日々ストレス思考浸り~こころ穏やかな日々へ💕

ストレスに負けない!体は薬膳(中医学)・心はマインドフルネスから。。

ヒーリング音楽って本当に心地イイですね!

日常化するほど、聴くようになったキッカケは前回のブログで書いた事が理由です。

 

中医学の試験勉強をする時に、近所の騒音が気になり集中出来なかったからです。

その騒音を遮るために、勉強の邪魔にならない音楽ということで聴き始めました。

 

 

それ以前にも、ストレスでこころが疲れ切っている時に癒しを求めてヒーリング音楽を聴いたことは有ります。

 

海を眺めてボーっと癒されたい気持ちでしたが、そう簡単には行けないのでスマホで波の音を聴いていました。

でも、それは日常化するほどでもなく、たまにです。

 

今は、数十分~数時間と、日によって違いますが、ほとんど毎日聴いています。

主に聴くのは、瞑想(マインドフルネス)の時ですが、それ以外にPCで何か作業する時や勉強する時、ブログを書く時もです。

 

 

YouTubeでヒーリング音楽を検索すると、本当に沢山出てきます。

 

ストレス緩和、癒し、開運、スピリチュアル的なもの、お金が貯まる・・・・

こんなにも有るのかと驚きました。

 

幾つか試しに聴いてみましたが、ヒーリング音楽とは言え、やはり自分にシックリ来るものと、何か違う・・・というものなどがあり、様々です。

 

「おー!大金が入るのか!」というものも聴いてみましたが、私には効果なく、そんな棚ボタなんて人生そんなに甘くないことも、よく分かりました(笑)

 

 

私が、主に聴いているのは3曲です。

その時の自分の状態によって、シックリくる時もあれば「うーん、何か違う・・」って感じる場合があるんです。

 

その曲の効果の内容ではなくて、本当に何となくの感覚です。

例えば、瞑想(マインドフルネス)をする時に、呼吸のリズムがイマイチ合わない感じがする。

これが、別の日だとシックリきたりします。

 

ちなみに、これが私が聴いている曲の1つです。

 


www.youtube.com

 

「前世記憶や潜在能力が蘇る可能性があります」と表記されていますが、あくまでも「可能性」であり、私は数えきれないほど聴いていますが、今でも蘇っていません💦

 

蘇ったら面白いんですけどね~~~

 

 

この音楽は海の底にいるようなボコボコとした泡の音と波の音、ピアノの音がメインです。

 

瞑想(マインドフルネス)をしながら聴いていると、呼吸に意識が集中し、それをヘソの下あたりへ向けやすくなるので、頭が空っぽな状態が作れるんです。

 

深く呼吸している感じでしょうか・・・

とにかく気持ちが穏やかになります。

 

ただし、毎回必ずというわけではなく、その時の私の状態によって雑念が多く穏やかになりきれない時もあるし、何か「今は」この曲じゃない、シックリ来ないということもあります。

 

音楽の紹介に書いてい有る内容の真偽は別として、聴いているだけでも、気持ちを穏やかにしてくれることは、まんざら間違っていないな~と思いました。

 

 

 

 

 

近所に住む見知らぬ青年に思うこと。

自宅の私の部屋のすぐ傍にアパートが建っています。

 

単身赴任、学生、外国人の方達が住んでいるようなのですが、一人暮らし用のワンルーㇺ的なアパートなので、数年したら入れ替わってます。

 

だから、そこの入居者の人達とは近所付き合いもないし、名前も顔もよくわかりません。

 

ただ、私の部屋の窓からアパートのベランダが見えるので、部屋の住人が洗濯物を干している時にチラッと姿を見掛ける程度です。

 

 

その内の1つの部屋に、恐らく大学生ではないか?と思う若い男の子がいます。

 

その男の子の趣味の1つなんでしょうね・・・。

自分で歌を作って唄うことが。

 

なんとも気持ち良さそ~にギターを弾きながら唄ってます ♪♪~

聴いてるこちらまで、その感情が歌声から伝わってきます。

 

でも、本当にゴメンナサイとしか言いようがないのですが、正直、あまりにも聞くに堪えないのです。

 

音痴ではないけど、上手くはない。

唄っている歌詞やメロディーも?????

