから止めとこうか・・」と、もっともらしい言い訳が浮かびます。

 

 

「運動が苦手+めんどくさがり屋の私」と「運動した後の体の軽さや爽快感を経験済+健康への効果も感じてる私」の両方が一緒に出てくる。

 

この2つのちからが同じ位だから、事がスムーズに運ばないんでしょうね。

 

だから単純に前者の私が勝つと運動しない、後者の私が勝てば運動する。

 

 

自分の気持ちに正直に・・・と言えば、やっぱり面倒だからやりたくないし、そもそも体力も無い方だから疲れることは避けたい。

 

でも、運動を全くしない生活を続けてると実際に体が重いし、私はパソコン相手に同じ姿勢をとってる時間が長いから肩も凝る。

 

さらに酷くなると頭痛もしてくるので鎮痛剤を飲むはめになってしまう。

 

ただでさえ体力が無い方なのに、それに加えて後期高齢者が目の前にある私です。

恐ろしい位の猛スピードで体力が衰えていくのは想像がつきます。

 

 

こうやって自分で文章として書いてても、運動するメリットは次から次へと浮かんでくるし、実際に運動して後悔したことは無いはずなのに何年も続く攻防戦。

 

 

どんだけ「運動が苦手+めんどうくさがり屋な私」のちからが強いんでしょー。

我ながら、改めて感心してしまいました(笑)

 

人生半分以上過ぎて振り返ってみても、どーでもいいような事から大きな事まで、色んな場面で葛藤する出来事があります。

 

運動するか、しないかの葛藤は、私の人生において中の下ぐらいのレベル。

その小さな葛藤が生まれるたびに、どっちを選択するのか?

その1回ずつの積み重ねが、後になって大きな結果となるんですよね、きっと。

 

今は適当にサボりを入れながら、とりあえず運動は続いてる・・・けど、葛藤はずーーーーーっと同じ様にやってきそう💦

 

 

このへんで、葛藤が生まれた時に「何で運動するのか?」を、今までより時間をかけて自分に問いかけてみようかと思います。

 

運動するにしても「体に良いから仕方なくやろう」とイヤイヤするより、楽しみながらした方が心神への影響も違いますからね。

 

どんな変化が現れるのか?

 

意識とこころの訓練の人体実験みたいです。

小学生の頃、理科の実験は先生が怖くて嫌いでしたが、大人になった今、こういう実験は大好きです。

別の意味で楽しみになってきました(^_-)-☆

 

結果が現れ始めたら、またブログに書こうと思います。

感情のコントロールがまあまあ出来る方だと思っていたが、勘違いだった・・。

私は今まで、自分ではある程度の感情のコントロールが出来ると思っていました。

 

とくに仕事では、怒りや悔しさがこみ上げてきたとしても、それをそのまま出すわけにはいかないので表面上はいたって冷静な口調で感情をおさえていました。

 

かと言って社会人になってから怒りを露わにしたことはゼロではありませんが、私自身の中ではおさえることが多かったです。

 

職場の人間関係で腹が立つことがあっても、それをしまいこみ冷静を装って対応する。

 

 

 

例えば、誰が聞いても理不尽な事を言い続けるお客様に対して、腹の中では怒りが込み上げても感情をあらわにすることは日本の会社では認められないし「それは、おかしい!」と、ハッキリ言い返すこともなかなか許されないのが現実です。

 

 

このような時に湧いてくる感情を表には出さず、おさえて、おさえて、おさえつけて・・・冷静な態度で何事もなかったかのように振る舞う。

それが出来ること=感情のコントロールが出来てることだと思っていました。

 

これもある種、会社の中では感情のコントロールが出来る人だと世間一般には、そう見られるんでしょうね。

 

 

おさえている感情や思いのたけを、そのままぶつけたらどんなにラクだろうとも思うけど、冷静さを欠いた自分もいる。

その場の感情だけで行動してしまうと、ヘタしたら相手を傷つけてしまい「なんで、あんなことをしてしまったんだろう・・」と、後悔の念で自分も傷付く。

 

会社の中だって、湧いてきた怒りの感情を出し放題にすればイイってもんじゃないし、社会で生きていくには現実的ではないです。

 

現実的に無理なことは分かっているから、ただただ「おさえる」ことばかりを繰り返して悶々としていると、いずれどこかで糸がプッツリ切れてしまいます。

 

 