 

自分の音域は分かってるはずなのに、それを無視した音の高さの曲。

だから、高音の部分になると最大限の声を張りあげて唄っているのですが、単なる叫び声にしか聞こえてきません。

 

「この子、いったい何曲作ってるんだろう・・」って思うくらいに、次から次へと色んな歌を聞かされます。

 

しかも、時間帯を問わずです。

 

早い時は、朝5時。

夜は22時とか23時・・・

私が、午前3時近くにトイレで目が覚めた時にも唄っていました。

 

 

 

同じアパートの住人から苦情がきたんでしょうね・・・。

最近は、ほとんど歌声は聞こえてきません。

たまーーーに聞こえてきても、1曲で終わっています。

 

頻繁に彼の独演会が開かれていた頃は「うわ!また始まった、ホント勘弁してよ・・・」とゲンナリしていましたから、おとなしくなった現在では、ホッとしているのも事実です。

 

ですが、良い意味で、彼のことが羨ましいし、ある意味「凄いな」と感心してる部分もあります。

 

とてもじゃないけど、周りの目を気にし過ぎる自分には恥ずかしくて出来ませんし、たとえ「やれ!」と言われても、私にとってはトラウマになるような罰ゲームです。

しかも、自分が作った歌を大声でさらけ出すなんて。

 

たしかに「騒音」と言う点からすると、周りへの迷惑も考えずに自分の欲望のまま行動するのは社会上、問題でしょう。

 

誰かを傷つけるような迷惑をかけているわけでは有りませんが、場所的にも住宅街なので、安眠妨害をしているのも確かです。

 

 

だけど、あそこまで周りの目を気にせず、大っぴらに自分のそのままの気持ちを行動に移せることは、嫌味とかじゃなくて、本当に素直に「羨ましい」と感じたし「凄いな」と感心したのが私の本音です。

 

もちろん、彼と話をした事も無いし、これからも話す機会は無いでしょう。

 

ですが、ベランダでたまに訪れている彼女と楽しそうに洗濯物を干している姿をみると、とても素直な感じの青年です。

 

きっと、私には騒音でも、彼女にとって彼の歌は名曲なんでしょうね・・・。

 

一見すると、悩みなんか無いんじゃないかと思える様な彼ですが、恐らく、また私とは違った種類のストレスは少なからずあるかもしれません。

 

ちなみに、私は部屋のカーテンを開けて外の景色が見えるようにしているので、視界に入るのです。決して、監視とか覗いているのではありませんよ(笑)

 

 

社会人になったら、アパートを出ていくんでしょうが(私は勝手に大学生だと決めてますけど💦)、人の目を気にしない素直な彼らしさを忘れずに、少し周りへの気遣いも覚えながら頑張って欲しいな~と老婆心ながら思うのと、やっぱり歌だけは勘弁して下さいというのが願いです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

頭の使い方を変えてみる・・・。

頭が回らない時。

 

頭の中の回線コードが、いつもなら差し込むべき場所に刺さっていて、一応はスムーズに流れているけれど、その中の2~3本が劣化しているか、別の所に差し込まれ電気がスムーズに流れていない様な感じですかね・・・・頭が働かないって時って。

 

そういう時は、同じ頭の使い方をしていても、思考が回らず思う様な方向に進まないから、強引に進めても更に劣化が酷くなる。

 

だから「今の状態で、これ以上続けていてもムリ、ムリ!」というサインだと捉えて、私は別の頭の使い方をしてみます。

 

もし、使い方の問題ではなく、頭の全体疲労の時は、完全に何もしません。

また、絶対的な期限が迫っているのなら、一旦、頭を休めるために瞑想(マインドフルネス)をします。

 

そこまででは無い場合です。

 

例えば、無の状態から何かを生みだすとかの頭の使い方をしていて、なかなかその何かが湧いてこず、これ以上しぼり出せなくて煮詰まったような場合・・・・

 