以前の私は、この「おさえる」方法しか知りませんでした。

歳を重ねてくると、湧いた感情を表に出してばかりいたら大人げないと言われてしまうし・・。

 

 

また、相当な怒りやイライラしている瞬間って、自分の身体すべてがその感情に支配されているような感覚になってます。

 

まるでイライラや怒りの泥水の中に、足の先から頭のてっぺんまで潜って浸かっているみたいで、全く隙間なく全身を覆っているから他のものが入る余裕が無い・・・そんな風に私は感じます。

 

 

「おさえる」

「イライラや怒りの感情の泥水に全身浸りきる」

 

この2つの組みあわせだけでも、身体に受けるダメージはダブルパンチどころではありません。

 

 

 

ですが、瞑想(マインドフルネス)で「気づき」の練習を続けるうちに「距離をとる」という方法が身に付いてきました。

 

怒りやイライラの感情が湧いている最中に「その感情が自分に湧いてること自体に気づく」。

 

その瞬間、それまで私をイヤな気分にさせていた相手のことだけが頭の中で支配されていたのに、今度は「私、怒ってるぞ・・」という自分のことが頭の中の中心にいる。

 

自分の感情を見てる時って、鏡で自分を見るのと同じで自然と距離が出来てるんですよね。

距離が出来るから「イライラや怒りの泥水」にドップリ浸かって、全身にまとわりつかれる感覚もありません。

 

確かに相手との対応の真っ最中は怒りの感情を自分で認めながらも、それを出すわけにはいかず、おさえる部分は残りますが、おさえつける意識の負荷は今までより軽いです。

 

こうして「気づき」の練習により、表に出さずにおさえることだけでは感情のコントロールが出来てるとは言えない。

改めて感覚としても分かりました。

 

 

「気づき」により怒りやイライラの感情から距離がとれる・・・

 

 

しつこく、一旦離れては戻ってくるなんてことは何度もあります(笑)

その時も「戻ってきた」と、しつこく気づけばいいんです。何度でも。

 

その繰り返しをしていると、どんどん怒りの感情が遠くになっていき、いつの間にかその件は戻ってこなくなります。

 

 

 

嫌な事をされれば怒りを感じるのは当たり前だし、人間として正常な感情の1つであって、問題なのは回数の多さや大きさ、その感情の滞在時間の長さ。

 

逆に、何をされても一切怒らないのはかえって「大丈夫かな?」と心配です。

本当にそんなことが出来るのはお釈迦様くらいじゃないですかね。

 

 

「気づいた時」に自分の頭の中がどうなったのか?

実験するみたいに、実際どうなるのか試してみよっかな~って言うわずかな好奇心が、こころの余裕にも少しは影響すると思います。

 

 

怒った瞬間、気づくことを忘れてしまっていることは最初の内は多々あります。

後からでも「気づく事を忘れてた・・」と気づけば前進じゃないですか?(^_-)-☆

 

 

 

 

 

本当にこころがツラくて苦しい時に吐露する相手。

どうしようもなくこころが苦しいとか、どうしたらいいか分からない程こころがツライい時に、胸の内を吐きだせる相手っていますか?

 

イヤな気分になったとか、悩んでいるとか、腹が立つことが重なってるとか・・・

ある程度のことなら、家族なり友達なりに話す事は出来るのですが、本当に心底ツラくて苦しくてどうしようもない時ってどうでしょうか?

 

 

何でも話せる様な関係性の家族や友達がいるから大丈夫!と自覚している人は、この話は全く関係ないでしょう。

 

ですが、親しいからこそ心配かけるから言えないと思う人もいれば、周りが自分に抱いているであろうイメージとはかけ離れているから今さら言えない、自分をさらけ出してしまった後の相手との関係性が少し変わってしまうかもしれないから躊躇してしまう人。

 

または弱みを周りに見せたくない気持ちが強い人、周りには見せられない立場だからと思っている人もいます。

 

 

話したくても何から話せばいいのか?どう説明したら自分のツラさや苦しさが伝わるのか?