私は、読書に切り替えます。

 

 

全く関連性がゼロの物では無くて、視点は違うけど少しでも繋がりがある本を選びます。

少し繋がりがある物を、あえて選ぶという方が正しいかもしれません。

 

もちろん、過去に読んだものでもイイんです。

どちらかと言えば、その方が多いでしょうね。

 

そして、目が疲れて、体が固まって来たら、少し運動をする。

 

体がほぐれて、気の流れも良くなるので、運動している最中にフッと煮詰まっていた一部が浮かんでくる事なども意外とあるんでよ。

 

 

「何かをしていないと気が済まないのか!」と言われれば「いいえ、そんなことはありません!」とキッパリ否定は出来ませんが、常に何かをしていないと落ち着かない様な人間でもありません。

 

ただ・・

「時間は無限じゃない」ことを感じはじめた年頃なだけです・・・。

 

 



 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

健康管理のためにも「自分を観察」

「自分を知る」「自分を観察する」と聞いて、こころからだ・・どっちのイメージが浮かぶでしょうか?

 

ストレス抱えている精神状態が、悩みの大半を占めているなら、こころ

からだの不調が、頻繁に現れている状況なら、からだのこと。

 

私の場合、こころの方の内容のブログが多い気がしますが、今日は、からだの方の「自分を知る、観察する」についてです。

 

例えば、

健康やダイエットを目的として、食生活で何かを摂り始めたり、セーブしたり、または運動を始める・・・美肌を目的として、新たな化粧品や美顔機器を使い始めたり、肌に良いと言われる飲食などを取り入れる。

 

こういう時は効果が有るかどうかが気になるから、日々の観察はしてるし、その部分への注目度も高く、自然と意識が向きますよね。

 

 

では、からだの不調が続くとか、以前と比べて体調不良が多くなった場合。

 

どこが悪いのか、何かの病気なのか?何が原因なのか?

もちろん気になるから病院に行きます。

それで対応出来る分は指示に従うし、生活習慣で必要なことが有れば、可能な限り頑張ります。

あくまでも「可能な限り・・・」です。

 

この時の私は、自分の不快な症状が改善しているかどうかに意識を向けて、自分のからだを観察しています。

 

そして、良くなることや再び不調にならないために、これから何をすればいいのか?と、今後のことに重点を置いて目を向けます。

 

でも、途中で気づきました・・・。

 

どんな時に私は体調不良が現れているのか?現れることが多いのか?

 

現れている不調の症状自体は、似た様なタイプのものだとしても、人それぞれの体質や状況、環境は違うので、不調が現れやすいスイッチも他の人と同じとは限りません。

 

また、若い頃は大丈夫でも、年齢と共に体は変化していきますから、これも同じとは限りません。

 

疲れてくると出やすい人もいれば、食生活に偏りがあった、便秘が続いている、睡眠不足、体を動かす事が殆ど無い、イライラしてることが多い・・・・

 

チョッとした統計をとったり、よくよく振り返ったり観察すると、やっぱり思い当たる点は出てくると思います。

 

たしかに色んな要因が重なりあっているので100%ではないのですが、私の場合、不調のスイッチが入りやすいのは睡眠不足の時が多いと気づきました。

 

そこで、少-------しずつ早寝を始めて睡眠不足にならないように生活を変えたのです。

 

やはり、不調が現れる回数は減りました。

 

 

これ、本当は体調が良い時にも同じことが言えると思うんです。

最近、よく野菜を摂ってるとか、運動しているとか、しっかり寝てるとか、快便とか、ストレス発散出来てるとか、趣味が見つかって没頭しているとか・・・・人によって様々です。

 

からだだけに限らず、調子が良い時や、物ごとがスムーズに進んでいる時は、悪い時に比べて見直しする機械は減るでしょう。

 

解明出来る、出来ないは別として、悪いことにも原因はあるけど、良いことにも原因はあるんですよね。

 

 

目的があり、それに対して何かを始めたことへの経過の観察だけではなく、起こっている現状の振り返りの観察をすることで、さらに自分のからだを知ることになる。

 