 

少し話し始めたとしても、的確な言葉として表現できないから上手く伝わらず、期待する様な答えが返ってこないからと諦めてしまったり、上手く伝わらないから何度も自分のツラさを延々と話すことも相手に対して悪いと感じてしまったり・・・・どうせ話しても、私のツラくて苦しい気持ちは誰にも理解されないし分かってもらえないからと閉ざしてしまうなど・・・色んな心理が働きます。

 

たとえ話せたとしても、解決できないかもしれないし、分かってもらえるとは限りません。

 

こころの中は目に見えないからこそ、その状態を具体的に言葉として説明することの方が難しいし、自分でも気づいていない複雑にからみあった感情が蓄積されているものを一度で相手に伝えきるなんて至難の業です。

 

だけど「聞いてもらうだけ」「吐き出すだけ」でも、こころの重みは変わります。

 

 

知っている相手だからこそ色々なしがらみを考えてしまい、また相手に心配かけまいという気持ちから自分ひとりで耐えて続ける・・・それなら、いっそのこと知らない相手の方が吐き出しやすかったりする場合があるんですよね。

 

 

 

知らない相手とは、専門のカウンセラーやメンタルクリニックの先生なども1つの選択肢です。

もっとキツイ状態なら「いのちの電話」もだと思います。

 

ある意味、しがらみが無いから自分が相手にどう思われようと関係ないし、専門の人達は同じようにツラくて苦しい思いをしている人達の声を沢山聞いるから、上手く言葉で説明できないことも分かっているでしょう。

 

悩みの解決になる糸口が見つかるかもしれないし、解決しなくても、まずは「聞いてもらう」「吐き出すだけ」の感じでも構わないと思います。

 

やってみて上手く吐き出しきれないのは当たり前だから、1回で諦めずに何度かやってみることも、ひとりで溜め込んでいるよりよっぽどイイです。

 

今までのブログでも書いていますが、私自身、マインドフルネスを用いたハコミセラピーを受けています。

 

私も本当にツラくて苦しいと感じている時に、身近な人にこそ言えない様々な心理が働き、自分の中だけに留めてしまう傾向が強いんです。

 

だけど、しがらみのないセラピストの人には胸の内を吐き出せたものもあります。

また、吐き出そうとした時に上手く言葉で説明できず伝わりきらなかったこともあり、返ってきた言葉がチョッと違う・・・となったことだってあります。

 

そういう事を何度か繰り返す内に伝わりやすくなるし、1つ吐き出したことで次のものを出す抵抗感も徐々に薄れてきます。

 

今まで言えなかった何かを出した時は、こころのつかえが少しずつ小さくなるような感覚です。

 

 

誰かに聞いてもらう・・・

幸か不幸か・・ストレス社会の現在では、そのような場所が沢山存在します。

 

身近にはいない・話せないと溜めたまま終わらせず、少し目を向ける先を変えてみる方法だって残っているんですよね・・・。

 

やっぱり最後は訓練か・・行動力をつけるって。

行動力。私が身に付けたいと思っている内の1つです。

 

行動力が乏しい私が、憧れの行動力を付けるにはどうすればいいのか?

やっぱり小さなことから行動に移す練習あるのみ。

 

最終的には、このチョッとした訓練をしていくかどうかに尽きる様な気がします。

 

なぜ自分には行動力が乏しいのか・・・。

 

やはり失敗を恐れているからでしょう。

 

失敗を必要以上に恐れるのは、自分でも気づいていない奥深いものがあるからなのでしょうが、どちらにしても最後は実際に動くのか、動かないのかの選択しかありません。

 

 

 

 

昔から、新しい環境に飛び込むとか新しいことを始める時になると、どうしてもあれこれ色んなことが自然と頭に浮かび、まだ起きてもいないのに勝手に想像して勝手に心配してる・・・。

 

しかも浮かぶのは明るい未来よりも圧倒的にマイナス的な見方のものが多い。

 

 

自分でどんどん心配ごとを作り出しているわけですから、そりゃあ不安になるのは当たり前だし、なかなか一歩が踏み出せなくなるのは当然です。

 

自分でもこの想像力の豊かさを、なぜもっと他で活かせないのかと思います(笑)

 

 

行動力が有る人を見ると「なぜ、あの人はあんなに行動力があるのか?凄いなぁ」と本当に羨ましく感じている一方で「なぜ、私はこんなに行動力が無いのか・・」と、じれったくなります。

 

「人は人、自分は自分。

行動力が乏しい部分も自分の個性であり、それを全て受け入れて認めてあげる。」

 

だから「無理に行動力を付ける訓練をする必要は無い、それが自分だから。」・・・・と言って何もしなくていいとは思いません。

 

行動力の乏しさを自分で認識すること自体はイイのですが、認めただけで何もしなければそれで終わります。

 

肝心なのは、私が本当に求めていることです。

 

行動力を付けたいと願う先にあるのは、行動すれば必ず何かが変わる。

今の自分の状況にとどまっていたくないと本当に望んでいるのなら方法は1つだけです。

動くのみ!と重々わかっているからです。

 

少しずつですが、勇気を出して「やってみよう!」と言う訓練は続けていますし、これからも挑戦していく気持ちは変わらないでしょう。

 

まだまだ、ブレーキがかかることはあります。

マイナス感情が湧くこともあります。

なにしろ訓練中なんですから・・・。

 

それでも、訓練は続けるし挑戦する気持ちは持ち続けるように努力はしていきます。

 

 

他の人からすれば、たわいのないような何でもない行動かもしれませんが、実際私にとっては気合を入れながら飛び降りるみたいな感じなんですけどね。

 

 

他の人と比べて出来ない自分に対して落ち込む必要は無いという見方も出来ますが、出来ている人に対して憧れを持つ気持ちも時には大切だと思います。

 

 

だからと言って、行動力がある人と同じ位の行動力まで何としても頑張ろうとは思っていません。

だって、その人が目指しているものと私が望んでいるものは違うからです。

 

その人が望んでいるものが、もの凄く大きいものなら沢山の行動が必要になるでしょうし、私が望むものが、もう少しであればそこまでの行動量は必要ないからです。

 

行きつく先は「自分がどうなりたいのか?何を本当に望んでいるのか?」なのですから。

 

 

あれこれ考えてから行動に移すことでリスクが減る結果に繋がる時も確かにあります。

・・・かといって、リスクばかりを考えていると何も動けなくなってしまう。

 

と、まあ、こんな事ばっかり言っていると、ますます考え過ぎて動けなくなる(笑)

 

 

 

そうすると、やっぱり動いてみなければ分からない。

 

私の56年間の人生経験からすると、行動する前に心配ごとを増やしていた勝手な想像は大半が妄想で終わってます。

 

何か習い事を始める時や新しい職場に変わる時に、環境の雰囲気や人間関係などに馴染めるかどうかの不安はどうしてもついてまわります。

 

最初は緊張するけど、後になってみると「あの不安は何だったんだろう?」と、無駄にこころを沈ませてた経験は数えきれません。

 

行動力を付けるための行動は、とてつもなく大それた動きじゃないと意味がなさそうにも感じるのですが、ホントに準備運動の前の準備くらいから始めてもイイみたいですよ。

 

 

面倒臭さが上回り、結局なにも動かないままの時だってありますが、自分の現状を変えたいと本気で思うなら、休憩を挟みながらでも動いて行くしかないんじゃないですかね・・・・。

 

 

今日は、誰かに伝えたいと言う気持ちと自分に言い聞かせてる気持ちとの両方で書きました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

集中できる環境は人それぞれ・・・。

集中する時の環境作りは、人によって様々だし、もともと集中力がある人と、そうでは無い人との差も関係するでしょうね。

 

自分が楽しいと感じている時や、興味があって面白いものに対しては、時間を忘れて熱中してしまうことは誰にでも有り、自然と集中出来ます。

 

それ以外のもの、とくに勉強する時の集中力。

 

 

私は、この集中力が続かない方のタイプです。

 

 

30分弱なら、何とかイケる時もあるんですが、チョッと疲れて気分転換のつもりでスマホを見たりすると、気が付けば1時間近く経過してる・・・・

 

気づいた瞬間、再びヤル気が出るどころか、過ぎてしまった時間の長さに「やってしまった💦」という後悔のみが先に立ち、出てくるものはタメ息ばかり。

 

 

まあ、もともと集中力が乏しくて、それが続かない傾向の私ですから、やはり集中する環境作りは重要なんです。

※資格試験の勉強の時に、周りの雑音で集中出来ないからヒーリング音楽を聴き始めた・・という内容のブログを前回書きました。

 

 

集中力の乏しさは、マインドフルネスのお陰で、以前よりは良くなりました。

 

そこに、私にとっての環境作りとなる雑音を遮るためのヒーリング音楽をプラス。

この2つの相乗効果で集中力がパワーアップしたのが分かります。

 

 

 

 

 

自分が集中出来る環境って、ホントに人それぞれだと感じたのは、このマインドフルネスを知る前の資格試験の勉強中のことです。

 