自分を知れば、自分のからだに見合う行動を取り入れられるのですから、健康管理にも役立つと思いますよ(^_-)-☆

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

この歳になって思う「ご近所付き合い」

煩わしいと思うのか・・有難いと思うのか・・・。

 

10代後半~40歳くらいまでは、煩わしいと思っていましたが、40歳過ぎ~現在では、有難いと感じています。

 

現在、私が住んでいる家は祖父母の代からなので、第二次世界大戦の前になります。

 

ご近所には、同じ時期から住んでいる家族も、まだまだ沢山いらっしゃいますから、私が生まれた時から、ずーっと知っている人達が多いんです。

 

だから、子供の頃に外で遊んでいて近所のおとな達が通りかかると、お互いが声をかけあって気軽に話をすることが当たり前。

 

近所の子たちともよく遊び、まだ純粋なこころを持っていた子供目線の私には、単純に近所の人達との付き合いは楽しいものでした。

 

きっと、町内のおとな達が、子供たちみんなを自然と見守っていたんだと、今となっては思えます。

 

ですが、大きくなるにつれ近所の目が、見守りではなく、監視されているように感じて、以前は気軽に会話をしていたのに、いつの間にか挨拶だけとか、人によっては挨拶すらしなくなり関わらない様にしていました。

 

私の両親や亡くなった祖父母は、近所付き合いは変わらず昔のままで、私だけです。

 

近所付き合いがあると、どうしても「近所のてまえ・・・」とか「近所の目が・・」とか、そんな事を気にするし、私の母は特に、そういうタイプでした。

 

しかも、近所付き合いがあるということは、もちろん会話をするわけですから、色んな町内の情報共有の広まりも早いんです。

 

そういうのが本当に煩わしく

「もう、人の家のことは関係ないでしょ、放っといて!」と、うっとうしくて仕方ありませんでした。

 

 

それが、40歳半ば過ぎくらいでしょうか・・・私も落ち着いたのか、少し拒絶感が減りました。

 

現在は、自然と二言三言のたわいもない会話をすることもあり、子供時代に戻ったかのように楽しんでる時もあります。

 

 

そして、最近(コロナが減っている頃)、子供の頃から知っている近所の90歳近いおばあさんが亡くなりました。

 

ご主人が入院中のため、一人暮らしです。

 

毎朝、同じ時間に雨戸を開けているそうなのですが、その日は昼近くなっても雨戸が開かず。

 

同じく昔から住んでいる隣の家の人が、その習慣を知っているので「この時期に出かけることは無いだろう・・おかしいのでは?」と気づき、警察へ相談されたそうです。

 

そしたら部屋の中で倒れており、救急車で運ばれたのですが残念ながら病院へ着く直前に息を引き取られたとのこと(コロナでは無い病気が原因)

 

その後、別の近所の70代前半の一人暮らしのおじさん(やはり子供の頃から知っている)が亡くなった時も、よく訪ねてくる近所の人が発見したのです。

 

「いつもなら自宅にいるはずの時間帯に呼んでも返事がない・・出かけたか?」と庭に回ってみたら、外出する時には窓のカーテンを閉めていくのに「開いている・・・?」と気づき、覗いたら倒れていたそうです。

 

発見した時は、すでに息は無く、前日の夜に亡くなっていた(コロナではなく病気が原因)と後で母から聞きました。

 

正直、こういう情報はどこから?と思いますし、それ以外にも「○○さんの所は・・」とか、近所付き合いが濃い目の母から「何で知ってるの?」という内容を耳にすることはあります。

 

個人情報の観点からすれば、いかがなものかと思います。

私が若い頃なら、それこそ「関係ないでしょ!」って反発してたに違いありません。

 

 

たしかに監視されていると受取れば、良い気分はしない。

でも、付き合いがあり、日頃から見ていたから「異変に気づけた」とも言える。

 

情報が近所に知れ渡るのも不信感を抱くけど、知っているから助け合うことや、大目にみてあげられること、防犯意識が高まることもある。

 

どちらが良いとは言えないし、私自身も年齢によって真逆の受取り方をしています。

また、明らかなトラブルメーカーがいれば関わりたくないのは当然だし、色んな人がいるから簡単に信用するのも怖い気がする・・・。

 

 

家は自分が休まる大切な場所ですから、その環境での人間関係に対しての考え方は強いものがあるし、個人差があるので本当に難しい問題だと思います。

 

正解は無いけれど・・・あまりにも希薄すぎるのはどうなんだろうか?

 

昔と今では、時代が違うから同じ様にいかないのが現実なんでしょうが、何だか、どんどん「人として」精神的に住みにくい世の中になっていく気がする・・・。

 

 

この歳になると、孤独死という言葉は他人事では無いけれど、それ以上に「無関心」に対する寂しさの方が大きいかな・・・。

 

 

こういう時に、本当に年齢を感じますね

・・・イイ意味で。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

セラピーを受けることへの抵抗感・・・

私自身、セラピーを受けることへの抵抗感は強かったし、ハードルも高く、自分には無縁であり、全く必要ないぐらいに思っていました。

 

 

50年以上生きていれば、人に言われなくても、自分のことは自分がよく知っているし、「○○○の考え方より、もっと○○○のように考えた方がいい」と、私の考え方を叩き直すためにダメ出しばかりされるんじゃないか?

 

理想的な考え方が出来れば、自分がラクになれることは理解はしているし、イヤというほど変えようともしてきている。

 

それなのに元に戻ることを繰り返している私にとって「いまさら何の意味があるのか?」と必要性を感じませんでした。

 

また、セラピー自体が特別なもので、弱い人だけが受けるものだと思い込んでいましたから、人一倍、自分は弱くないと言い聞かせてきた私には、なおのこと関係ないものだと判断していたのです。

 

もともとセラピーも心療内科メンタルクリニック)も全て同じようなものであり、自分とは無縁だと捉えているから調べることすらしてません。

 

 

私自身、心療内科メンタルクリニック)は、行ったことありません。

私にとって、正直ハードルが少し高めに感じるのと、今はストレスが減ったので行く機会はないかなぁと思います。

 

ただ、あまりにもストレスで身体の不調が酷過ぎるのなら、最後の砦として受診していた可能性は高いでしょう。

 

 

私は、マインドフルネスを始めたことをキッカケに、そこから引き続きマインドフルネスを使ったハコミセラピーというものを受けています。

 

マインドフルネスを受けた理由はストレスもあるけど、その時は資格試験の記憶力・集中力UPが最大の目的です。

 

だから、ハコミセラピーまで受けることになるとは、全く予想していませんでした。

 

セラピストの術にハマったんじゃないの?と思われるかもしれませんが、それも完全にゼロだとは否定はしません。

 

ハマって後悔するのも、良かったと思うのも、全て自分が判断した上での結果だし、私が働いたお金で支払いするので、それくらいは自分で責任とれます(笑)

 

 

私がセラピーを受け続けてみようと決めた基準は、この人なら自分のこころの内を素直に言いやすいか?または言えるか?どうかです。

 

ある程度、会話を交わしていくと、その人が持っているなんとなくの雰囲気って感じますよね?

自分が個人的に話しやすいと思うのか、近寄りがたいと思うのか、苦手だと感じるのか・・・なんとなく合う、合わないが。

 

 

お世話になっているセラピストの人も、私にとっては合うと感じているけど、全ての人が合うとは限りません。

他の人が良いと言っているから、自分も合うとは限らない。

 

だから、違和感や、なんとなく合わない、噛み合わないと少しでも感じたらやめた方が良いでしょう。

 

こころに関係することだからこそ、すごーーーーく重要!