あまりにも集中力がなく、集中力が弱いから勉強してても頭に内容がとどまらない。

 

ただでさえ、記憶力が衰えているところに、そんなやり方を続けているのですから、覚えたくても新しい内容が入った途端、前に覚えたであろう物が、ところてんの様に綺麗に押し出されしまい、木枠には次に入れた新しいものしか残っていません。

 

カフェで勉強すると、気分転換になり勉強がはかどる!というのを耳にしたので、近くのコメダ珈琲に行ってみました。

 

残念ながら、私には周りの話し声が気になって、気になって、勉強どころではなくコーヒーとケーキを食べて30分少々で店から出ました。

これは私には、向いていない・・・と、二度とカフェで勉強はしていません。

 

ですが、ある人の話。

この方は、毎日、スタバで勉強を数時間されているとのこと。

 

理由のひとつは、周りの話し声や雑音があっても、全く関係なく集中出来るよう訓練を兼ねて行かれているそうです。

もちろん、訓練は成功。

 

私が同じ訓練をして、果たして雑音の中で集中出来るようになれるのだろうか?

どれ位の回数を重ねて、成果がみえてくるんだろう?

 

チョッと、興味深くて、面白そう・・・。

 

1回コメダ珈琲で試して「私には向いていない」と決めてましたから、わざわざ、コメダまで出向かなくても、雑音なら自宅で試せる。

 

勉強を始めてみました・・・・

 

無理でした。

 

この件についての今後の訓練は辞めました。

私にとっては、時間の無駄に思えたからです。

 

人には見合った方法がある。

訓練して手に入れられる物もあれば、別の方法が効率的に合う物だってある。

 

 

そう、私にはヒーリング音楽を聴けるスマホとイヤホンという強い味方がついているのだから・・・それで大丈夫です。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ヒーリング音楽って本当に心地イイですね!

日常化するほど、聴くようになったキッカケは前回のブログで書いた事が理由です。

 

中医学の試験勉強をする時に、近所の騒音が気になり集中出来なかったからです。

その騒音を遮るために、勉強の邪魔にならない音楽ということで聴き始めました。

 

 

それ以前にも、ストレスでこころが疲れ切っている時に癒しを求めてヒーリング音楽を聴いたことは有ります。

 

海を眺めてボーっと癒されたい気持ちでしたが、そう簡単には行けないのでスマホで波の音を聴いていました。

でも、それは日常化するほどでもなく、たまにです。

 

今は、数十分~数時間と、日によって違いますが、ほとんど毎日聴いています。

主に聴くのは、瞑想(マインドフルネス)の時ですが、それ以外にPCで何か作業する時や勉強する時、ブログを書く時もです。

 

 

YouTubeでヒーリング音楽を検索すると、本当に沢山出てきます。

 

ストレス緩和、癒し、開運、スピリチュアル的なもの、お金が貯まる・・・・

こんなにも有るのかと驚きました。

 

幾つか試しに聴いてみましたが、ヒーリング音楽とは言え、やはり自分にシックリ来るものと、何か違う・・・というものなどがあり、様々です。

 

「おー!大金が入るのか!」というものも聴いてみましたが、私には効果なく、そんな棚ボタなんて人生そんなに甘くないことも、よく分かりました(笑)

 

 

私が、主に聴いているのは3曲です。

その時の自分の状態によって、シックリくる時もあれば「うーん、何か違う・・」って感じる場合があるんです。

 

その曲の効果の内容ではなくて、本当に何となくの感覚です。

例えば、瞑想(マインドフルネス)をする時に、呼吸のリズムがイマイチ合わない感じがする。

これが、別の日だとシックリきたりします。

 

ちなみに、これが私が聴いている曲の1つです。

 


www.youtube.com

 

「前世記憶や潜在能力が蘇る可能性があります」と表記されていますが、あくまでも「可能性」であり、私は数えきれないほど聴いていますが、今でも蘇っていません💦

 

蘇ったら面白いんですけどね~~~

 

 

この音楽は海の底にいるようなボコボコとした泡の音と波の音、ピアノの音がメインです。

 

瞑想(マインドフルネス)をしながら聴いていると、呼吸に意識が集中し、それをヘソの下あたりへ向けやすくなるので、頭が空っぽな状態が作れるんです。

 