 

 

実際に、心療内科メンタルクリニック)に行ったことは無いので、私が通っているマインドフルネス(ハコミセラピー)と何が違うのか?と聞かれても判りません。

心療内科でもマインドフルネスを取りいれている所があるようです。

 

「セラピー」と名の付くものも色々な種類があると思います。

 

マインドフルネス(ハコミセラピー)のセラピー中は、日頃の出来事の愚痴が出る時もあります。

 

ですが、私の考え方を治すようなことはされず、自分で自分のことに気づくことをしているので、単純に視点のエクササイズをしている様な感じです。

 

結果、それにより自然と思考が自ら変わる。

自分自身の内側の気づきですから、変化した思考の内容は他の人とは違う部分も多いでしょう。

 

 

私が、これまでセラピーという名のものへの勝手な固定観念が変わりました。

自分が弱いからとか、強いからとかで、受ける受けないの判断基準にするのは、とても次元の浅い見方だったかな?と思えるのです。

 

 

実際に、受けてみた今では、セラピーに対しての抵抗感というハードルの高さの存在は、私の中で関係無くなったのでした (^_-)-☆

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

瞑想はストレス解消に良いと言うけれど・・・。

結論から言えば、たしかに良いですが、個人的に瞑想は簡単ではないと思います。

 

ストレス解消法の中に、瞑想は必ずと言っていいほど含まれていますよね。

 

私は瞑想(マインドフルネス)を始めて、2年以上経ちますが「この感覚だ!」とハッキリ感じられたのは1年後ぐらいです。

 

直接セラピストから指導を受けて現在に至っていますが、その前はマインドフルネスの本を購入してやっていました。

 

それ以前も「自己流」で瞑想をしてみましたが、それこそ2回位で辞めてます。

 

ストレス減るならと、ワラをもすがる想いで始めてみたとしても、そもそも「瞑想」とは、どんな状態で、どの様な感覚になるのか?何しろ初めてですから判らなくて当たり前だと思うんです。

 

取りあえず、やってみようと目を閉じて、あぐら?をかいて、それなりのスタイルで始めてみても、次から次へ雑念ばかりが浮かび、浮かんだものを消そうとすればいいのか、そのまま放置でいいのか・・・結局「あー、むずかしい」「瞑想は私にはムリ」と良さが判る前に辞めてしまう。

 

「自己流」瞑想➡本を相手に一人でマインドフルネス➡直接、セラピストから指導を受けてマインドフルネス。

 

この経験をしてみて「瞑想イイですよ」と言われても「そうか、なるほど~」と簡単に誰もが出来るとは限らないと痛感しました。

 

もちろん、中にはスムーズに器用に出来る人もいらっしゃるんでしょうが、私のようにストレス思考が強いタイプは、難しいと感じる人って少なくないと思います。

 

 

私が、今でも瞑想(マインドフルネス)を続けているのは、セラピストからのサポートのおかげで良さが判り、体感することができ、とても大きな効果が得らているからです。

 

瞑想にも色んな種類がありますが、ちなみに私がおこなっているマインドフルネスとは、仏教の瞑想法と異なり、宗教性を排除したメンタルトレーニングの要素だけを取りいれたものです。

 

 

 

私が直接、セラピストからの指導を受けた事で、何が良かったのか?

(前回のブログでも少し書いています)

 

判らないことは、その場で聞けるという安心感と、それによって自信をもって取り組める点が1番大きいです。

 

それに伴い、自分では出来ていると思っていても、実は指摘されて初めて「あっ、ホントだ。言われてみればその通り・・」と、気づかせてくれることです。

 

自分のこころに気づくトレーニングなのに、損得や善悪などを無意識に交えて理屈で答えを導き出す「根付いたクセ」が頻繁に現れてきます。

 

でも、自分では無意識なので気づかず、それが本当のこころだと思い込んでおり、区別がついていないんです。

 

 

だから、この状態で続けていたとしたら本当の効果は得られないままだったし、ストレス満載が継続中のため、きっとブログに書く内容も全然違っていたでしょうね(笑)

 

 

 

ストレス減らす為に、瞑想は効果があるという情報は知っているものの、するための方法が足りなかったり間違っていて効果を感じられず、よく分からないからと諦めてしまうのは、とても、とても勿体ないことだと思います。

 

もし、ストレス減らすことを心底目指していて、瞑想いいかも・・?って頭をかすめたのなら、実際に効果が得られる方法で試されることをおススメします!