深く呼吸している感じでしょうか・・・

とにかく気持ちが穏やかになります。

 

ただし、毎回必ずというわけではなく、その時の私の状態によって雑念が多く穏やかになりきれない時もあるし、何か「今は」この曲じゃない、シックリ来ないということもあります。

 

音楽の紹介に書いてい有る内容の真偽は別として、聴いているだけでも、気持ちを穏やかにしてくれることは、まんざら間違っていないな~と思いました。

 

 

 

 

 

近所に住む見知らぬ青年に思うこと。

自宅の私の部屋のすぐ傍にアパートが建っています。

 

単身赴任、学生、外国人の方達が住んでいるようなのですが、一人暮らし用のワンルーㇺ的なアパートなので、数年したら入れ替わってます。

 

だから、そこの入居者の人達とは近所付き合いもないし、名前も顔もよくわかりません。

 

ただ、私の部屋の窓からアパートのベランダが見えるので、部屋の住人が洗濯物を干している時にチラッと姿を見掛ける程度です。

 

 

その内の1つの部屋に、恐らく大学生ではないか?と思う若い男の子がいます。

 

その男の子の趣味の1つなんでしょうね・・・。

自分で歌を作って唄うことが。

 

なんとも気持ち良さそ~にギターを弾きながら唄ってます ♪♪~

聴いてるこちらまで、その感情が歌声から伝わってきます。

 

でも、本当にゴメンナサイとしか言いようがないのですが、正直、あまりにも聞くに堪えないのです。

 

音痴ではないけど、上手くはない。

唄っている歌詞やメロディーも?????

 

自分の音域は分かってるはずなのに、それを無視した音の高さの曲。

だから、高音の部分になると最大限の声を張りあげて唄っているのですが、単なる叫び声にしか聞こえてきません。

 

「この子、いったい何曲作ってるんだろう・・」って思うくらいに、次から次へと色んな歌を聞かされます。

 

しかも、時間帯を問わずです。

 

早い時は、朝5時。

夜は22時とか23時・・・

私が、午前3時近くにトイレで目が覚めた時にも唄っていました。

 

 

 

同じアパートの住人から苦情がきたんでしょうね・・・。

最近は、ほとんど歌声は聞こえてきません。

たまーーーに聞こえてきても、1曲で終わっています。

 

頻繁に彼の独演会が開かれていた頃は「うわ!また始まった、ホント勘弁してよ・・・」とゲンナリしていましたから、おとなしくなった現在では、ホッとしているのも事実です。

 

ですが、良い意味で、彼のことが羨ましいし、ある意味「凄いな」と感心してる部分もあります。

 

とてもじゃないけど、周りの目を気にし過ぎる自分には恥ずかしくて出来ませんし、たとえ「やれ!」と言われても、私にとってはトラウマになるような罰ゲームです。

しかも、自分が作った歌を大声でさらけ出すなんて。

 

たしかに「騒音」と言う点からすると、周りへの迷惑も考えずに自分の欲望のまま行動するのは社会上、問題でしょう。

 

誰かを傷つけるような迷惑をかけているわけでは有りませんが、場所的にも住宅街なので、安眠妨害をしているのも確かです。

 

 

だけど、あそこまで周りの目を気にせず、大っぴらに自分のそのままの気持ちを行動に移せることは、嫌味とかじゃなくて、本当に素直に「羨ましい」と感じたし「凄いな」と感心したのが私の本音です。

 

もちろん、彼と話をした事も無いし、これからも話す機会は無いでしょう。

 

ですが、ベランダでたまに訪れている彼女と楽しそうに洗濯物を干している姿をみると、とても素直な感じの青年です。

 

きっと、私には騒音でも、彼女にとって彼の歌は名曲なんでしょうね・・・。

 

一見すると、悩みなんか無いんじゃないかと思える様な彼ですが、恐らく、また私とは違った種類のストレスは少なからずあるかもしれません。

 

ちなみに、私は部屋のカーテンを開けて外の景色が見えるようにしているので、視界に入るのです。決して、監視とか覗いているのではありませんよ(笑)

 

 

社会人になったら、アパートを出ていくんでしょうが(私は勝手に大学生だと決めてますけど💦)、人の目を気にしない素直な彼らしさを忘れずに、少し周りへの気遣いも覚えながら頑張って欲しいな~と老婆心ながら思うのと、やっぱり歌だけは勘弁して下さいというのが願いです。